大阪北部、箕面(みのお)市の
勝尾寺(かつおうじ)の記事の続編。
紅葉時期の紅葉スポットではあるが、前編では、現代の日本人が忘れて
しまった「和の心」というものに少し触れて来た、
そして、そのことは「間接的」にではあるが、紅葉シーズンだからと言って、
紅葉ばかりに目がいって、しゃかりきに写真を撮る事ばかり考えていては
ダメだよ、という事も意味している。
もっとも、そんな「紅葉追っかけ族」のカメラマンであれば、
ここ箕面(みのお)市には、より有名な箕面の滝のあたりの紅葉スポットに
大挙して出かけて行くことであろう。
私も、そのあたりの紅葉スポットには、10年程前に紅葉の時期に行った事が
あるが、まさに、どこを見渡しても、人、人、人、で閉口した・・
当時の機材は、コニカの一眼レフに AR200/3.5という名レンズを持っていった、
勿論銀塩である。 200mmの望遠を紅葉に使うには、長すぎる(望遠すぎる)と
思ったが、実際には、ほとんどベルトコンベアーのように、箕面の滝までの
2kmほどの道程を人の流れで押されるように歩いていく中では、200mmの
望遠は人ごみを避けて紅葉の葉を部分的に撮ったりするのに役立ったように
記憶している。
ただ、当時の感度400かそこらのフィルムにおいては、薄暗い紅葉の葉を
望遠で撮るには、手ブレによる歩留まりが悪くなっていたようにも思う、
だから現代における私の紅葉機材は、高感度が自在なデジタル一眼と、
銀塩換算200mmより多少短めでf値が明るい大口径レンズとなっている。
それに、そんな機材のことよりも重要なのは、そんな風に有名スポットに
何の自主性もなく、ただ有名スポットだからと言って、のこのこと出かけて
行くような事は今はしなくなった事だ。
今は、箕面の滝で「紅葉追っかけ族」となって、暗いからと言って、人ごみの
中で三脚を立てて周囲に迷惑をかけてまで撮るような事は絶対にしない。
そんな事をして写真を撮ってもちっとも面白くないし、そもそも周囲に
迷惑をかえてまで写真を撮ろうとも思わない。
だからそんな「紅葉スポット」にも行く事はないし、
そもそもこのお寺は前編でも散々言って来たように、純粋に参拝目的で
来る人が8割のお寺だ。
勝運祈願の達磨(だるま)が有名な寺ではあるが、それはあくまで副次的な事。
主眼となるべきは、やはり三十三箇所巡礼なり、先祖供養なのであるが、
ただ、それにつけてもやはり「だるま」は目につく・・
・・・だるまから目線を外さないとなあ・・
そう思って、本来の先祖供養や水子供養のあたりにも着目してみるのだが・・
けど、なんだか、やはり、実際に、そうした目的では、このお寺に来ては
いないので、気持ちが宙に浮いた感じになってしまう。
だったら、視点は紅葉か・・?
いや、やはり、それも、ここまで書いてきたように、なんだか「俗っぽい」
ように思えてしまう。
俗世間から離れた場所に来ているにもかかわらず、
「あ、紅葉だ、綺麗だなあ・・・カシャ」では、あまりに、あまりにではないか。
けど、そんな風に考えていると、ややこしくなるばかりだし、
下手すると、夢にまで紅葉や達磨が出てきそうだ・・(苦笑)
それよりなにより、写真というのは何を感じて撮るかだと思う。
秋の、さわやかな、でもちょっと寒い(苦笑)休日・・
そんな雰囲気というのは、別に紅葉の写真を撮るばかりでもなかろうし、
お寺の記念写真を撮るようなものでもなかろう・・
写真は、あれこれ考えて撮る必要は何も無いが、
とは言え、何も考えずに、ただ単に
「紅葉の季節に有名な名所名跡に行って綺麗に撮りました」
という事でも無いのだと思う・・