「島シリーズ」の真鍋島(まなべじま)編の3回目。

瀬戸内海にある離島の真鍋島。
高低差が激しく、その分、ちょっと高所に昇れば、瀬戸内海を見渡せる景色が広がる。

そして町並みは古く、写真的にはどこを撮っても絵になるわけで、
きっと初級者からベテランまで、誰が行ったとしても、いくらでも撮りたいものがある
島なのであろう。

たとえば、花や風景は勿論、廃物系でも町並みでも・・・
あるいはブログという性格上には適さないが、素朴なでフレンドリーな島民の皆様を
撮るような人物写真もあるだろうし、別途紹介しているが、実はネコも沢山いる
島なのである。
写真好きであれば、何日でも居て撮り続けたい島なのかもしれないが、
まあ残念ながら、その時間には限りがある。 今夜にでも、また都会の慌しい生活に
戻らなくてならないのである・・

それにしても、どこをとって(取って、撮って)もいい感じだ。
もし銀塩カメラを持ってきているのであれば、じっくり選んで撮っても良いだろうし
デジタルであれば撮影枚数を増やせるという感覚で、目についたものを「拾って」
いけば良い。 どちらがどうというわけではなく、銀塩でもデジタルでも、その方式の
差異以前に、写真を撮る気分、気持ち、感覚というのがそれぞれ持てる場所なのだろう
なあと思った。

ただ、半日もいれば島の雰囲気もだいぶ馴染んでくる。
そんな時に、馴染んで来たから、もう被写体が目につかなくなってくるというのか、
あるいは馴染んで来たからこそ、その島の雰囲気を取り込んだ写真を撮りたいと
思うようになってくるか、というのが一種のポイントだ。
こういうのは「ノリ」の要素であって、後者の方が良い事はわかっていても、
長く歩いて疲れた、あるいは暑いなどの要素で集中力をだんだん欠いてくるケースも
あるだろうし、あるいはテンションが上がってどんどん、気分が「冴えて」くる場合も
あると思う。

この時は、どちらかというと、前者に近い感覚だったのかも知れない。
暑さと、何度も島の山を上り下りした事で、ちょっと疲れて集中力が落ちてきた事が
自分でもわかってくる。
本来そんな場合は、どこかで腰を落ち着け、のんびりとした時間の中で休んでしまう
のも良いのかもしれない。
しかし、「もうこの島には次に来れる機会はなかなか無いかも」などと、貧乏根性を
出そうものなら、写真をただ撮り続けるだけで、どんどん惰性で撮り続けるように
なってくる。
変な撮影技法を使いたくなってくるのも、たいがいそんな時だ・・(苦笑)

広角マクロのフェンサーやら、変則的な日中シンクロ・・
これではいけないと思って、また本来の目的に立ち返る。
そうだ、別に写真を沢山撮ろうと思って来たわけじゃあないんだ、
都会の喧騒を離れ、島の雰囲気を満喫するというのが本来の目的ではなかったのか?
だったら、もう写真なんか撮らないでも良いのであるが・・
まあ、それはそれで、今、この場にいるというなんからの感覚を記録したいのか、
記憶にとどめるためにシャッターを切るのか、そんな風にまた思ってしまう。

1日歩き続けてもう夕方だ。
喧騒と慌しさの都会に戻らなくててはならない。
港に戻ると、すっかり干潮で、船は低くなった水面のあたりに窮屈そうに浮いていた。

そんなに、バタバタとして帰っていくなよ、たまにはのんびりしたらどうなんだ?
ふと、船が、そんな事を言っているような気がした・・