今日の目的地は伊根(いね)である。 京都府北部の宮津市に属するのであるが
ここが京都だとはなかなか思いづらい・・
伊根は初めて訪れる町である、舟屋(ふなや)の町として有名な土地であるが、
初めて行く見知らぬ土地というのは、なかなか楽しみなものである。
人間は初めてのものに魅かれるのは何故なのだろう?
初めての土地、新しいカメラやレンズ・・
異性だってそうかもしれない、あまり知らない異性(やタイプ)というのは
どうしても魅力的に感じるものなのであろう。 知的好奇心がそうさせるのかも
しれないが、まあ、そうやって人間は失敗を繰り返していくのかもしれない・・(汗)
見知らぬ土地に行く前にまず考えること、それは機材をどうするか?ということである。
すでに行ったことがある土地であれば、「こんな写真が撮りたいんだ」という明確な
意図がある場合もあるだろう。 そうなれば、それに適した機材を選択すれば良い。
あるいは、そういうイメージを湧かせるために、旅行ガイド、観光ガイドなどの
写真を事前に見て参考にする場合もあるだろう。
私も以前は結構そうやってきた。
しかし、最近は事前に旅行ガイドなどの本やネットの写真を見るということは
まったくと言っていいほどやらなくなってしまった。
その理由であるが、写真を穴のあくほど・・ いや、実際にはそこまでじゃないとしても
写真を見ていると、それがどんなレンズでどのように撮ったか、という事が
ついつい気になってしまうのである。
で、その土地に行き、その写真を撮ったと思われる場所に立つと、
「そうそう・・ あの本では確かこのあたりから、135mm前後の中望遠で・・」
などと思い出して、ついついそれと同じような写真を撮ってしまうのである・・(苦笑)
帰ってから(注:あえて観光ガイドは持っていかない)その本を見てがっかりする、
「ああ・・ またやってしまった・・」と・・
観光ガイドと同じ写真を撮るのは別に悪いことではない、そうした写真はその土地の
魅力を1枚で引き出すことに、あるいは説明することに全精力を傾けてプロやベテラン
が撮った写真なのだから。
でも、私が撮りたいのはそういう写真では無いのである。
(プロが撮った)写真を真似て、同じ構図で、同じような撮影技法で撮ることでは
自分が「写真」というものに関与している意味が無いではないか・・
つまり、それは自分がシャッターを押したとしても自分が撮った写真では無いのである。
「上手な人が撮った写真を見て真似をしてどこが悪いんだ? それも勉強だろう?」
・・・うん、それも一理ある。
でもなあ・・いったい、いつまで勉強を続ければ気が済むのかな?
5年、いや10年? あるいは20年?
例えば音楽(楽器演奏)だったら、ほとんど一生勉強の世界だ。
どんなにある楽器を極めても、(難曲を)楽譜通りに正確に弾くこと自体至難の技だ、
そこからその段階を超えて、音楽で自己表現の世界に到達できる人なんて、ほんの
一握りしかいやしない。 だから、ずっと上手な人(先生、師匠、あるいはアーティスト)
の真似をして勉強を続けるしかない。
これまでの「習い事」の世界ではたいていそうであった、
芸事、習い事においては、先達の引いた路線をたどっていくことが勉強であって
趣味を極めていくことだったように思える。
しかし、写真は違う・・
カメラや写真の原理なんて、1年や2年も写真をやっていたら、もうほぼ100%
(とは言わぬまでも)、わかっていて当然だ・・
そして現代のカメラは、誰でもシャッターを押せばとりあえず写真は写る。
で、それ以上何を学ぶのか?
カメラの操作方法? そんなの1年もカメラをいじくっていればもうわかるだろう・・
正しい構図の決め方? そんなの正解は無い・・ 別に構図なんて黄金分割だろうが
3分割だろうがS字だろうが、日の丸だろうが、チョコラーだろうが、何でも良いのである。
だったら、写真というのは、5年も10年もカメラの使い方や構図の決め方を
勉強するものではなくて、いかに自分の個性を活かした表現を得るか、という部分に
できるだけ早い段階でシフトした方が良いのだと思う。
その表現というのは、カメラの使い方や、ましてやカメラの種類やレンズの種類を勉強、
あるいは勉強という名のコレクションをするよりも、ずっと奥が深くて面白いものであると思う。