全4回シリーズの「舞台を撮る」の2回目。
知人の劇団、劇団舞台処女(まちかどおとめ)による「関西風ロミオとジュリエット」の撮影である。
第一回目では、主に機材の選択とその基本的な使いこなしについて解説したが、
今回からはいよいよストーリー展開に合わせて写真を撮っていくことになる。
なお、微細なところで本来の劇の脚本とは異なる部分があるかもしれないが、
それはそれなりに、匠流解釈での写真である、原作と舞台のシナリオが脚本者の
表現によって異なるように、舞台の演技と写真も、撮る側の解釈や表現によって
異なってくる。それは「やむをえない」とうことではなく「当たり前」のことであって、
舞台も写真も、原作で決められたように一字一句完璧にセリフを話すことでもなく、
それを綺麗に撮ることが目的でもないのである。 それが「表現」というものである。
仮面舞踏会で、ロミオからの恋心を打ち明けられた(態度に示された)ジュリエットは
14歳の恋に恋する乙女である。 親の決めた政略結婚に黙って従うよりも、一生に
一度のような情熱的な恋がしたい・・
仮面舞踏会で出会ったロミオは顔もよくわからないのだが、そんなことは関係なく
愛される喜びを感じている・・
夜の闇に乗じて、ロミオがジュリエットの部屋のバルコニーの下に表れた。
ジュリエットはロミオへの、いや恋することへの憧れの気持ちを一人で打ち明けている。
ちなみに、私は、イタリア、ベローナの、ロミオとジュリエットのバルコニーの舞台
のモデルになった、という場所に以前行ったことがあるが、1階と2階でかなり
離れていたように記憶している。 まあ、そこは完全な「観光地」であったのだが・・
ジュリエットがロミオに気が付いた・・・ 自分の独白を聞かれていたことに
恥ずかしさを感じる。
ここはTVドラマや映画の技法と同じく、ピント位置は2人に交互に当てれる
シーンである。 この瞬間はジュリエットが主役なので、ジュリエット側にフォーカス。
カーテン越しの撮影。
これは、 若かりしころのロミオの父(モンターギュ家当主)の恋の告白シーン。
カーテンを使うことで時の流れとその再現を表現しているとは劇団処女(おとめ)の方の話。
家と家との確執、そんなこともロミオもジュリエットも当然わかっている、
それでも恋を選ぶのか、それか家を選ぶのか・・
もはや結論は出たようだ、ロミオの心はもうジュリエット一直線になっている・・
しかし、それはあくまで本人同士の問題。
周りが簡単に賛成するわけではない。
ロミオが忍んでジュリエットの元に表れたことは、もはやジュリエット側の周囲の
人達にも伝わり、問題になっている様子だ・・
ジュリエットの従兄弟(ティパルト)と、従女スーザンも困り果てている・・
そして、ジュリエットの母親登場・・
ジュリエットの母親は、自分は過去に夫ではなく恋する人がいたと言う話を娘に
伝える、だからジュリエットの気持ちはわかるとも言う。
でも、だからと言って、簡単にロミオとの結婚を認めるわけにはいかない。
説得と共感の入り混じった複雑な感情表現である。
最後には娘は折れたようだ、母親は安堵の表情・・ しかし、この安堵の意味は
後に別の意味となって悲劇のクライマックスに近づくのである。
そして、実は娘も諦めてはいない・・ こうして一見丸く収まったように見える
状況の中、さらなる展開を隠しながらのジュリエットの母の表情がとても印象的。
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さて、今回の「舞台を撮る」第二回記事では、撮影技法の話は一切無しである、
基本的な「テクニック」は、すでに
第一回で述べた。
それ以上のレベルとは何か? それは、舞台を撮るなら舞台の内容に感情移入し、
そのシーンに応じた「舞台表現」を「写真表現」で再現することである。
「1枚だけではきちんとした表情が得られないではないか?」と思うかもしれない、
それはそうである、だから沢山撮る、そして撮った中から選ぶ。
でも、単に役者さんが綺麗に写っているだけではダメだ、それでは舞台の内容を
表現できない。 舞台の内容に応じた表情を選ぶことは、舞台を理解して初めて
それができる。 実際にはそれが最大の「撮影技法」なのである。
絞りがどうした、シャッター速度がどうした・・ そんなことはできて当たり前、
その基本を踏襲した上で、やっと表現というレベルに踏み込むことができる。
次回第三回では、引き続き舞台表現の再現について・・