森田「先日の匠さんの記事の園田のお話、熟読させていただきました・・」
匠「・・ああ、長文でしたが、お疲れ様でした」
森田「カメラマンのマナーの話も、ああと思い当たる節がありましたが、
それより、やはりわたくしの写真は、どうしても記念写真でしかないのかと・・」
匠「・・・ふうむ・・ じゃあ、今回もやはり園田での写真を使って、
もうすこし森田さんにもわかりやすい感じで説明していきましょう
ただし、作例を沢山用意してますので、今回も超長文の説明になり、
しかも少しレベルをアップしますが、よろしいでしょうか?」
森田「はい、よろしくお願いいたします」

・・・まずはこの写真ですが、これなんて言うんですかね? 「彩雲」かな?
森田「はて・・彩雲ですと一色の場合が多いかと思いますが、これはまるで虹のようです」
まあ、このような、いわゆる「珍しい光景」に出くわしたときは、まず撮るのを最優先に
考えるのが一般的である、ただし、それで写真を撮ったからと言っても、別に貴方が
「偉い」わけでもなんでもない。 単に自然現象が偉大だっただけの話だ。
だから、この場合は一工夫している。 実はこの場所にはカラスも多く飛んでいた、
なので、ちょっとだけ粘って撮ってみて、ちょうど何匹かのカラスが森の木の上を
飛んだシーンを撮ってみた。
カラスといえば、なにやら不吉な事が起こる前兆の鳥であるというイメージがある、
これはカラスが腐肉を食べたりする習性があることから来るイメージであると思うが
この写真ではそれを利用して、彩雲と言うなら、なんとなく良いことが来るように
思えるところを、ちょっと不吉なことがあるかもしれない、とう作画意図を狙っている。
森田「ほほう・・ なるほど、なるほど、そう撮るのですか」
でも、これは正直、作画表現的な失敗写真だ。 不吉なイメージであれば、不吉なように
撮らなくてはならない、あるいは不吉なようにレタッチをほどこさなければならない。
けど、実はそれをやりかけて、やめてしまった。 だって、不吉な写真を創り上げて
いったい誰が喜ぶのだろう?・・という表現の倫理性がある、だからここではむしろ
ごくわずかにアンダーにレタッチをして、結果的に彩度も高くなったように見せて、
あまり不吉なイメージにならないように仕上げてみた。
すると結果的に「カラスは何の為に飛んでいるの?」となってしまった、
作画意図はあったけど、作画表現でバラバラになってしまった1つの失敗例である。
森田「良くわかりました、表現といっても、誰に何のために見せるのか明確な目的が
必要なんですね、暗いイメージの写真は特に気をつける必要があると。」
じゃあ、こんどはちょっとユーモラスなイメージの写真。

これは当然、お地蔵さんであって、背景を少しボカしながらも、ここが神社である
ことを明白にするくらいのボケに留めている。
で、ポイントは、神社のとお地蔵さんの間にある草の垣根、そしてお地蔵さんの持つ
神器(?) よく見ると、これは鼓笛隊の指揮者のようなイメージで、神社から外に
出てきて鼓笛隊を指揮しながら歩いているような風に見えないかな?
森田「はい、確かにそんな風に見えます、でも何故ですか?」
2つ特徴がある、まず草の垣根は、一般に建物などの敷地と外を区切る目的のものだ、
だから、画面上にそれを入れると、内と外の切りわけのイメージとなる。
で、もうひとつは、お地蔵さんが僅かに傾いて見えること、でも神社の柱はまっすぐ垂直に
写っているから構図上の傾きでは無いことがわかる。 じゃあなんで傾いて見えるか、
これは被写体と背景に正対していないことからなる遠近感による擬似的な傾きなんだ。
傾いているから、まるで指揮者が指揮棒を振りながら歩いているような、そしてそれが
お地蔵さんだ、というユーモラスな作画意図ができる。
森田「なるほど、わずかな傾きが動きを表現しているのですね」
そして、もうひとつ、とても重要なことなんだけど、よく初級者が「ワタシの写真は
傾いてしまって・・」ということがある。 周囲の無責任な中級者が「じゃあ三脚を使えよ」
などとトンチンカンなアドバイスをすることがある、で、これはその中級者が誤りである。
何故ならば、もし今回の写真でこの位置から被写体を傾けないで撮ることは不可能なので
ある、もしお地蔵さんの垂直線を整える角度で撮ればこんどは背景の神社が傾く。
つまり、両者を垂直に撮ろうとしたら、両者が一直線上に並ぶようなアングルから
撮らないと無理なのである。 だから、このアングルを選んだ時点で画面全体が傾かない
ように撮ることはできない。
でも、傾けない写真が良い写真、上手な写真というわけではない、何故ならば
この作例での擬似動感効果を作画意図とするならば、作画表現上からは
「被写体と背景を正対させない」角度から撮るしか無いからである。
森田「むむむ・・ 狙う角度を変えてわざと傾けるなんて・・ そんな高度なことは
わたくしには絶対できないと思うのですが・・」
それでもいいですよ、あえてそんな高度な技術をつかわなくても、まあ画面内の全ての
被写体を傾けずに撮ることができない場合がある、とだけ覚えてもらったら良いです。
そうしたらカメラを構える技術が問題となっているのか、構図やアングルの選び方が
問題なのか、少なくともその区分はすることができる。

森田「これはいったい・・・ 葉っぱが光ってます、蛍光塗料を塗ったのですか?」
あはは・・ まさか・・ 実はこれは森ともいえる非常に暗い小道で、木漏れ日に
逆光気味にあたった葉っぱがこんなイメージに見えたのです、で、もしここでそのまま
写真を撮ると、カメラの露出計は、もっと全体を明るく整えようとします、
そこで強烈にマイナス補正をして、葉っぱの光だけが適正な露出にするようにします、
すると他の部分が全部シャドウ側に見える写真ができあがるわけです。
森田「ふう・・ マイナス補正ですか?」
設定の数値はあえて言いません、原理だけ覚えていただければいいです、
つまり写真とは、光をそのまま表現することはできません、だから光をイメージさせよう
と思ったら、影をつくってそこに光を認識できる環境にすることが必要なのです。
中世の西洋絵画の世界では、光を表現しようとして、絵自体がどんどん暗く(アンダーに)
なっていった時代がありました。 それと同じですね。
写真で同様に光を表現しようとすると、写真自体がどんどんアンダーになっていきます、
これがいきすぎると、アンダー病とまで言われるほどの症状になってきます、
アンダー病の原因は、1つはもちろん光を表現したいという願望から、もう1つは
以前EMAに諭したように、自らの表現の方向性を必要以上に「暗い」方向に傾けて
しまうこと、「暗い表現」は、まあ時にはそれでもいいですが、毎回毎回それでは
見ていて大変疲れてしまいます。
ちなみにこの対策ですが「光があるところでなければ影はできない」ということわざの
ように、作風に幅をもたせてあげて、明るいイメージの写真の後で暗いイメージの
写真をもってくるなどで、よりダークな印象の写真のインパクトを高めるという手法を
学ぶと解決できるでしょう。
最後の原因は、パソコンのモニターを明るく設定しすぎていることです。
モニターが明るいと、自分では標準的明るさだと思っているのに、世の多くの平均的な
パソコンのモニターで見るとアンダー調子になってしまう。
で、これの解決は、他のブログやHPの写真と見比べて自分の写真の明るさを相対的に
判断することです。 他の人の写真がみんな明るく、自分の写真だけが標準的明るさ
ならば、それはモニターを明るく設定しすぎているということになるわけですね。
森田「なるほど、パソコンの明るさ設定も重要なんですね。
ところで、わたくしのズームレンズはよく皆さんに「暗い」と言われるのですが
暗いレンズを使うと、写真も暗く写ってしまうのでしょうか?」
え~と、その「暗い」というのは、心理的イメージじゃなくて、物理的に明るいか暗いか?
ということですね・・
それならそんな事はありません、どんなレンズで撮っても写真の明るさは一緒です。
森田「え? どんなレンズでも・・ ですか? それはいったい・・?」
カメラの露出の原理ですよ、カメラに内蔵(または単体)の露出計は、その場の明るさに
応じて一定の露出値をはじき出す、まあ、カメラによって多少の誤差があったり、いわゆる
測光方式によって、多少の差は出てきますが、ここでの論点からすれば「同一」と言って
いいでしょう。 で、その露出値を、人間が(マニュアル露出モードで)絞りとシャッター
を設定して合わせて使うか、あるいはカメラが勝手に(プログラムモード)それらを調整
してくれるか・・ いずれにしても同じ露出値になりますので、レンズの差はありません。
森田「じゃあ、明るいレンズというのはどういう意味なんでしょうか?」
第一に、同じ条件(その場の明るさ、ISO感度)ならば、F値をより小さく(絞りを開く)
設定できるので、暗いレンズに比べシャッター速度が速くなるという意味です。
(これを英語ではハイスピードレンズと呼ぶ)
第二に、第一の理由から、暗い場所でも撮れる。(開放F値が明るくシャッター速度が
速くなり手ブレしにくくなる)
第三に、これは明るさとは直接関係ありませんが、絞りを開けると背景のボケ量を大きく
設定することができます、つまり、表現の自由度が増す。
表現の自由度というのは、これはもし暗いズームと比較すると、
たとえば(銀塩換算)28-90mm/F3.5~F5.6のズームと、85mm/F1.4のレンズ
を比べてみると、同じ85mmの焦点距離で、ズームは、F5.6までしか開けられない、
対して、F1.4の方は、F5.6からF4、F2.8、F2、F1.4の4段(1段はそれぞれ
明るさ(=シャッター速度)が倍になる)の絞り値を自由に使える、つまり、もっと
背景をボカそうとしたとき、あるいは、中間のいいボケを狙ったときに、ズームより遥かに
大きな選択肢があるということなのです。
森田「ううむ、わたくしには少々難しいところもありますが、だいたいわかりました
つまり、ズームはボケないんですね。」
条件が揃わないと無理ですね、条件というのは、
まず被写体までの距離、これはできるだけ短いほうが良い、
第二に被写体までの距離に対する背景までの距離差が大きい事。
まあ、これだけですが、初級者の場合は、被写体しか見えていないから、背景まで
配慮して写真を撮るのは難しいでしょう。 だから、まずズーム+初級者の組み合わせ
では背景をボカした写真を上手く撮れません。
でも明るい、つまり大口径レンズはそんなことはありません、多くの被写体条件で、
絞りをくいっと、開放側にしてあげれば、さまざまな状況で背景をボカした写真を撮る
ことができます。
初級者は大口径レンズのメリットが理解できないから、そうしたレンズに対する投資を
することはありません、つまり誰も買わない。 だから、背景がボケた写真を見ると、
機材の事がわからない人でも「わ~、プロっぽい~」と言ったりします。
だから、50/1.4や、大口径でないけど、90/2.8マクロのように近接して背景を大きく
ボカすことができるレンズを買うと、調子に乗って意味もなく背景をボカしただけの
写真を連発します。
ちゃんとわかってやっているならEMA風に「ボケラー」と言うことができますが、
なにもわかっていないでただ背景がボケた写真がいい写真だと思っているならば
単に勉強不足か、あるいは「開放病」と呼ばれる症状なわけですな。
ちょうどいいから、そんな作例を1枚、これです。

森田「これは・・ ううむ・・ わたくしは、なかなか良い写真だと思いますが・・?」
この作例の評価は微妙ですね。 写真として見せるならば、もう少し絞を絞って背景を
もうすこしくっきりしてやらなければなりません、つまりこの写真はボケすぎなのです。
でも、まあ、ボケすぎとわかっていて、あえて表現としての「ボケラー」を意識するなら
これはこれで適切な背景ボケなんです。
でも「ボケラー」は流行的要素もあります、つまり初級者に大口径を持たせると、
皆が皆、こんな写真になってしまいます。 初級者が、デジタル一眼レフを買って
そこに大口径、つまり50/1.4や85/1.4、100/2といった単焦点レンズを購入することは
まずありません。 初級者の「写真機材」への経済感覚では、中古のMF一眼レフに
おまけで50/1.4がついているのを、3万円前後で買うのがせいいっぱい。
で、そんなカメラを買って写せばこんな写真が撮れる。
それで、その写真を見る初級者は皆こう言うのです「銀塩(フィルム)カメラって、
柔らかいイメージの写真が撮れるのですね・・ ワタシもやってみたいな・・」と・
そりゃあ全然違うでしょう! レンズの投資や勉強をしないから、いつまでたっても
わけのわからない事を言っている。 カメラの事がさっぱりわからないと言っているなら
真剣に学びたかったらちゃんと投資するべき点には投資しなくちゃ。
50/1.4がついたMFカメラを買った初級者だって、その後、交換レンズを買いそろえる
人はいない、だったら何のための一眼レフなの? レンズも交換しなくて同じボケボケ写真
ばっかり撮っていても意味ないでしょう?
それで、いままではX-700にMD50/1.4がついていたのに、それに限界を感じて
今度はOM-1にズイコー50/1.4がついているのを見かけてこういう、
「このカメラ小さくてカワイイですね、このカメラで撮ったらちょっとは写真が変わるかな?」
・・同じ50/1.4がついて、みんな開放で撮るなら、一緒ですよ、一緒。
カメラで写真は変わりませんよ、写真はレンズで変わるのです。
森田「はあ・・(汗) わたくしも、じゃあ、年金をやりくりして明るいレンズを
買いますよ・・」
いえ、必要ありません。
森田「え? 何故ですか? ・・・だって、今、初級者は機材に投資をしないと・・」
必要というレベルがあるのです、今は森田さんはまだ、何をどう撮ったらいいか、
わからない段階です、そんな状況で、レンズだけ増えても、余計迷うだけですよ。
森田「はあ・・」
まあ、いずれもバランス感覚ですね、ズームであと半年くらい一所懸命撮ってから、
その後で考えるといいでしょう・・
じゃあ、次の作例ね。

森田「どこかの遺跡ですか? 青空が綺麗ですね。」
はい、これは田能遺跡です、今から40年ほど前に。多数の人骨や装飾具などが
ここで発掘され当時大騒ぎになったと聞いております、ここでは小規模ですが、
記念館があって、その遺跡を保存しています。
森田「で、この写真との関連は?」
まず、これは人工物を一切入れない撮り方です、EMA風の「チョコラー」のように見え
ますが遺跡とは言え、色々と立て札やら背景にも電線やらがあるのが普通です、
それらを一切入れない角度にしたら、こうなりました。
ちなみに、わざど高圧線の鉄塔と電線を入れた作例も用意したのですが、そちらの
作画意図は「古代と現代の対比」を狙ってみたものの、どうもあまりしっくりこなくて、
ボツにしました、
古代と現代ならば、現代は、高圧線の鉄塔では、やや役不足だったわけですね・・(苦笑)
森田「よく風景写真などでは、人工物を入れてはいけないと言われますが・・」
だから、それも作画意図次第ですよ、風景の中の人工物が作画意図的に意味があるなら
どんどん入れていけばよいのです。 シニアの写真サークルでそういうことは言われると
思うのですが、お手本をなぞるのが写真教育なんかじゃないんだから、そんな、あれしちゃ
いけません、これしちゃいけません、などとまるで幼稚園児のような指導を受ける意味
なんか何もありませんよ。風景+人工物、結構じゃないですか、どんどんやってください。
森田「わかりました、これしちゃいけない、ではなくて、こんなことをやってみたいと・・
けど、意味がなくそれをやってはいけない、意味を持って行動するのですね」
はい、その通りです、それがすなわち創造性であり、つまり「作画意図」なのです。
じゃあ、次の作例ですが、エノコログサ(ねこじゃらし)

森田「こんな路傍の雑草の写真が・・ ふうむ・・ 何故これを撮ろうとされたのですか?」
まず夕方の西日が見事に逆光であたってました、だから、これらの草は綺麗に光っていた
わけですね、秋の草、すすきとか、ねこじゃらしとか、あるいはコスモスとか、こういうの
は夕陽の逆光は実に似合います、ちょっと「たそがれ」のイメージが出るのですね。
ついでに「風」のイメージも欲しかったので、絞り込んでスローシャッターにして、
軽くブレるくらいにしてみました、とは言え、実際に風も吹いてましたよ、だから
ねこじゃらしの穂があらゆる方向を向いているわけですね。
森田「なるほど、雑草を撮るにも作画意図を込めなさいというわけですね」
その通りです、何も考えずに撮る写真なんて、1枚もありません、
何故ならば、貴方はそこでシャッターを押したかった、それは何故ですか?
人間なんだから、何も考えないでシャッターを押すわけが無いのです。
じゃあ、次です。

森田「放置された自動車ですね。 だいぶ壊されてますね。」
これは、いわゆる「廃物系」といえますがちょっと違います。
廃物系写真とは、古く朽ちたものを撮ることで、時の流れを主に表現するとともに、
ごくまれに、その社会的意義、つまり「こんなことでよいのか?」と是非を問うような
場合が含まれますが、あくまで、古い、朽ちた、ということが主題です。
対して、「社会派」的写真については、社会問題を取り上げて、直接的・間接的にその
是非を見る人にゆだねるという表現があります。
報道写真の究極はここにあります。 私はよく報道写真展などに行って世界の優秀な
作品と評価されたものを見てきますが、その全部が全部、社会的な問題を取り上げて、
それが見る人の気持に訴えます、とは言え、それはほとんど「こんなことではいけない・・」
という気持ちなのですが。
まあ、報道写真というと、事実をありのままに伝えるものと誤解されやすいですが、
今時の報道写真でそんなクールな視点のものはほとんどありません、そこには写真を
撮った人の名前などは表面に現れることは少ないですが、それでも、ほぼ全ての
報道写真には作画意図が含まれます、事実を客観的に表しているような報道写真は
皆無と言ってもいいかもしれません、撮る以上は、新聞や雑誌の読者に「こう見てほしい、
こう解釈して欲しい」という意図がバリバリに含まれています、これはスポーツ報道写真で
特に顕著です。
スポーツ新聞の写真は、作画意図の塊です、勝ったチームは誇らしげに、負けた
チームや選手は、悲しみのや怒りを前面に押し出して表現されています。
森田「なるほど、よくわかりました・・ というか、わたくしは今まで何を習って
きたのでしょう? 報道のカメラマンは被写体に何の感情を込めてもいけないとか・・」
だからさっきも言ったでしょう? 何も無いのに意味もなくシャッターは切りませんよ、
それは銀塩でもデジタルでも同じです、デジタルだから意味もなくシャッターを切るなんて
そんなこともありえないでしょう?
じゃあ、次の作例です。

森田「どこにでもある通信鉄塔ですね? EMAさんのチョコラーでしょうか?」
今、チョコラー技法を論理的に分析しています。
EMAに言わせれば、感覚で「ちょこっと具合」を決めるのでしょうが、さすがに
それはあまりにアバウトすぎる、じゃあ、チョコラーを真似る若い女性達に色々
聞いてみると「ちょこっと入れる割合が難しいのよね」という答え。
ふうむ、なるほど、それは何故かということなんだけど、ここに1つの答えがある。
つまりチョコラーの真髄は「構図に占める各被写体の存在感の総和が等しい」という
ことなのだろうと思う。
たとえば、この被写体を何故撮ったか? ①赤と白の目立つ鉄塔、②青空、③白い雲
④木の葉の緑 の対比がそれぞれ印象的だったから、その4つの被写体を欲張って
入れてみた。 普通は、鉄塔を主役にしてドドーンと入れて、あとは全員脇役、となるの
だけど、チョコラー技法はそうではない。
全員が目立たず、うまく調和していて欲しい。 すると、この写真のような構図となる。
どの被写体も主張しない、うまくバランスされている。
まあ、もしかすると鉄塔はもうほんの少し小さく、木の葉はもうほんの少し多くした
ほうがよかったかもしれないが、まずまず良いバランスだと思う。
チョコラーは空(+雲)と建物の一部で構成することが多いが、たとえば何の特徴も
ない建物であれば、チョコラーといえども、かなり大きな面積を画面内に含ませないと
バランスできない。 それに対し、教会の塔の先端の十字架とか、風見鶏、そういった
目立つ被写体の場合、存在感を消すために、かなり小さめに入れないとチョコラーは
成功しない。
森田「そんな事まで考えて写真を撮らなくてはならないのですか?(汗)」
・・・いえ、問題なのは逆です。 たぶん論理的に説明すればチョコラーの原理は
この通りです、でも、問題なのは、何故そうやって撮っているのかを今まできちんと
説明できる人が1人もいなかったことです。
「カンだよ、カン」 「センスって言うのかなあ?」 「ワタシの感性だから」
そんな言い方でしか、自分の考えている事を説明できないというのが大問題なのです、
だから、せっかくのノウハウとか感覚的表現力とか、創造性とかが、ちゃんと教育や
指導として人から人に伝えることができなくなる。
誰にもその意味を説明できない表現力なんか、価値が無い思ってもいいでしょう。
じゃあ、最後の作例です。

森田「おお、綺麗なコスモスですね・・ いい写真です。」
・・・そうでしょうか?
森田「へ? いい写真じゃないんですか?」
私的には、これは失敗の作例です。 とは言え技術的にではないですよ、表現的にです。
どこがどう良くないのか、森田さんにおわかりでしょうか?
森田「ううむ・・ 全然わかりません。 わたくしは、構図って良くわからないのですが、
そうした素人目でも、この構図は完璧なように見えるのですが・・(汗)」
じゃあ、これは森田さんへの宿題にしておきましょう、どこが悪いのか、今度・・とは言え
まあ焦らないですから、いつか答えを探してきてくださいね・・