リレーバトンなるものがある。
あるテーマを決めて次々とそれをブログ間でリレーしていくものだ。
個人的には、これは昔流行った「幸福の手紙」なるものを連想してしまい好まない。
その裏には最初にそれをスタートした人が一種の愉快犯的に、自分のバトンが広がる様を
観察しているような気がするのも、どうも虫が好かない。
さらに言えば、ブログの毎日のネタに困っているような人が、そのネタに飛びつく様子も
見ていて格好悪い。
ネットの世界の伝播力は強いから、悪い無限連鎖はどこかで断ち切らなければならない。
・・・なので、今までこの手のバトンはすべて丁重にお断りしてきた。
けど、今回の写真バトンは、内容を見るとテーマ的には面白いものであり、
さらに、
必殺勤め人さんや、
ニセコの依田さん、
マッシュさん等を経由して
伝わってきたものであり、プロ級あるいはプロそのもの、とそうそうたるメンバーからの
お話であった。 これをムゲに断るのは失礼にあたるであろう。
ネタに困っているわけではないが、せっかくなので、このバトンの機会を有効に活用させて
いただこうと思う。 通常のバトン形式ではなく、自分なりになんからの要素を加えていって
別の形に変えていきたい。 いつも言っているように「情報のバケツリレー」は意味が無い、
なんからの付加価値や個性を加えていって初めて意味のあるものになると思っている。
・・・というわけで、新シリーズとしていただいてしまった(笑)

テーマ1:最近思う『写真』
このテーマは抽象的だよね・・(苦笑) なんとでも解釈できる。
それぞれの立場で大きく答え方は変わってくるだろうな・・
皆がいちばん感心のあるテーマは何なんだろう? 銀塩対デジタルか? いや、それでは
まるでどこかのカメラ誌だよ。 プロとアマチュアの差か? いや、それも、両方の要素を
同時に持っている人は少ないから、必ずどちらかに偏った視点になってしまう。
ならば記録写真と芸術写真か? それもまあ目的が違えば議論も全然かみ合わない・・
「そんな一般論はどうでもいいんだ、匠が自分で思っている事を書けば良い・・」
・・・はあ、ごもっともで(汗) じゃあ今回はそうさせてもらう。
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のっけからなんだが、正直な話、私は、「写真」というものがなんだかよくわからない(汗)
勿論説明もできないし、自分が何で写真を続けているのかも良くわからない。
(・・というか、きっとそんなの、悟りを開いた仙人でもないかぎり、誰にもわからないだろう・・)
言えることは、私はほぼ100%趣味でやっているわけであって、まあ、たまに頼まれ撮影で
お金を貰って写すこともあるが、それで生計を立てているわけではないから、あくまでも
アマチュアである。
何故写真を撮っているか?といえば、以前は私は「写真」にはまるで興味がなかった。
じゃあ何に興味があるか?と聞かれると、ずばり「カメラ」や「レンズ」であった。
一般的な言葉で言えば「マニア」に属すると思う。
「カメラ」をやっていなかった頃は、色々なところに旅行に行ったりするのにも写真を1枚も
撮らなかった。 だって、目の前にこんなに雄大な風景や美しい景観があって、今それを
見れるという時間を過ごしているのに、何故わざわざ無粋なカメラのレンズを通して
感動を大幅にスケールダウンして2次元の写真なんぞに収めなくてはならないのだろうか?
それでも、ごくたまに撮る写真は、その場の感動のかけらも写し出してはいなかった・・
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しかし、ある時、私は、メカの魅力としてのカメラにハマってしまった。
元々メカ好きで、楽器やバイクやパソコンなどを色々買っていじくり回していたので、
カメラという新しい玩具は、私の知的好奇心を満足させるのに十分な要素があった・・
当時の恋人もまたカメラ好き・・ 相互にエスカレートした趣味は、著名なカメラやレンズ
を大量に買いあさるという行動に走ってしまい、いわゆる泥沼状態になった・・(汗)
それでもカメラやレンズをただ集めているだけで実際には使用しない「コレクター」に対して
は反感を持っていたので、色々なところに遊びに行きがてら、それらのカメラやレンズで
ちゃんと写真を撮った。
次々に写真を撮りにいかないと、次々に買うカメラやレンズが使いきれない・・(笑)
ス-パーでダイコンを買うよりレンズを買う方が多かった・・
「今日はレンズを6本買ってきた・・」
「来週は試し撮りに行かないと、半年前に買ったあのレンズ、まだ使ってないや・・」
経済的に恵まれているのではないか? と思われるかもしれないけどそうでは無い・・
カメラやレンズはほぼすべてを中古で調達した。大阪中の中古カメラ屋をしょっちゅう
徘徊して、欲しいレンズを1円でも安く探し、ついには韓国まで買出しに行ったこともあった。
おかげで、沢山買ったカメラやレンズの平均取得価格は、定価の30~40%程度で
収まっていると思う。
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・・そして写真を撮ると言っても、ほとんどがカメラやレンズのフィールド(実践)テストを
しているようなものであった。
同じ被写体をレンズの絞りを変えて・・と言っても被写界深度の確認をしているわけでは無い、
・・・写真(カメラ)の勉強は、カメラ機材の収集と同様に熱心にやった。
しかし、カメラ関係の書籍を次々に買うのもお金がかかるため、2つの図書館に通って、
それぞれの写真・カメラ関係の棚にある本を全部読破した・・ これには3年かかった・・
ムック本の類は図書館には無いので、これは沢山買っていた。
雑誌はカメラ屋に備え付けのものとか他のお客さんが置いていったものを貰い受けて
読んでいることもあったし、自分でも良く買ったと思う。
そんなこんなでいちおう絞りがどうのこうのとか、そんな知識はすでに身につけていた、
絞りを変えて撮る写真は、レンズの描写性能のクセを見抜くものであった。
良いレンズと言われるものは何が違うのか? 計測機器も無いし統計的な集計をきちんと
したわけでもないが、いつもそんな事をしていると、だいたいレンズの良し悪しが分かるように
なってきた。 そして、それが一般的に良く売れているレンズが必ずしも良いレンズでは
無いということもわかるようになってきた・・
もう銀塩では買うもの(欲しいもの)が無いと思われたころ、デジタル化の波が来た。
デジタル化に備え、勉強もしてきたし、当時の仕事の関連で画像圧縮やらも研究していた
経緯があるのだが、私は、当初はデジタルの写真には懐疑的であった。
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その以前の仕事で、デジタル音響の研究をしてきたので、アナログからデジタルの推移は
もう十分音楽の世界で体験してきた。映像、すなわち写真にも同様の変化が起こることは
目に見えてわかっていた。
だけど、私にとって写真とはアナログ(銀塩)であった、
アナログで膨大な投資(時間、金銭)を行ってきた以上、そう簡単にデジタルを認めるわけ
にはいかない・・ でも世の中はきっと急速にデジタルに変化する、楽器(音楽)がそうで
あったように・・
私はいまだにアナログの(アコースティックの)楽器は大好きであるが、とは言え、一方で
新しいデジタル楽器のメリットも理解している、だってそれが仕事だったのだし、あえて
言うなら、アナログの楽器は趣味の世界であった。
生産性や効率を考えると、アナログはデジタルに太刀打ちできない。
もちろん趣味の世界でやるなら、アナログは十分に魅力はあるし、それは否定はできない。
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写真のアナログからデジタルへの変化は、本来もっとドラスティック(劇的)に変化して
いかなくてはならないものだと予想していた。 楽器(音楽)では、デジタル化は急速に
進み、レコードからCDへの変化や、アナログシンセからデジタルシンセへの変化や
アナログ録音からデジタル録音への変化は、それぞれ僅か数年で完全に置き換わっていき、
最初は「デジタルの音なんて・・」って言って笑い飛ばしたチープな音質(的性能)も
ほんの数年で、専門家の耳を持ってしても聞き分けがきないほどにまで技術が
進化していった。
その急速な変化についていけず、倒産したメーカーとか、止めてしまったスタジオとか、
流行らなくなった楽器屋とか、あるいはミュージシャンや個人の類まで、変化に乗り遅れた
結果は無残なものであった。
映像(写真)の世界の変化は思ったよりずっとゆっくりであった。
デジタル一眼レフが一般的になって、5年、いや3年くらいか・・
銀塩とデジタルの交代は急速には起こらず、依然私も銀塩を併用している。
これは携帯電話が3年ほどで急速に普及したよりも、やはり遅い変化であろう。
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私は、デジタルの世界が広がっていくと、アナログの世界のように、その道具(あるいはメカ)
を使いこなすこと自体が技術ではなくなることを直感していた。
まずは、基本的な部分のクオリティの水準が上がることである。
アナログのバイオリンをちゃんと音を出すのは大変だが、シンセサイザーでバイオリンの
音を合成し、それを鍵盤などで弾くならば、誰にでも簡単にバイオリンの音が出る。
でも、もちろん100点ではない。 80点の音だ。
生のバイオリンを弾くなら、弾く人によって、0点から100点までの開きがある。
シンセのバイオリンは、80点から100点の開きしかない。
じゃあ、どこで差をつけるか? それは、1つはシンセのバイオリン音を使いこなす
テクニックである。 パラメータ設定やPC(MIDI)によるベロシティコントロール
などの純粋技術的な面と、バイオリンの和音展開や奏法を理解してそれを鍵盤演奏や
PC(やMIDI等)によるコントロールに置き換えるというソフト的技術面がある。
さらにもう1つは、表現である。
ホンモノのバイオリンがシンセに置き換わったとしても、やはり音楽として表現する以上は
抑揚や弾き方や即興的な要素や、さまざまなエクスプレッション(表現)が存在している。
ならば、デジタルに変わったことによるデメリットなんかほとんどない。
それらの特徴を活かせば、最低ラインの80点が保証されている音楽になるのだし、
必要ならば生のバイオリンを持ち出しても全然問題は無い。(ミックスまたはハイブリッド)
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・・・で、そもそも何故(人と)差をつけなけければならないのか?
「趣味でやっているのだから競争をする必要は無いだろう・・」
ごもっともである・・ 私も競争しろとは言っていない。
ただ、これは趣味だから・・・ といういいわけをして、いい加減にはやりたくない、
差をつけるのは勝ち負けではなく、個性の主張である、それを表現と言い換えても良い。
「差をつけたくないから、皆と同じことをやるんだ、差が出ると(目立つと)格好悪い・・」
・・・おやおや、別に写真や趣味や仕事に限らず、そんな考え方では張り合いが無いでしょう?
要は自分を表現してそれが否定されると自分が傷つくから何もしたく無いと逃げてしまう・・
その気持ちはわかるよ・・ 私は歌が下手だから、人前で歌えなどと言われたらイヤだと
逃げるからなあ・・ でも、ここ2年くらい前から、ボチボチとそのイヤな歌も、
カラオケで歌ったりできるようになった。 そりゃあ他の人よりはるかに下手だけど、
私はそれより人前で歌えるようになった事のほうがずっと嬉しかったよね・・
そもそも歌が下手だったから楽器を始めたようなもんだったしなあ・・(笑)
ずっとコンプレックスに思っていたことが解消できるって、嬉しいよね・・
だから、まあ、差をつけるんじゃなくて、自分を表現するんだよ。 それが社会とか
コミュニティの中で生きていくことだろう?
そして、逆にもし、何も表現したくない、コミュニティなんかに参加したくないというなら、
写真なんか誰にも見せずに、ブログだってやらなければいいじゃないか?
そもそも、じゃ、何故写真をやっているの? ということにならないか?
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・・・そして、私は、デジタル一眼を手にしてから、カメラをハード面で勉強することを
一切止めてしまった、勉強するべき知識はすでにあり、そこからいくら突き詰めても
もうその先は必要以上に狭く、深くなりすぎることに気が付いたからである。
それに対し、写真のソフト面、たとえば表現とかの奥行きの深さはどうだ・・
音楽の例を考えてもわかるが、シンセとかいった楽器はもうあまり進化しない、
けど音楽はいくらでも無限に出きてくる。
よく「音程は有限だし、ドレミファソラシの7音しか無いから、もう音楽の組み合わせは
尽きてしまうのではないか?」などと、トンチンカンな発言をする人も見てきたが、
あいにくそんな心配は無用であって、今日もまたどこかで新しい音楽表現が日々
生まれていくのである。
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私は、未だに自分でもよくわからない「写真」というものを自分なりに突き詰めていきたいと
思い始めた・・
そこに何があるかは良くわからない・・・ 写真を撮るために道具を扱う「技術」は持って
いるが「表現」に関してはまったくの素人・・ 超アンバランスな状態でのスタートであるが
人間は前向きに進もうとしていれば、そこになんらかの進化はある。
私の写真は正直上手くはないが、今の現時点でそれを言われても関係ない、
何故ならば、来月、あるいは来年、あるいは数年後には、もっと色々な事を理解して
いっているだろうから、それに伴い、きっと上手くもなっているであろう。
スタートした時点が遅いんだから、しかたがない。 それを苦にする暇があったら、
写真を沢山とり、他の人の写真を沢山見て、自分なりに勉強していけばいいだけの話である。
誰しもがみな現在の能力で止まっていると思ったら大間違いである、
何をやるにしても、進歩しなけれれば意味は無いし、現状に満足してもならないし、
将来(未来)に希望をなくしてあきらめるのも意味が無い。
色々な事を否定したり、いいわけしたり、他を批判する暇があったら、前へ進むための
努力をしたら良い、その方が結果的に自分に見返りがあるわけであり、それは趣味
(あるいは仕事でもいいが)を極めていくことの重要な目的の1つなのであろうと思う。
私にとって「写真」とは永遠に未完成な未知のものであって、だからこそ、今後ずっと
長く続けられる趣味として楽しんでいけるものだと思う。