良く聞く言葉の「超ド級」(超弩級) 怪物のように飛びぬけて凄い、巨大なメカの事などを指す。
これは、もともと、戦艦の名前だと聞く。
第一次大戦後の英国戦艦「ドレッドノート」、その頃の他国の戦艦が25cmまたは30cm
砲クラスを数門搭載していた程度であったところに、一気に30cm砲を10門搭載。
しかも斉射(片側同時射撃)が可能という圧倒的な火力を見せつけ、一瞬で他国の戦艦を
時代遅れのものにしてしまった。
衝撃的な事実に驚愕した各国は、ドレッドノート級の戦艦を超えるべく、次世代の
「超ド級戦艦」(超弩級戦艦)を必死に開発したと聞く。
だから、現代使うべき「超ド級」というのは、本来、怪物クラスの「ド級」が既にあって
その上を行く「超ド級」というのが筋なのだが、まあそうした歴史を知らなければ
凄いメカの事を「超ド級」と言う風潮が広まっていってもしかたがない・・
ちなみに、フォークギターの「ドレッドノート型」というのも、この戦艦の名前が語源
になっていると聞く・・
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<超ド級カメラの歴史>
カメラの世界でも、「超ド級」に匹敵する出来事が何度かあったと聞く。
1950年代のライカM3・・ 実はそれ以前のバルナック型ライカは、35mmカメラとしての
完成度が高く、そのスタイルは広く普及して・・つまり、模倣品が沢山出ていたと聞く。
日本国内のメーカーでも当時からあったキヤノンをはじめ、バルナック型ライカのコピー
製品の種類は多く、一説では、AからZまですべてのアルファベットを冠するメーカーが
乱立したとも聞く。
そこに、圧倒的な完成度を持つ新型ライカM3が登場。 多くの国内メーカーはその技術に
太刀打ちできないと思いカメラの製造をやめてしまい、現代あるいは数年前までカメラ製造
を行っていた老舗メーカー+α程度に絞られたと聞く。
ただ、レンジファインダーではライカM3に到底勝てないということで日本では一眼レフ
タイプのカメラの開発が推進され、それから十数年後の1960年代後半からほぼ
2003年頃に至るまでの、銀塩一眼レフの黄金期が続くことになる。
そしてその間においても、「超ド級」は存在する。 まず1985年の「αショック」である。
αショックと言うと、新しいカメラファンは、2006年にコニカミノルタがカメラ事業から
撤退した事を思い浮かべるかもしれないが、最初のαショックは、オートフォーカスの
搭載の事である。 1980年台の前半では、各社はすでにコンパクトカメラで普及が
はじめっていたAF機能を一眼に搭載しようと模索し、実験的なカメラ(例:PENTAX ME-F
やNIKON F3AF 等)と、専用のAFレンズを発売はしていたのであるが、暗い所でピントが
合わなかったり、遅かったりと、どれも実用的になるものではなかったと聞く。
そこに、ミノルタから満を持して「α-7000」が発売された、実用的にきちんと合うAFと
広角から望遠まで沢山のαレンズが同時にラインナップされ発売された。
可哀想だったのは、α-7000とほぼ同時にAFカメラ「T80」を発表したキヤノンである。
こちらは、α-7000と比べると非常に見劣りするスペックだったため、キヤノンは、この
カメラを「歴史上無かったもの」として闇に葬った。 私の家には、キヤノンのカメラが
年代順に沢山乗っている大型ポスターがあるのだが、この中にT80は載っていない(汗)
しかし、発売されたカメラではあるので、たまに中古で1万円台くらいで見かけることも
ある、さすがに食指は動かないのだが、いずれ歴史的な価値で買ってやろうかと思う時も・・
ちなみに、この後、キヤノンはMFの名機T90を発売する。 ・・これは私も愛用している。
さらにその数年後、キヤノンはそれまでのFDマウントを見限って、EFマウントの
EOSで全面的にAFに移行した。 αショックが無ければ、「超ド級」のEOSシリーズ
の登場は大幅に遅れたかもしれない・・・
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そして、その後は、カメラの世界では他社がすべてひっくりかえる「超ド級」の出来後は
無かったのかもしれない・・
近年のEOS KISS Digital も 銀塩α-7 も近い線はいっているが、どちらも小ぶりな
カメラなので「戦艦」の堂々としたイメージは無い。
あとは、まあ言うなら、1996年のNIKON F5くらいか・・ただ、EOS-1N(RS)が存在していた
ので圧倒的というイメージは無い。そして、むしろF5で思い出すのは、最後の大艦巨砲主義
の「戦艦大和」の話である。
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<大艦巨砲主義の終焉>
第二次大戦に至るまで「超ド級」の開発思想を進めていた帝国(日本)海軍は、どんどん
巨大な戦艦を作り続け、30cm砲が、36cmになり、40cmになり、ついに46cmの
世界最大口径を持つ砲を搭載した大和、武蔵を完成させる。 その射程距離は4万mにも
および、この距離では敵戦艦は地球が丸いから水平線の向こうにあって見ることができない
というシロモノである。 まあ、つまり限界ギリギリまで性能を上げていた。
しかし、時代はすでに「航空機」に主役が移っていた。 帝国海軍自らが真珠湾奇襲や
その他の海戦で空母機動部隊と航空機が近代戦の主力であることを証明しており、戦艦に
よる艦砲戦など数える程しかなかったのに、ある意味海軍の象徴的存在としての、
巨大戦艦を巨費を投じて作り続けた。
大和、武蔵がほとんど実戦で役にたたなかったため、三号艦「信濃」は途中から巨大空母に
改造された。 この信濃は一応完成したものの、すでに制海権を失っていた状況で、戦闘に
参加する以前の回航中に、米潜水艦の魚雷攻撃で簡単に撃沈されてしまったという
歴史を持つ。(その直後、建造中の大和級4号艦が中止され、解体されたと聞く・・)
ニコンF5は現代でも最高性能を持つ銀塩カメラであるが、大きく重い巨大なカメラは
フィールド(屋外)での実用性はかなり弱く、多くのカメラファンはその後発売された
小型化されたF100の方を好んで使っていた。
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<デジタル時代への変化>
しかしそれも僅か数年の出来事であり、21世紀に入るころからEOS D30,D60,10D,
KISS-D・・と矢継ぎ早にキヤノンから一般レベルで手が届くデジタル一眼が発売され、
同時にニコンもD1シリーズ,D100,D70・・で対抗して、また他社も参入して急速に
デジタル一眼の時代に市場は変化していった。
ニコンは、F6で最後の銀塩を開発したが、これは大艦巨砲主義ではなく、コンパクトに
実用性を求めた完成度の高いフラッグシップである。 私は未だF6を入手する機会に
恵まれないが、もし現在デジタル一眼が存在していなかったら、きっとこの F6と名機α-7
あたりの2台を主力として、あとはNF-1やLXなどの名MF機をサブに合わせて撮っているの
ではないだろうかと夢想することもある。
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<超ド級戦艦X-1>
そして、今回のお題の「ミノルタX-1」である。

「やっと出てきたか・・」と言うなかれ、実はまだ性能評価できるレベルまで使い込んで
ないから、今回は紹介に留める程度なのである(汗)
私はこのカメラをかれこれ8年くらい探していた・・・
ともかく中古市場にはタマ(台数)が少なく、あったとしても中程度の個体でさえ
7~8万円の価格。 さらには、程度の良いものや付属品が揃っていると、10数万円の
値付けのものもあり、とても手が出なかった。
海外(韓国)へ中古の買出しツアーを数名のマニアと一緒に行った時も、X-1がわりと
手ごろな価格であったが、輸出仕様のXKという名前がついていたので、ちょっとためらって
しまった。
一度、6年ほど前に、コレクターから「未使用美品を売るよ」という話を聞いて乗ったの
だったが、そのコレクターは私から値段を聞き出して、他でより高く買うというマニアに
売りつけてしまった(汗)
この X-1は、1973年の発売である。 ミノルタのフラッグシップ、つまりプロ用の最高級機
である。 当時の時代背景は、キヤノンが(旧)F-1を発売中、ニコンは F2でそれに対抗
している。 オリンパスは大型化されつつある高性能機の流れに反発して、天才米谷技師
による 超小型高性能機 OM-1(M-1)をちょうど発売したころである。
そして、これらのカメラは全て、機械式(メカニカル)マニュアル露出専用機であった。
AE機つまり、電子シャッターを搭載した「絞り優先(またはシャッター優先)露出」機は、
中級機のレベルではいくつかあったものの、最高級機に使うには、まだ信頼性や操作性の点で
煮詰められていなかった時代である。
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そこに、絞り優先を搭載した「超ド級戦艦」、ミノルタX-1の突然の登場である。
ミノルタ初の・・というか、それ以降のすべてのミノルタMFカメラを含めても唯一である、1/2000秒シャッター搭載機。 ミノルタ唯一のファインダー交換式。
初期の「船底ファインダー」はまさに、戦艦を思わせる堂々としたフォルム。
(ちなみに、冒頭写真の個体は、後期の AE-S型ファインダー搭載機)
そして、後の感触性能の名機XEにも繋がる優れた動作感・・
問題は価格であった、キヤノンF-1やニコンF2も高価であったがそれらを凌ぐ国内最高価格。
皆は「凄いなあ~」と思っていても、そんなカメラが簡単に売れるはずもなく、生産台数は
極めて少ない。 つまり、ミノルタの象徴(シンボル)として君臨しつづけたカメラ
なのである。
数年後にこのX-1は、さらに伝説となっている「X-1モーター」に進化した。
これもまさしくバケモノカメラ、その強烈なインパクトを持つスタイルと、1970年代に
30万円以上もした桁違いの高価なカメラは、ますます生産台数が少なく、超レア品。
それでも1990年台後半には、中古市場で50万円前後で流通していた個体もあったのだが、
現存する個体でまともに動作するのものはほとんど無いとも聞く。
X-1はX-1モーターよりはまだ多少は多く存在するものの、それでも状態の良い個体は
少なく2000年以降では、ほとんど中古市場で見ることがなくなってしまった。
X-1は、メディアにも登場したことは皆無であって、噂によると1970年代に当時流行
していたTVドラマ「パパと△△・・・」シリーズで、パパ役の俳優の石立鉄男氏が
首から下げていたカメラがX-1だったとも聞く。
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・・・私自身、忘れかけていたところに、偶然めぐりあった超美品のX-1。動作も完全にOK。
どこからこの33年前のレアカメラが新品に近い状態で発掘されたのかは知らない、でも、
目の前に見る、・・というか初めて触るX-1は、なんとも言えない存在感と威厳のオーラを
放っていて、今年カメラから撤退したミノルタの、ある時代でのプライドや意地までも
感じさせる素晴らしいカメラであった。
思わず即決で購入・・(汗) 金欠なのは確かだが、これを見せられて買わないようでは
カメラマニアでは無い(苦笑)
・・・いちおうモルト交換のメンテに出してから受け取ることになった。
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<X-1の第一印象>
2週間後に受け取ったX-1を再び触って驚いた。 そのAEの操作性は見たことも無い
シロモノであって、1/2000秒から1/30秒までのシャッター速度よりも下回る低速
シャッターでは、前方のレバーを倒さないと表示が出ない。 高速シャッター域では
機械式のメーター表示版がくるりと回転して、当時最新のLEDによる秒数直接表示に
切り替わる。 じゃあ、さらに低速シャッターにマニュアルでセットするときは、
どうするかというとシャッターダイヤルの根元にある、レバーを回して2秒から16秒と
B(バルブ)に切り替える。これは、Aからは片方向にしか動かないシャッターダイヤルを
ロックを外しながら、シャッター速度をB位置にセットしないと低速レバーのロックが
外れない、という、まさにパズルのような操作性である(汗)
また露出補正は2つあって、シャッターダイヤルの中間部にある、ぱっと見ではロックの
解除の仕方がわからない謎の補正ダイヤル(笑・・・ 慣れればできる)を回すか、
虫めがねで見ないとわからないような(笑)ISO感度ダイヤルの一部の小窓でISO補正に
よる露出補正が可能となっている。 これは後で調べたところによると、交換式のスクリーン
毎に、スクリーンの材質や仕様に応じた露出倍数をかけるときに使うダイヤルとの事なので、
通常の露出補正は、シャッターダイヤル側で行う。
カメラ底部には使用フィルムの種類と枚数をセットできる、この時代に多いメモダイヤル
があり、他のカメラとくらべものにならないくらいしっかりしたダイヤルなのだが・・
36枚撮りはともかく、20枚という枚数のフィルムは今ないし・・ 困ったものだ・・(苦笑)
操作性はこのように複雑だが、現代のカメラのように取扱説明書が無いとカスタムの内容
はもとより操作自体を知る術が無い、というものとは異なり。 いちおうカメラの原理を
理解しながらいじくっていれば、20~30分ですべての機能を理解できる。
そして、やはり操作性は確かに練れていない・・使いにくいとも言えるが、まあ、AE初搭載の
最高機種だから、しかたない部分もあるし、もとよりクラッシックカメラは、使いにくいから
ダメという風に評価や価値観を見出す必要も無いものである。
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<ロッコールレンズ>
このカメラに使うレンズは、MCあるいはMDロッコールである。
その他にもXシリーズでは、XDやX-700を所有しているので、ロッコールレンズあるいは
MDマウント互換他社レンズも多数持っているから、とりあえず交換レンズには困らない。
その中には名玉と言われるMC PG58/1.2 や MC 85/1.7もある。
ちなみに、PGというのは、レンズの△群◇枚を表し、Pはラテン語のペンタ(=5)なので
5群。Gは英語のAから7番目なので7枚、つまりPGは5群7枚のレンズ構成である。
ひとつ気がかりなのは、所有のMDマウントレンズ中では最も新しい、フォクトレンダー製
カラーヘリアー75/2.5SL。これがX-1の絞り機能とは相性が悪く、うまく絞り込んで
くれない場合が多々ある(汗)
他のミノルタカメラでは問題なく動いているので、微妙な精度の個体差か・・(泣)
もうひとつちなみに、ロッコールとは、ズバリ神戸の「六甲」のことである。
これも、この時代のネーミングセンスがうかがえて、なかなか楽しい・・
ロッコールにはその時代では優秀な描写性能を持つレンズが多かったので、マニアの間
では、その名前は神格化していた。つまり、ブランドとしてのネームバリューがあった。
ミノルタは、αシリーズ以降では、ロッコール銘を冠したレンズをまったく出さなくなった
のだが、これは逆に普通のレンズをロッコールと名乗ったら、ブランドイメージが低下
してしまうからであろう。 ただ唯一、1990年代後半の小型高級コンパクト TC-1のレンズ
には、Gロッコールという名前が付けられた。 デジカメのDimageシリーズで、ギリギリ
ロッコールが復活するか、という気配があったが、実際にはそれは無く、マニアの間では
銀塩時代にTC-1とライバルだったGR1シリーズのGRレンズに対抗し、昨年のリコーGR
デジタルの発売後、コニカミノルタがTC-1デジタルを発売する際にロッコール銘がつけられる
だろう・・・という噂話があったのだが、コニミノのカメラ撤退でその話も幻となった・・
SONYは、ロッコール銘の使用権までも買い取ったのであろうか? まあ、コニカミノルタが
持っていても、まさかコピー機にそんな名前をつけても意味が無いので、SONYに譲渡した
のかもしれない。 SONYがロッコール銘を冠するレンズを市場に出してくれるのだろうか?
それは極めて懐疑的であるが、ロッコールというブランドを単なる歴史上の懐古趣味と
してとらえず、CI(コーポレート・アイデンティティ)としての、ブランド戦略上の
話しであれば、また意味が出てくるのではなかろうか? SONY が恐らくは唯一持っている
バリオゾナー商標(他のプラナーなどのツアイス商標は、多分コシナが買っている)で
レンズを出してきても、マニアの気持ちからはあまり嬉しくない、それは、CONTAX の
イメージであって、SONYのイメージでは無いからである。
ロッコールの名前を使えば、旧来のミノルタファンも、SONYが真面目にミノルタの歴史を
踏襲しようとしている気概を感じ、SONYに共感を持てることであろう。
まあ、そんなこんなで、ロッコールの名品とともに、ミノルタの栄光の歴史を思い起こし
ながら、しばらくこの「超ド級戦艦」で遊んでみることにする。