今回は補足編として、ジャンクレンズ編の「その4」
とし、過去記事で紹介済みの「ジャンク望遠ズーム」
を、8本取り上げる。
まず例によって、「ジャンクレンズ」の定義だが、
故障品、キズ、カビ、動作不良、付属品欠品等の理由で、
商品としての価値が殆ど無い物であるが、近年においては
古い銀塩時代の機材等では、何ら瑕疵(かし。問題点)が
無くてもジャンク扱いになっている場合も多い。
ジャンクレンズは、中古カメラ店やリサイクル店等で、
概ね300円~2000円程度で、安価に売られている
レンズの事を指すが、ここもまた、近年ではジャンク品
相場が下がっていて、極めて安価なものも多い。
安価に売られているのは性能が低いという理由とは限らず、
古くて不人気とか、使用環境が難しい物、という訳であり、
中には、現代のレンズにも負けない高描写力のものも存在
するが、一般的に、古いレンズの使いこなしは高難易度だ。
この為、弱点を回避する為の練習用の「教材」として、
これらのジャンクレンズを入手する場合もあり、それを
「ワンコイン・レッスン」と本ブログでは呼んでいる。
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では、まずは最初のジャンク望遠ズーム。

レンズは、TAMRON 80-210mm/f3.8-f4
(Model 103A)(ジャンク購入価格 1,000円)
カメラは、SONY NEX-7 (APS-C機)
1981年発売のMF望遠ズーム、アダプトール2仕様
であり、ユーザー側で各種MFマウントに交換可能だ。
直進式の「ワンハンドズーム」でMF操作性に優れる。
最短撮影距離は0.9m、フィールド(野外)での自然
観察撮影等に用いる場合には、画角と撮影倍率の
課題(不満)緩和の為、APS-C機よりも、μ4/3機の
使用が適するかも知れない。

本レンズ発売後の時代の「AF化」の世情により、こうした
MF望遠ズームのニーズは減少し、かつ、AFズームでは、
こうした「ワンハンド構造」は、作りにくい為か、
ほぼ絶滅してしまったのだが・・
「ワンハンド構造」の方が、MF操作性に優れるため、
この機構が無くなってしまった事は惜しい限りである。
描写力は、当時の技術水準から見れば、やや優れる。
比較的安価(発売時52,000円、ただし値引きがあった
事であろう)で、スペック的にも人気があったからか?
中古入手性の高いレンズであり、現代でもたまに中古や
ジャンクで見かける。
まあ、ジャンクレンズ(望遠ズーム)入門編としては
かなり適しているレンズであろう。
しかし、目につく大きな弱点は無い為、弱点回避の
練習用教材としての役割は、やや与え難い。
なお、本レンズは、過去記事「ミラーレス・
マニアックス第55回記事)で紹介済みであるが、以降、
いずれのレンズも、何らかの過去記事で紹介済みだ。
よって、個々のレンズにおける出自や長所短所等の
話は最小限とし、以降、できるだけ全般的な視点で、
ジャンクレンズやオールドレンズを使う際の留意事項
であるとか、時代背景についての解説を主眼としよう。
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では、次のシステム。

レンズは、smc PENTAX-F 80-200mm/f4.7-5.6
(ジャンク購入価格 1,500円)
カメラは、PENTAX K10D (APS-C機)
1990年頃の発売と思われる廉価版仕様のAF望遠ズーム。
紹介記事(本シリーズ第10回)でも、述べているが
本レンズはPENTAX最初期のAFプロトコルである為、
現代機で使う上で、万が一、何らかの課題が生じる事
への対策として、PENTAX機の中では過去プロトコル
への対応互換性の高いPENTAX K10D(2006年と古い、
デジタル一眼レフ・クラッシックス第6回記事)を
母艦としている。
こうした、古い時代のレンズを使う場合には、
現代の一眼レフでは、そのままでは使えない、あるいは
一部の機能が動作しない、というケースも多々ある為、
古い機体(カメラ)を、できるだけ残しておいて、
「懐を深く」しておく措置も、マニア層であれば必須だ。
あるいは、ミラーレス機であれば、殆ど全てのオールド
レンズを(マウントアダプターを介して)利用できるが、
その場合も、一台のフルサイズ・ミラーレス新鋭機
(例:SONY α7系等)があれば済む、という訳でも無く、
レンズ毎の特徴を活かしたり、弱点を緩和したりする
為に、様々な母艦を選択して使用する事が望ましい。
(=「弱点回避(相殺)型」システム構成)
こうしておらず、カメラとレンズを組み合わせた場合
両者の欠点を助長したり、長所を殺してしまうような
システム構成は好ましくなく、持論の「オフサイド」
の法則(本来は、カメラ側の価格を高くしすぎない、
というルールだが、広義には、カメラの持つ性能を
活かせなくなるようなシステム構成の場合も指す)
・・に、ひっかかってしまう。
また、単に適当(テキトー)に、カメラにオールド
レンズを装着している場合では、カメラの事も
レンズの事も何もわかっていない様子に見えてしまい、
マニア(道)として、格好悪いケースも多々存在する。
すなわち、カメラとレンズを組み合わせた「システム」
によって、総合パフォーマンスが大きく変化する為、
必ず、そのパフォーマンスを高める事を意識する事が
好ましく、そうできずに各々の長所が活かせなかったり
弱点を助長してしまうシステムは「組んではならない」
という事である。

本レンズの描写力であるが、可もなく不可もなし。
まあでも、この時代のレンズとしては、性能的に
(解像感、逆光耐性、ボケ質破綻等)やや不満を
感じる点も多い、よって「描写表現力」を始めとする
本レンズの評価点は、標準値よりもやや低い。
まあでも、逆に言えば、弱点回避の為の教材として
は使えるレンズであろう。中級者クラス以上には
推奨できる。
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それと余談だが、この時代(1990年代)のPENTAX製
のFまたはFA型番のAFレンズは、外観デザイン(意匠)
に劣るものが殆どである。
「デザインはユーザー個々の好みだ」という意見も
あるだろうが、誰が見てもダメなものはダメであろう。
そういう点では、あらゆる工業製品のデザインは
発売前にデザイン等の検討会を行い、そこで、その
デザインで販売できるか否かが決定される。
もし、企業等における、その検討会の場で「そんなのは
個人の好みだ」などの意見を言ったら、追い出される
事が必至であろう(汗)すなわち何らかの意思決定は
行わなくてはならない。だから、その意思決定には
責任が生じる。(例:市場から受け入れなかった場合、
担当者や決裁者が処罰される、等)
よって、「そんなの個々の好みだ」という一般ユーザー
的あるいは非社会人(学生等)的な視点による意見は、
「責任回避の意見」にも聞こえ、個人的には好まないし、
社会概念的にも通用しない。
必ず、どんな場合でも「個々の好み」では済まさずに、
自身の価値感覚で、意見を主張したり、あるいは決済を
行う必要性がある訳だ。
なお、過去の時代から、国内のメーカーにおいては、
そうした「個人の感性や主観に依存する」要素を
好まず、合議制とかで、その最終決断をする場合が
多かった。(これは前述のような「担当者の処罰」と
いった課題を回避する為の措置であるとも言える。
多くの企業が終身雇用制でもあり、そうした重要な
決済責任を個人に押し付けず、会社全体で被る方式だ)
ただ、現代、21世紀においては、そうしたやり方も
ずいぶんと古臭く感じる。モノが溢れている現代では
そうした合議制による、無難な、あるいは無個性な製品
は通用せず、個性的な担当者が、強い感性や価値感を
持って、ユニークな製品や商品等を「創造」する事
(つまり日本的では無く、海外的な手法)が、市場や
企業において要望されている時代となってきている。
よって、現代の感覚や視点からすると、1990年代
PENTAXレンズのデザインは、無個性かつ凡庸で
無骨なデザインに見えてしまう訳だ。
なお、PENTAXでも当然、その点には気づいていたと
思われ、概ね2000年前後からのPENTAXレンズの
デザインは大きく改善され、単純に言えば「格好良く」
なっている。
まあ、恐らくだが、誰が見てもNGであったほどの
明確な問題点があったから、デザイン改善の為の
予算や工数が優先的に割かれたのであろう。
デザインに限らず、もし、メーカー側で、その問題点が
「重要である」という認識が少ない場合、その弱点の
改善が、ずっと放置されたままで、そのまま後継機にも
引き継がれてしまう、という課題もある。
(実例として、多くのメーカーのカメラの「操作系の
悪さ」、一部のカメラでの「シャッター音のうるささ」
一部のメーカー製レンズでの「外装の高級感の無さ」
等がある)
誰が見ても課題が明白な方が「荒療治」が進み易い
のかも知れない。ユーザー側としても、そうした
「思い切った変革」を感じられない(新)商品には
殆ど魅力を感じず、こういう点もまた、現代において
カメラ市場が大きく縮退している原因の1つになって
いるのではなかろうか? 無難すぎて、ユーザーの
予想範囲内の仕様である新製品には、ビギナー層以外、
誰も反応しないのだ。
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では、3本目のシステム。

レンズは、キノ精密工業 KIRON 28-210mm/f4-5.6
(ジャンク購入価格 500円)
カメラは、PANASONIC DMC-G5 (μ4/3機)
マイナーブランドのレンズにつき、詳細不明である。
恐らくは、1970年代中頃の製品であろう。
そうであれば、当時として希少な、ズーム比7.5の
高倍率(高ズーム比)は、革新的である。
しかし、性能が伴わない。
望遠側はまあ良いのであるが、広角端28mmでの最短
撮影距離は、何と2.5mと、とてつもなく遠い。
例えズームレンズといっても28mm側での最短撮影
距離は、30cm程度が要求される。現代的視点からは、
使い物にならないレンズであろう。
まあつまり、広角で寄れないと、アングル(角度)や
レベル(位置)の自由度が無く、その状態では遠くの
被写体を平面的にしか撮れないからである。
ただ、「広角で寄って写す」という基本的撮影技法も、
1970年代のアマチュア層には全く浸透しておらず、
恐らく、ほぼ全員が三脚を立て中遠距離の風景等を
やや絞って撮っている状況であっただろうし、
ズームというものは、その状態からの画角調整や
あるいは、遠距離の小さい被写体に目がいった場合
に、望遠端にズーミングして使う、という用法で
あっただろうから、この仕様でもユーザー側の
不満点は意外に少なかったかも知れない。

この時代以降、1980年代くらいからでは
「広角は1歩踏み込んで写せ」というスローガン
(合言葉)が、アマチュア層に広がっていく。
これは、1980年代位では、カメラの小型化、レンズの
大口径比状態での性能改善、およびフィルムの感度向上
の相乗効果により、「三脚をやめて手持ち撮影とする」
事が一般的になった理由がある。
(注:よって、現代においても三脚技法を頑なに守る
シニア層等は、1970年代に写真撮影技法を学んだと
推測される。現代のデジタル機がいくら高性能化しても
その恩恵は良く理解できない為、依然「手ブレが怖い」
等の理由(強迫観念)や「レンズは絞って使う」等の
理由(固定観念)で、三脚を使い続ける訳だ)
で、手持ち撮影になった事で、「広角で1歩踏み込む」
事が意味を持つ状態になってきた。このスローガンの
真意は、残念ながら、当時の初級中級層には伝わって
いなかったと思われるが、ここでその効能を記載する。
1)寄って写す事で、主要被写体が被写体が何で
あるかの意図を明確化でき、わかりやすい写真と
なる。(=”写真は引き算”という合言葉と等価)
2)寄って写す事で、アングルやレベルの自由度が
増し、背景の取り込み範囲の選択の自由度も増える。
(すなわち、構図の自由度が格段に増す)
3)寄って写す事で、広角レンズでもボケ表現を
活用する事ができるケースがある。
(その為に絞りを開けて使う、もうこの時代では
絞りを開けても、レンズの描写力は確保できる)
・・だいたい以上である。
まあ、この意味(真意)がわからなくても、結果的に
そうなれば良い訳であり、「良いスローガンだった」と
言えるであろう。
関連事項であるが、レンジファインダー機では
その構造上の制約により、広角レンズでも最短撮影
距離が70~90cm程度と長目に制限されてしまう。
1960年代位までの撮影技法であれば、この仕様
でも不満は少ないとは思われるが、後年、上記の
「広角は寄って写す」の技法が、アマチュア層全般
にもよく浸透した1990年代位になって、そこで
中古カメラブームが訪れ、古いレンジファインダー機
も大人気となった。しかし、中級層や中上級マニア層
においては、レンジ機での広角撮影では「寄れない」
事で、実用的に大きく制限が生じる事を不満に思い、
瞬時に、レンジ機への興味が醒めてしまった人達も
かなり多かった(私もそうであった)
ただ、レンジ機用広角レンズは、ミラーボックスが
不用な為、レトロフォーカス型設計にする必要が無く、
対称型構成等の、高性能で小型化した設計が可能で
あった事はメリットと言える。だから一部の上級
マニア層等では、寄れない不満点を我慢しつつ、
中遠距離で(一眼レフ用広角レンズよりも)収差的な
面で高画質が得られる利点のみに着目する人も居た。
余談が長くなった。本レンズにおいては、最初期の
高ズーム比(高倍率)レンズであるが故に、技術的、
および仕様的・描写力的には、まったくの未成熟で
あって、実用価値は全く無い。
ただ、この時代に、高ズーム比を実現した、という
点が歴史的価値であり、また研究用の資料として、
「いったい何の性能を犠牲にする事で、この仕様を
実現できたのだろうか?」
という技術的な側面からの考察を行うには適して
いるだろう、そうやって見ていけば、当時の設計者が
いったい何に苦心し、何を活かし、何を泣く泣く削る
かの「トレードオフ」に悩んでいた状況が見えてくる
だろうから、そういう観点ではとても興味深い。
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さて、4本目のジャンクレンズ。

レンズは、COSINA AF ZOOM 70-210mm/f4.5-5.6
MC MACRO (ジャンク購入価格 300円)
カメラは、SONY α77Ⅱ (APS-C機)
出自不明、恐らくは、1980年代末頃のAF望遠ズーム。
コシナ製のAFレンズは、かなり稀であり、本レンズ
には、「LICENCED BY MINOLTA」と書かれてあって、
そうであれば、MINOLTA αマウント用のものしか
発売されていなかったのではなかろうか(?)
まあ、現代でこそ「フォクトレンダー」や「カール・
ツァイス」のブランド銘を取得し、高級レンズメーカー
として名高いコシナではあるが、1980年代~1990年代
ではまったくの無名。コシナが、他社の多くのカメラや
レンズを製造する大手「OEMメーカー」であった事は
その当時の一般ユーザーには全く知られていなかった。
しかも、自社ブランド製品は定価の7割引等の極端な
値引き戦略を行っていた為、多くのユーザー層には
「コシナ? 何それ、聞いた事の無いメーカーだし、
どうせ安かろう、悪かろう」と思い込んで、誰も手を
出さない状態でもあったから、現代においても、
コシナブランドのレンズを中古市場で見かける事は
極めて稀である。
加えて、定価の7割引等の市場戦略を実現する為には
その値段でも元が取れる為の、思い切ったコストダウン
設計を行わざるを得ない。勿論当時では、手ブレ補正や
超音波モーター等の機能はまだ未登場の為入っていない
が、例えば「低分散ガラス」や「非球面レンズ」等の
金のかかる(製造原価が高い)仕様は、入れる事は
出来ない。レンズ構成も、できるだけシンプルな
ものにせざるを得ないであろう。
そうやて出来上がったレンズには多数の弱点が存在
してしまう。安価な普及レンズを買うユーザー層は
当然ビギナー層であるから、レンズの弱点を見つけ
それを回避して使う、などの超高難易度の、技術や
技能は全く持っていない。
だから、レンズの「言うがまま」に撮影してしまい、
そうなれば、当然様々な弱点が目についてしまうで
あろうから、「写りが悪い、結局は安物だった」で
片付けられてしまう訳だ。
まあこの点は現代の中国製等の新鋭ローコストレンズ
の評価でも同様であって、初級層においては、レンズの
弱点回避など何もできないから「しょせん中華レンズだ
安かろう、悪かろう」という評価しか出来ない訳だ。

さて、本レンズであるが、本シリーズ第29回記事で
紹介時、当初SONY α65に装着したが、AFや絞りが
動作しなかった。だが、古いα700や、新しいα77Ⅱ
では動作した為、今回も、α77Ⅱを母艦としている。
まあ、古いレンズであるので、こうした事も稀に
起こりうるであろう、そういう意味でも、前述のように
「カメラは最新のものを1台持っていれば済む」という
訳ではなく、動作検証や実用の為に、複数の時代の
異なるカメラを所有する必然性が(マニア層には)
出てくる訳だ。
で、ちゃんと動作したとして、ローコスト化での
弊害からか? 望遠側での諸収差の増大による
解像感の低下、低い逆光耐性によるフレア感等の
様々な弱点が色々出てくる。
まあつまり、基本的には低性能なレンズである。
それを回避するには、望遠域を使わず、用途によっては
不足する画角は、SONY α77Ⅱにある、デジタル
(スマート)テレコンバーター機能で、それを補い、
低コントラスト特性は、光線状況への留意とか、
カメラ設定、アフターレタッチ等で対応するしか無い。
本ブログのレンズ系記事においては、レンズ性能そのもの
を紹介する為、過度な編集(アフターレタッチ)は禁ずる
ルールとしているのだが、それを併用しない限りは、
実用には厳しい性能であろう。
もし、カメラ内だけでなんとかしたいならば、画質設定
パラメーターをかなり極端なセッティングとしたり、
エフェクト(デジタル・フィルター)を併用するしか
回避の手段が無い。
まあでも、これくらいに弱点が顕著なレンズであれば
むしろ弱点回避練習用教材としての意味は十分に出て
くる。滅多に中古市場には出ないと思うが、あれば
非常に安価(今回の購入価格は300円+税)なので
「ワンコイン・レッスン」用としては適正である。
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では、5本目のジャンク望遠ズームレンズ。

レンズは、SIGMA 75-210mm/f3.5-4.5 Zoom-κ Ⅲ
(ジャンク購入価格 1,000円)
カメラは、OLYMPUS OM-D E-M5Ⅱ Limited (μ4/3機)
出自不明、恐らくは1980年前後のMF望遠ズームだ。
型番は、ギリシャ文字のκ(カッパ)であると思う。
このクラス(200mm級望遠ズーム)としては、
開放F値を欲張った(明るい)仕様である。
この当時では、例えば、一眼レフを買った際に付属
してくる単焦点標準(50mm前後の焦点距離)レンズ
においては、大口径版(概ね開放F1.4級)と、
小口径版(開放F1.7~F2)が選択でき、他には、
F1.2級の(超)大口径も別売されていたが・・
概ね開放F値毎に、価格が大きく異なっていた為、
「価格の高いレンズ=良い(性能が高い)レンズ」
「開放F値が明るい(小さい)レンズ=高価なレンズ」
である事から、
「開放F値が明るいレンズ=性能が高いレンズ」
という「誤まった三段論法」を、ユーザーや市場・
業界等の、ほぼ全員が組み立ててしまっていた。
勿論、メーカー側は、それを設計して評価している訳
だから、「必ずしもそうとは限らない」という事は
十分に承知している。よって、各社においては標準
レンズでは、大口径版と小口径版を併売していた。
つまり、全ての面で大口径版が優れるならば、さっさと
小口径版をディスコン(製造中止)として、大口径版に
統一すれば良い訳だが、そうできなかったのは、
小口径版の方が描写力に優れるケースが多かったからだ。
まあ、メーカーの「良心」とも言えるが、その事が
ユーザー層にバレると大変だ、「安いレンズの方が
良く写る」となったら、皆、小口径版だけを買い漁り、
市場倫理が壊れるし、本来儲けを出すべき大口径版が
売れないと、メーカーにとっても痛手である。
だから、「標準レンズ」においては、小口径版には
性能制限(仕様的差別化)がかけられる場合もあって、
それは具体的には、最短撮影距離を長くして、大きな
ボケ量(浅い被写界深度)を得られなくしてしまう
メーカーも色々とあった。
また、標準レンズ以外でも、多くの焦点距離の単焦点
レンズにおいて、大口径版と小口径版を併売する
ケースも多いが、オリンパス(OM)等では、その際、
両者に明らかな描写傾向上の特徴に差をつけていて
大口径版では、ボケ質優先だが解像感が低く、
小口径版では、解像感が極めて強いが、ボケが固い
等の特徴の差異を意図的に作り出していた。
よって、こうしたケースでは、もう大口径版と
小口径版は、まったくの別物であって、それはどんな
被写体をどのように撮りたいか、という意図によっても
使うべきレンズは変わってくる。
現代でこそ、こうしたオールドレンズは安価な中古
相場であるから、同一メーカーの同一焦点距離で、
大口径版と小口径版を同時に所有して撮り比べる、
といった贅沢が許されるようになり、かつ、そうやって
比較してみないと、わからない事も多くあった。
しかし、銀塩時代では、そうした贅沢は許されない、
大口径版を買ったユーザーは「高価であったので、
必ず高性能であろう」と”思い込んで”しまうし、
安価な小口径版を買う初級層等では、画質うんぬんの
実用評価をする事は出来ない。
だから、この事実は、近年のデジタル時代に至るまで
ユーザー層には、ほとんど知られておらず、また
メーカーや流通、専門評価者等でも、市場倫理を
崩壊させない為にも「高価なレンズは良く写る」の
大原則を曲げる訳にはいかなかったので、ますます
誰に聞いても、そういう答えしか得られなかった訳だ。
さて、当時の、いや銀塩時代を通じ、はたまた現代に
至るまで続く「開放F値が明るいレンズは良く写る」
という誤まった市場常識が蔓延する状態においては、
(レンズ)メーカー側としても「少しでも開放F値
の明るいレンズを作って売る方が望ましい」という
企画発想になるであろう。
仮に他社ライバルレンズよりも、開放F値が明るければ
もし同じ値段であれば、そちらの方が良く売れる訳だ。
・・まあ、つまらないトリックであろう。そして今時で
あれば、そういうトリックに騙されるのはビギナー層
だけであるし、そういう「差別化」の売り方をしても
レンズが沢山売れる世情でも無くなってきているから、
各社とも、開放F値が明るく、かつ高性能なレンズを
開発し、それを「思いっ切り高い値段で売る」という
市場戦略に転換してしまっている。
だから、標準レンズ1本が、15万円も20万円もする、
という不条理な時代になってしまっている訳である。
私は、そういうレンズも何本か所有している。確かに
まあ良くは写るが、前時代の標準レンズの5~6倍も
高価になっているのに、性能上では5~6倍も優れる
訳では決してないので、「コスパが極めて悪い」
レンズばかり、という評価だ。
ただ、そういう高額レンズを限られた少数のユーザーに
売って利益を稼がない限り、縮退したカメラ(レンズ)
市場を、メーカーも流通も支える事は出来ないのだ。
やむを得ないとも言えるし、そうした単純な対応しか
出来ず、魅力的な仕様の製品を作って、シンプルに
販売数を増加させようという、ごく一般的な対応が
出来ないメーカー側にも課題があると思うが・・
まあ、縮退・飽和市場であるが故に、色々と市場の
戦略は難しい要素もある訳だ。

さて、本レンズであるが、開放F値が明るい、とは
言っても、他社同等品とは微々たる差だ。
それに、F1.4級の単焦点と比べれば、さすがに、
暗いズームは仕様的な魅力が大きく減じられてしまう。
「小口径の方が描写力が高い」と言ったところで、
ボケ表現がほとんど不能なズームは、単焦点と
同じ土俵で戦えるものでは無いし、要求される
性能要件も両者は大きく異なる。
弱点としては、絞り開放近くでの描写力の低下である。
諸収差の多くは、口径比、すなわちF値に依存して
大きくなる、全ての収差がそうでは無いが、中には
口径比の3乗に比例して大きくなる収差もある為、
(参考:匠の写真用語辞典第29回記事)
口径比が1段(例;F2→F1.4)変化しただけで、
球面収差等は、8倍も大きくなってしまうのだ。
半段(例:F4→F3.5)であっても、1.4倍の3乗で
実に約2.7倍も(球面)収差が増大してしまう理屈
となる。
設計上、これを補正するのは大変な為、下手をすれば、
単に仕様上の開放F値を明るくしただけで、収差補正は
無視、つまり、開放近くでは解像感が皆無に等しく、
描写が「甘々」になってしまう、オールドレンズや
ズームレンズ等も少なくない。
本レンズを含め、そうした開放で収差が大きいレンズ
への対処は、1つは絞り値を絞ってしまう事である。
そうすれば球面収差、コマ収差、は急速に減少し、
像面湾曲、非点収差、軸上色収差も、そこそこ減少
するが、そうしても、歪曲収差と倍率色収差は
そのまま残ってしまう。
そして、そもそも、絞り込む事で、作画表現上での
被写界深度や動感表現、ブレへの対策等に影響が
強い事もあるし、より高度にはボケ質破綻の回避も
難しくなる。
だから、常に「絞り込むのが解決法」では無い訳で、
あるが、このあたりは超々上級技法であり、一般的
には対処不能、ごく一部のレンズ設計専門家層くらい
でしか対応できない技法となると思われるが・・
まあ、勉強、研究してトライしてみることは、勿論
大きな意味(価値)があると思われる。
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さて、6本目のシステム。

レンズは、RMC TOKINA 80-200mm/f4
(ジャンク購入価格 1,000円)
カメラは、PANASONIC LUMIX DMC-G6 (μ4/3機)
出自不明、恐らくは1980年前後の製品であるが、
当時のTOKINAのこのクラスは類似仕様のレンズが多く、
開放F値、最短撮影距離仕様などが微妙に異なって
いる製品が多数存在する。
マウントはKONICA ARというマイナーマウントで
あった為、ジャンクの中でも不人気で売れなかった
と思われたが、これを「サルベージ」する事とした。
ワンハンド機構であり、操作性に優れ、かつ
開放F値固定型ズームであり、同・可変型よりも
実用上の優位点が大きい。
具体的には、ズーミングを行った場合、露出設定が
ほぼ変化せず、動感意図などをキープできる他、
被写界深度と手ブレ限界は、ズーミングに比例して
ほぼリニア(直線的)に変化する為、レンズの
表現・実用上でのコントローラビリティが高くなる。
この意味は、初級中級層には理解しずらいと思うが、
現代において、開放F値固定型のズーム(大三元、
小三元)を、上級層や職業写真家層の多くが使用
するのは、こうした理由(利点)も一部にあるからだ、
ここも、初級中級層が思い込むように「値段が高い
レンズだから、良いレンズだ」という価値判断は
適正では無いので念のため。

さて、本レンズの弱点であるが、非常にフレアっぽく、
コントラストも悪く、「ヌケが悪い」とか「眠い」
と評価される類の描写性能である点だ。
RMCは、多層コーテイングの略号だったと思うが、
まだこの時代では、その性能が未成熟であるか、
設計上の課題か、あるいは経年劣化(内部カビ等)の
可能性もある。
だがまあ、それを回避するには、とりあえず逆光条件
を徹底的に避け、順光やフラット光、軽い暗所等の
使用に特化すればよい。
解像感も低いが、望遠端や広角端での使用を避け
かつ、撮影距離にも解像感は依存する模様なので、
いずれの要素も「中庸」に留め、あまり極端な
セッティングをしなければ良いであろう。
ビギナー層でのズームレンズの使い方としては
「望遠端と広角端をいったりきたり」という用法が
殆どだとは思うが、本レンズのような特性の場合は、
そうした使い方は「わざわざ画質を悪くしている」
撮り方となってしまう。
そのあたり、まずレンズの特性を良く認識して、
レンズのパフォーマンス低下を避ける事が賢明だ。
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では、7本目のジャンクシステム。

レンズは、SIGMA ZOOM AF-κ 70-210mm/f4-5.6
(ジャンク購入価格 900円)
カメラは、PENTAX K-5(APS-C機)
出自不明、恐らくは1990年前後のAF望遠ズームレンズ
であり、前述のSIGMA 75-210mm/f3.5-4.5 Zoom-κⅢ
のAF版後継レンズなのかも知れない(?)

AF時代ともなれば、ズームレンズも、ある程度
性能的な完成度が上がってきており、MF時代のズーム
よりも性能的な弱点が目立ち難くなってきている。
そして、この時代ではまだ、「ダブルズームキット」
等の販売形態は普及しておらず、銀塩AF一眼レフに
標準ズームまたは単焦点標準をセットした販売形態が
普通であっただろうから、こうした「望遠ズーム」を
次に欲しがる初級層はかなり多かったと思われる。
そうした際、明らかに他社同等品よりも、性能が
低かったり、価格が高価であったりする製品は
評判が落ちてしまう。この頃、まだインターネットは
普及前夜ではあるが、それでも「パソコン通信」等は
一部では存在していたし、多くのカメラ誌も刊行されて
いた訳だから、ユーザー層へ情報は入ってくる訳だ。
そんな世情においては、レンズメーカーであっても
「安かろう、悪かろう」という製品を企画販売する
事は許されない。それをしたら「SIGMAは写りが悪い」
とかなって、ユーザー層から、そっぽを向かれてしまう。
まあでも、あまり短所が目立たない、という点は、
現代的視点からすると、面白味が少ないレンズだ。
研究的視点からすれば、あえて前機種や後継機種も
同時に入手してみて、そのレンズの時代に、どの
ような技術的発展があったかを調べてみるのも
興味深いであろう、ただし、相当にマニアックな
話であり、勿論、一般層や初級中級マニア層に推奨
できるような措置では無い。
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では、今回ラストのジャンク望遠システム。

レンズは、CANON EF100-200mm/f4.5 A
(中古購入価格 324円)
カメラは、CANON EOS 7D (APS-C機)
1988年に発売されたEFマウント用AF望遠ズーム。
開放F値固定型であるが、普及版と思われ、型番A
に関しては、AFを優先してMF時の操作性等を相当に
犠牲にした「AF専用簡易版」というタイプである。
しかしながら、描写力はさほど悪くなく、現在
このレンズは知人の初級者に貸し出し中であり、
初「安価だと聞いているが、意外に良く写る」
と評判が良い。
私は、
匠「そうだろう? 300円のレンズでも、これだけ
良く写るのだから、30万円の高額レンズなど、
本道に必要なのかどうか、良く考えてみる
のが大事だぞ」
と言っている。
しかし、もう半年程度貸与しているので、そろそろ
回収して、別のジャンク望遠ズームを貸そうとも
思っている、そうする事で、彼もまた、様々な
レンズの違いを理解できるようになっていくだろう
からだ。(追記:後日、本レンズを回収し、別の
望遠ズームを貸与した)
すなわち「ずっと同じシステムを使っているだけでは
他との違いが理解できず、思い込みが強くなる」
という意味である。初級層がその差異を理解する事で、
中級層にステップアップするのか、はたまた道を
踏み外して(汗)マニア道に走ってしまうか(笑)
それはまあ、彼の選択次第だ。

それと、オーナー側、つまり私の留意点であるが、
「1度だけ使って、さも、わかったように評価しない」
という点がある、たとえどんなに安価に買ったレンズ
であっても、必ず、何度か異なる条件の元で試写を
繰り返していく事が必須だ。長期間使ってみないと
わからない事は多々あるし、あるいは又、別の同等
レンズと比較をする為にも、購入レンズを死蔵させて
しまったり、わかったつもりで売却、譲渡してしまう
事は、あまり好ましく無い訳だ。
近年、私は購入レンズを処分しなくなった。
よって、現状、際限なくレンズが増えている状態
ではあるが、レンズ個々の性能や技術的な歴史を
研究しようとする際、当該レンズを所有し続けて
いかないと意味がないからだ。
そして、以前は、性能が低いレンズであるとすぐに
「使えないレンズだ!」と、キレてしまい、それを
処分していたのだが、近年においては、
「レンズを使いこなせないのは、自分自身の責任」
という意識を強く持つ事となっていて、それであれば
性能が低いレンズを、弱点回避して、なんとでも使う
事はできるし、その技能のスキルアップとしての
「ワンコイン・レッスン」も、定期的に行う必要性
を感じている。
だから、ブログ記事においても「数年前に紹介して
評価したレンズだから、もうほっといて良いであろう」
という意識はできるだけ持たない様にして、定期的に
できるだけ多くの所有レンズをローテーションして
使ってみるのが良いと思っている。
その評価結果を、マニアックス系のシリーズ記事で
紹介する。いや、紹介するというよりは、自分自身の
為の評価データベースとして、本ブログを利用している
訳であり、その際にそのレンズに対して思った事や
気づいた点を記事に書きとめている訳だ。
文字に書けば、必然的によく覚えられる。だから、
そうやっていくと、膨大な数の所有機材(カメラや
レンズ)についても、個々にその特徴が頭の中にも
蓄積(記憶)されていく。
自分自身の勉強、あるいは研究としても、これは
とても有益な事だと思う。
だから、読者には申し訳ないが、本ブログでの膨大な
文字数の内容を読んだだけで、記憶や理解をする事は
まず不可能であろう、レンズ(や機材)の勉強を
したければ、あくまで、似たような事を自分自身で
やっていくしか無い訳だ。
他人の言っている事を聞くだけでは、それは「習い事」
であって、「趣味」とは言えない。
「趣味」あるいは「マニア道」である以上、あくまで
自分自身が主体となって、あらゆる事を行う必要が
ある訳だ、それは知的好奇心であったり、向上心でも
ある訳だから、それがなければ、そもそも趣味としては
成り得ない訳である。
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さて、今回のジャンク望遠ズーム編はこのあたり迄とする、
次回記事は、未紹介レンズ編とする予定だ。