本シリーズは、各カメラメーカーが発売した銀塩・デジタル
のカメラをおよそ1970年代から現代2020年代に至る迄の
約50年間の変遷の歴史を辿る記事である。
今回の記事では、本来であれば「老舗ブランド編」という
事で、旧コンタックス、ライカ、ローライ、フォクトレンダー
ハッセルブラッド等のカメラ(主にドイツの著名ブランドだ)
を紹介したかったのだが・・
残念ながら個人的に、こういう「老舗ブランド」のカメラを
殆ど所有していない。何故ならば「興味が無い」からだ。
(興味が持てない理由は、本記事で詳しく解説する)
それに古い。本シリーズではおよそ近代の50年間のカメラを
紹介しているが、これら老舗ブランドの著名カメラの多くは
この期間内には入って来ない前時代のものである。
私の機材所有コンセプトとしては、「あまりに古くて実用に
適さないものは持たない」となっている。写真が撮れない
カメラは「道具」としての意味が無いからだ。
歴史を辿って記事を書けない事は無いが、所有してもいない
機材について語る事は、本ブログのコンセプトに反する為、
それも止めておこう、あくまで持っている機材のみの話だ。
まあでも、僅かに所有している老舗ブランド関連の機材は
ある事はある。それから、「フォクトレンダー」に関しては
1999年より日本のコシナ社がその「老舗ブランド」を取得
して、名前を引き継いでいる為、本記事では、その近代的な
コシナ・フォクトレンダー社製の機材の話が殆どとなる。

さて、主にドイツの老舗ブランドのカメラが、殆ど現在では
流通していないのは、いくつか理由がある。
まず本来、カメラというものは精密機械工業製品であった。
第二次大戦前の1930年代では、ドイツ製のライカや
コンタックスが世界的に著名であったが、非常に高価
(現代の貨幣価値で、およそ300万円程)であった為、
これらは「憧れの高級品」として、世界にその名を轟かした。
(注:高価であったのは「軍事用途」であった事も理由かも
知れない、あまりカメラが敵国等に流通して欲しく無い訳だ。
ちなみに、これらのカメラが生まれた時代では、ドイツは
既にヒトラー政権であった。高性能なカメラやレンズの開発
そのものも、軍事目的であった可能性が極めて高い)
ところが、第二次大戦におけるドイツの敗戦により、ドイツは
1949年頃に東西に分割、ツァイス社も同様に分割され、その
企業としての形態に大きな影響を与えてしまった。
東側(ロシアや東欧圏)に流れた、当時のツァイスの優秀な
光学技術は、戦後、ロシアなどで光学産業として継承され、
いわゆる「ロシアンレンズ」として、「ツァイスと同等」等
の理由で、後年(1990年代頃)には、国内マニア層にも
もてはやされた。その例としては、Jupiterなどのレンズ群や、
KIEV等の、いわゆるコンタックス・デッドコピー品がある。
(注:「技術が流れた」と、穏やかに説明する資料が多いと
思うが、実際には、工場設備、仕掛り部品、材料、設計図、
人材等の丸々一式が東側に「接収」されていると思われる。
で、ツァイスが100%東側に取られず、東西分断されたのは、
同様に米国もツァイス社の設備の一部を、西独側に急遽移転
させたからだ、との情報も残っている。
東側では、同じ工場で、そのまま名前の違う製品を製造するの
だから(デッド)コピー品(=他社の真似をした製品)という
よりも、「全く同じ製品」とも考えられるであろう。
近年でも、類似の実例だと推測されるのが、中国YONGNUO
でのCANON EFレンズのコピー(?)製品がある)

他のドイツ老舗ブランドは、第二次大戦の影響が大きく無かった
ケースもある。そして、元々ドイツの光学産業は相互に微妙に
関連している事もあり、ハッセルブラッドや、ローライ等も
カール・ツァイス製のレンズを使ったり、またはそのブランド
名だけを供与してもらっていたり、はたまた、製造工場が同一
なケースも色々とあったと思う。すなわちこれらは、日本人が
想像するような、個々の有名ブランドが林立していると言う
よりも、「ドイツ光学産業」という、ひとつの全体的な企業体
であったような状況にも思える。(これもまた、軍需の為か?)

その黄金期は、1930年代~大戦を挟んで1960年代位であろう。
この頃の日本では、まあ一応カメラやレンズを作ってはいたが
光学産業の歴史の長さの差により、ドイツ製品には歯が立たない。
なにせ、フォクトレンダー社などは18世紀のモーツアルトや
マリーアントワネットの時代から存在している超老舗企業なのだ。
国産初のカメラ(コニカ・チェリー)は、20世紀の製品である、
この歴史の差は埋めようが無い。
戦前では、だから、ライカやコンタックスなどは、国内に
おいても超高級な憧れのブランドであり、「こららのカメラ
1台で家が建つ」とも言われていた程である。
(注:1930年代末で国内での文化住宅であれば、その建設費が
現代の300万円程であり、まあ一応ライカ等と同等の値段だ)

戦後、日本では精密機械工業が発展し、ライカやコンタックス
の設計をコピーしたカメラが大量に作られていた。
(これらは、勿論「同じ設備/部品を使っている」訳ではなく、
他社の設計や仕様を真似た、「コピー商品」である)
噂によれば、その当時の国内カメラメーカーは「AからZまで、
全ての頭文字のメーカーが存在していた」そうである。
多少オーバーな表現ではあろうが、数十というメーカーが
あった事は事実であろう。
(私も、図書館でこの時代のカメラ製品を全て調べている。
確かに非常に多かったが、AからZまでは無かったと思われる)
まあでも、そのようにメーカーが林立すると、中には性能や
品質の粗悪なものもあっただろう。戦後、ますますドイツ製の
カメラは「高品質で高性能」という事から、ユーザー層には
憧れの製品、そしてメーカーにとっては「追いつくべき目標」
となっていた。
1954年、この年は、国内で「ゴジラ」が初上映された年だが
ライツ社からゴジラ級のモンスター「ライカM3」が発売された。
当時のニコンでは、「M3に追いつくことは無理だ」と判断し、
それまで旧コンタックスのコピーのNIKON Sシリーズを展開
していたのを諦め、新分野の一眼レフ開発に戦略転換した。
1959年、NIKON Fが発売されると、他社も一斉に一眼レフ
に追従。旧来のレンジファインダー機よりも様々なユーザー
メリットがある一眼レフは、瞬く間にスタンダードとなる。
しかし、その複雑な構造は、戦後林立していた様々な機械
カメラメーカーでは対応できない場合も多く、ここで沢山の
中小メーカーが淘汰されている。(まあ、一眼レフ化する
事で、多数の林立するメーカーを蹴落す意味もあっただろう)
この頃、その後に続く国内カメラメーカーが一通り出揃った
事となる(NIKON,CANON,PENTAX,OLYMPUS,MINOLTA,
YASHICA・・等)
これら国産一眼レフは、海外にも当然輸出され、このあたり
から国産カメラの大躍進が始まる訳だ。

1970年代になると一眼レフはまた進化し、自動露出(AE)の
機能が搭載されるようになる。が、もうこうなるとカメラは
それまでの「精密機械工業」ではなく、「電気機械工業」
(メカトロニクス)製品である。
日本が「電子立国」としての発展期であったので、これら新技術
は、どんどんと進化していく。(マルチモードAE化、CPU搭載等)
だが、この時代に、これまで黄金期を築いていたドイツ光学産業
と、その老舗ブランドは、全て壊滅的とも言えるダメージを受けて
しまう。「電気化」というカメラ産業構造の大きな変革に耐える
事ができず、さしもの老舗ブランドも、日本メーカーの技術力を
得て、協業してカメラを作るか、あるいは、潔く撤退せざるを
得なくなった。
事実、この1970年代に、ツァイス(コンタックス)ですら
カメラ事業から撤退、それは日本のヤシカ(後に京セラ)に
ブランド移譲を行う事になった。以降、ツァイスの写真用交換
レンズは、ほぼ全てが日本のメーカーにより製造されている。
(一応、ツァイス社が監修している、という形になっている。
まあ、ブランドを売っている、というビジネスモデルである)
ただまあ、ドイツ老舗ブランドは強力な「商業的価値」がある。
詳しい歴史を良く知らない、現代のシニア層やビギナー層でも
ライカやツァイスといったブランド銘をありがたり「それらは
高級品で高性能である、だから高価なのだ」と信じて疑わない。
実際には、もう50年間も、カメラ事業(生産)を行っていない
にも係わらず・・である。
カール・ツァイスは巨大な総合光学機器メーカーなので、まあ
写真事業をやめても勿論生き残っている。ライカもブランド力が
高い為、ミノルタや、後にはパナソニック等、国内メーカーと
協業しながら現代に至っている。
しかし、ローライやフォクトレンダーは、とっくにカメラ事業から
撤退し、その名前(ブランド銘)だけが、1970年代以降に様々な
企業に買われて、転々としている状態であった。ある時期には、
その名前を買った企業が、ローライのブランドで二眼レフ等の
カメラを作っていたとしても、もはやクラッシックな製品だ。

国産のカメラは、その後の時代でさらに進化し、1990年頃には
一眼レフもコンパクト機も殆ど全てAF(オートフォーカス)化
された。もうこのあたりで国産カメラは海外にも敵無しの状態
となっていく。そして2000年代からは、デジタル化の大激変で
ある、もうフィルム時代のカメラとは全くの別物であり、国内
大メーカーですら、その大変革に追従する事は簡単では無い。
国内の各カメラメーカーは、1960年代の一眼レフ化時代、
1970年代のAE化時代、1980年代後半のAF化時代、2000年代
のデジタル化時代のそれぞれの段階で、事業構造の激変について
いけず、撤退または脱落したメーカーが多数出てきていて、
もう現在では、カメラメーカーは数える程しか残っていない。
海外のメーカーも当然、そこまでの、どれかの段階で撤退して
しまっている、今でも残っているのは、単に「ブランド銘」だけ
という状態である。

さて、日本のコシナ社は1970年代~1980年代にかけ、国内
の多数のメーカーのカメラやレンズを委託されて生産を行う、
いわゆる「OEM」メーカーであった。
この時代のOEMメーカーには他に「GOKO」社等があり、あるいは
後のデジカメ時代では「SANYO」社が知られている。
いずれもOEMとしては超大企業であり、ある時代の全カメラの
過半数を、そうしたOEMメーカーで生産していた事すらある状況だ。
OEMメーカーは世に知られていない、だからブランド力も無い、
ツァイスやライカの名前がついていれば高く売れるレンズでも、
たとえ同等の性能であったとしても、コシナ銘ブランドであれば、
高価に販売する事はできない。
何も知らない初級消費者層は、それらを見て、こう言う
消「何? コシナのレンズ? 知らないなあ、どうせ性能が
低い三流メーカーの安物だよ、買うのはやめておこう」
だから1990年代のコシナ銘のレンズは、哀れ、定価の7割引
とかの酷い値付けで販売されていた。具体的には定価が5万円
と記載があるが、新品実売価格は14,800円等の状態であった。
まあこれは、どうせ1万円台程度でしか売れないから、そういう
風に定価を上げて書いてあるだけであり、よって、最初から
その販売価格に見合う低コストな設計しかしていない。
値引率に惹かれて買ったユーザーも「やっぱり性能が良く無い、
所詮は三流メーカーか」と、そういう風に評価したであろう。
ただ、コシナを知らないのは一般層のみであり、上級マニア層
では、コシナが各社のカメラやレンズを受託製造している巨大
企業(製造工場)である事は知っている。だから、これらの
コシナ製格安レンズをこぞって入手し、その弱点(例えば開放
近くでの収差発生による描写の甘さ等)を回避しながら使い、
「値段の割りによく写るハイコスパレンズだ!」という評価を
下す事となる。
そして、コシナ社自身も、この現状(ブランド知名度が無い)
事は良くわかっている。おりしもデジタル化時代も近い、
もしカメラがデジタル化したら、もうコシナ社に製造の依頼
が来る筈もない、コシナ社の生産ラインでは、MFのカメラや
レンズが主力であり、AFレンズですら製造は難しかったのだ、
そこにデジタル・・ もう、どうしようも無いでは無いか・・
コシナ社は「ブランド」を強く欲した。その結果、1990年代に
宙に浮いていた「フォクトレンダー」に目をつけ、これと交渉
し、1999年には、国産フォクトレンダーブランド初の銀塩
カメラ(BESSA-L)を発売、その後数年間で、畳み掛けるように
極めて多数のカメラとレンズ群をフォクトレンダー銘で発売。
恐らくは、もうとっくに設計は完了してあったのであろう、
「後は名前だけ」という状態であったに違い無い。

ただ、せっかく高価に買ったブランド銘である、これまでの
自社ブランド品のような、コストダウン型の設計をしたら、
ブランド銘に傷がつく。だから、フォクトレンダー銘の
カメラやレンズは、品質や性能が第一となり、当初は非常に
高性能な製品が適価で発売されていた。

ただし、これらは適価とは言え、これまでのコシナ社の
カメラやレンズ群よりもはるかに高価であり、5万円~10万円
という価格帯、そして新品値引きも殆ど無い。おまけに
あまりに多数の製品が次々に発売されるのだが、それらが継続的
に生産されることはなく、欲しいと思ったら買っておかないと
買いそびれてしまい、以降、入手困難になってしまうのだ。
私は、2000年代初頭、これら、フォクトレンダー銘で次々に
発売される新カメラや新レンズを買うのに忙しく(汗)
おまけに、ほとんど新品値引き無しで買わなくてはならず、
結構、いいようにフォクトレンダーの戦略に乗せられてしまって
財布が軽くなり続けた状態であった(汗)

前述のように、これらの2000年代初期フォクトレンダー製品
の一部は生産数が少なくて、後年には入手困難になった為、
流通側や投機層により「プレミアム価格化」してしまった
ものも多くある。
しかし、私に言わせれば、まあ、初期フォクトレンダー製品は
確かに、そこそこ性能は優れているが、新品値引き無し販売で、
当時としても「コスパが若干悪い」と感じていた製品群であり、
後年に、その当時よりも高価に買う等は、ちょっと有り得ない
話であると思っている。後になって「欲しい」と言ったマニア
などには、必ず「何故、買える時に買っておかなかったのだ!」
と一喝する事にしている。
自身の価値感覚を持たず「誰がか良いと言ったから買う」等の
受動的な機材購入行動をするようでは、マニアとは呼べない。
優秀と思われるレンズは自力で探し出し、買える時に適切な
価格で買わないとならない、それが「マニア道」での鉄則だ。

さて、初期フォクトレンダー製品は、2000年代前半を通じて
マニア層には人気であった。・・というか、あえて製品企画
をマニア向けにターゲットを絞り、マニア層が反応しそうな
製品群を小ロット(多くても数千本or台、これは上級マニア
層の実数とほぼ同じ)で生産して、個々に売り切っていたのだ。

ところが、2000年代前半、一眼レフのデジタル化が進み、
一般層に普及したのみならず、銀塩マニア層ですらも、
デジタルカメラに主軸を移すようになると、さすがに初期
フォクトレンダーの戦略(銀塩レンジ機や、その交換レンズ群、
稀にMF銀塩一眼レフマウント用の交換レンズ群が主流)は
もう通用しない。
そこでコシナ社が意図した事は、新規ブランドの取得である。
京セラ・コンタックスが、デジタル化の事業構造の大変革に
耐えられず、2005年にカメラ事業から撤退。CONTAXが撤退
してしまうと、カール・ツァイス社もブランド提供先に困って
しまう。そこへコシナ社が名乗りをあげ、カール・ツァイス銘の
レンズ製造権を取得した。同様にコシナは「ツァイス・イコン」
も取得したが、この名称を用いた銀塩レンジ機は、1台だけ
発売されたものの、既に世の中ではデジタル化が進んでいて
銀塩カメラはもう注目されず、商業的に失敗に終わっている。
(注:ツァイス社からの委託生産品だった、という話もある)
しかし、ツァイスブランドのレンズの方は、2006年より
多数の高級レンズの展開を開始、こちらは初期フォクトレンダー
製品(レンズ)よりもさらに高価で、10万円~20万円もする
MFの一眼レフ用交換レンズ群であったが、ツァイス銘レンズの
復活は、マニア層にはウケが良かった。

ただ、ツァイス銘を使用しているのはコシナ社だけでは無い。
SONYは、2000年代からビデオカメラやコンパクトカメラの
搭載レンズにおいて、テッサーなどのツァイス商標を部分的
に使用していた。しかし、コニカミノルタが2006年に上記の
京セラと同じ理由で、デジタル化に耐えられずカメラ事業から
撤退し、SONYにαブランドとカメラ製造ノウハウを譲渡
すると、SONYもコシナ同様に、一眼レフ用交換レンズでの
ツァイス銘の使用権を取得、2006年には、SONY製の初の
デジタル一眼レフα100の発売に合わせて、3本のツァイス銘
高級交換レンズを発売している。

ツァイス銘を取得したコシナが、2006年から発売している
初期コシナ・ツァイス銘レンズの多くは、銀塩時代に
(ヤシカ・京セラ)コンタックスが、ツァイス社監修の元で
設計開発したレンズ群(例:RTSプラナー等)の設計をそのまま
踏襲して、コシナ社で製造したものを発売していた。
・・しかし、ここまでの話は全て事実ではあるが、ユーザーの
立場から見て、どう思うだろうか? 結局、ツァイスとか
ローライとかライカとかフォクトレンダーやらの老舗ブランド
銘は、現在では実際にはカメラやレンズを作っている訳ではなく
単に、その名前だけを国内外の各社が取り合って、自社製品に
その名前をつけてカメラやレンズを販売しているに過ぎない。
勿論、その名前の分だけ高価な商品になる、名前の提供元に
ライセンス料(=暖簾代)を支払わなければならないからだ。

だけど、その中身は、コシナ製やSONY製やPanasonic製である、
私に言わせれば、そうしたメーカーにおいては、
「そこまで高性能な製品(レンズ)を作れる技術があるのならば
もう「名前」はいらないから、その分だけ安く売って欲しい。
あるいは、同じ値段でもいいから、ブランド名を外して、
その分だけ、思い切り贅沢で高性能な設計にしてもらいたい」
というニーズが出てきてしまう訳だ。
(参考:SIGMA Art Lineレンズなどは、後者のコンセプト
であり、個人的に気に入っている。下写真)

が、世間一般には、この理屈は通用しない。「有名なブランド
銘が入っていれば、高性能(高品質)であり、知らない名前の
製品は、三流の低品質な製品である。安かろう、悪かろう!」
と世間一般の大多数が、そういう誤まった価値感覚(常識)を
持っている状況である。
まあ、私に言わせれば、消費者側の無知も、ここまで行くと
情けない話である。下手をすれば、そういう人達と同列に
見られたくも無い為、意地でも有名ブランド銘の入った写真
用機材(製品)は買いたく無い、と思ってしまいかねない。
事実、私個人的には、その傾向(志向)が極めて強く、だから
銀塩時代から現代に至るまで、老舗ブランド銘の入った機材を
ほとんど所有していない。「どうせ、どこかの国内メーカーで
作っているものを、名前だけで高価に買うなど、意味が無い」
と強く思っているからだ。
冒頭に「ブランド製品には興味が無い」と書いたのは、
そういう事情があるからである。
でもまあ、「フォクトレンダー」に関しては、ギリギリで
セーフであった。このブランドを知っているのは、中上級
マニア層のみであり、逆に言えば、「知名度は無い」とも
言えるわけであり、一般層が欲しがったりする事も無いし
「投機層」が値上げや転売の為に目をつける事も無かった。
(注:2010年代後半では、残念ながら投機対象となってしまう)
他の海外老舗ブランドや、国内でもニコン製の限定品、などは
投機対象商品となってしまい、買占めとか相場高騰とか高額での
売買とか、すぐに、そうした「写真の本質」とは全く関係の無い
方向に行ってしまうのだ。
(注:2019年頃からは、一部の商品で「不正転売禁止法」
が施行されたが、全ての商品にそれが適用されてはいない)
これは、実用派マニアとしては、受け入れがたい世界であり、
せっかく買ったカメラやレンズを「価値が下がるから使わない」
などと言われてしまったら、非常にがっかりする。
カメラやレンズは写真を撮る為の「道具」である、道具として
生まれてきたのに、その使命を全うできないなどは、カメラや
レンズからすれば、なんて可哀想な話なのだろうか。
まあ、機材を投機対象とする人達は、道具としての愛着を
持たない人達(=写真を撮らない人達)が全てである。それは
まぎれもない事実だ、何故ならば、仮に私がそうした投機対象
にもなる希少な機材を買ったら、何が何でも使ってみたいと
思うであろう。それが知的好奇心であり、マニア道の原点だ。
そう思わず、カメラやレンズを、骨董品のように単なる取引上
での「商品」としか見なしていない人達でないと、とても、
使わずに転売などは出来ない筈だ。

さて、余談が長くなったが、歴史の話に戻ろう。
コシナ・フォクトレンダーも2000年代後半には、その方向性
を見失ってしまっていたように見えた。
今更銀塩カメラを売り出しても、世の中は全てデジタル機
だから、もう売れない。
交換レンズは、好事家向けに、ライカマウントの製品の販売
が継続されてはいたが、出荷数はもう少ないだろう。
まあ、頼みの綱のツァイス銘レンズは、そこそこ売れていた
模様ではあるが、販売数は勿論少ない、だから売り上げ金額
の減少を利益率でカバーしなければ事業が維持できなくなる
ので、新製品は、ますます高価な「高付加価値型」商品となる。
「フォクトレンダーも同様な高付加価値化が必要だ」、
コシナ社はそう考えた事であろう、2010年頃にミラーレス機
(μ4/3)専用マウントで新発売された、フォクトレンダーの
新レンズ群は、実に、開放F0.95という超大口径レンズと
なっていた(「ノクトン」シリーズ。計6種が市販されている)
ここまで特殊なスペックは、十分に高付加価値化の理由となる、
販売数は少ないだろうが、欲しいというマニア層は居る。
だから、これまでのツァイス銘レンズと同様に、ここから
フォクトレンダー銘のレンズ群も、定価10万円オーバーの
高価格帯に突入してしまった。

2013年に、SONYからフルサイズミラーレス機、α7/Rが
発売されると、中上級マニア層はそれを入手し、オールド
レンズのフルサイズ母艦としての利用を始める。
実際にα7は、オールドレンズの母艦には向かないのではあるが
(ミラーレス・クラッシックス第13回記事参照)、マニアとは
言っても全員が細かいカメラ評価技能に精通している訳でも無い。
世の中の流行や動向(ムーブメント)が、そうであれば、実際の
得失とは無関係に、それがデファクト(事実上の)スタンダート
(標準)となっていく。
巷では、α7系カメラや他のミラーレス機を用いて、オールド
レンズを装着した解説本や写真集などが多数刊行されていた、
そう、「第二次中古レンズブ-ム」の到来である。
(ただし、このブームは、1990年代の第一次ブームのように、
一般層まで波及することはなく、マニア層の範疇で留まった)
で、マニア層の市場動向の調査に余念が無いコシナ社がそれを
見逃すはずは無い。2010年代後半には、SONY E(FE)マウント
を意識し、これまでの他マウントのフォクトレンダー銘
レンズを、次々にEマウント化し、若干の設計変更などで
高付加価値化し、初期(2000年代前半)フォクトレンダーの
数倍という高額での発売を始めた。
しかし、単なる旧製品の焼き直しでは、上級マニア層が多い
コシナ・フォクトレンダー/ツァイスのユーザー層から、
不評を買ってしまう、まあレンズ改良は必須、デザイン性も
意識しなければならないし、さらには、全くの新設計の新鋭
レンズの発売も時には必要となるだろう。

新製品としては、「マクロアポランター」シリーズがある。
2017年のフォクトレンダー マクロアポランター65mm/f2
2018年のフォクトレンダー マクロアポランター110mm/f2.5
がその代表格である。
定価が12万円~15万円もする高額レンズだ、もはやツァイス
でもフォクトレンダーでも高価な事には変わり無い。
でも、ツァイス銘レンズはもっと極端だ、Otusシリーズ等は、
定価が40万円~60万円もする。
僅か20年前の1990年代後半では、コシナ社製のレンズは、
1万円台前半で新品購入できたのだ、それが今では60万円、
20年間で、同じメーカーの同様な製品が、40倍も値段が
上がった国内での例は、私は他には知らない。
(注:海外諸国においては、稀に経済や世情の不安定を
原因として、3年間で2倍以上の物価高騰となる、
「ハイパーインフレーション」が起こる事も稀にある。
日本では、1970年代の狂乱物価や、1990年前後の
バブル景気があったが、同等の製品が40倍も価格が
高騰した例は無いと思う。かの「ゴルフ会員権(券)」
ですらも、バブル期での相場高騰は10倍程度だった)
事業構造の変革、世の中や市場の変化、ブランドの価値感覚、
いくつかの要因が絡み合って、この状況の変化が訪れた。
もはや、コシナの事を「三流メーカー」等と言うユーザーは
誰も居ない。「ああ、フォクトレンダーとかカールツァイス
とか、やたら高いレンズを作っている高級品メーカーが
コシナなのでしょう?」と、初級マニア層でも、ほぼ正確に
現在のコシナ社の立ち位置を理解している。
しかし、その結果、一部で弊害も起きている模様である。
入手困難となった初期フォクトレンダー(2000年代前半)
のレンズを、「コシナが作っていたレンズだから、恐ろしく
性能が高く、良く写るに違い無い」と、見た事も使った事も
無い人達の間で、それらが「神格化」されてしまったのだ。
そうして、マクロアポランター125mm/f2.5SL等は、発売時
定価(10万円以下、後年には5万円以下の新品販売価格)を
遥かに越える、20万円程度の高額相場で取引されていると聞く。

まあでも、ちよっと待って欲しい。MAP125/2.5は、非常に
使いこなしが困難なレンズであり、本ブログの「使いこなし
が難しいレンズ特集」(レンズ・マニアックス第12回記事)
でも、ワーストワンとなった、いわくつきレンズなのだ。
それを使う位ならば、2010年代後半のマクロアポランター
の方がはるかに使い易いし、描写力も17年のもの時代の差
を経て、新機種が優れている。わざわざ昔のモノを探して
無理して高価に買う必要性は無いではないか。
それこそ、「何故買える時に、買っておかないのだ!」と
一喝する事になってしまう。
参考記事:特殊レンズ・スーパーマニアックス第11回
「マクロアポランター・グランドスラム編」記事参照。
さて、余談ばかりになって、ちっとも肝心の老舗ブランド
のカメラやレンズの個別の話ができていなかったのだが、
まあ逆に言えば、そうした二次情報は、世の中のどこにでも
存在している。本ブログでは、本ブログからでしか得られない
情報を提供したい、というコンセプトがある。
新生フォクトレンダーの話が主体ではあったが、老舗ブランド
と、それをとりまく歴史や世情、世の中の動向。それらは
マニア層であれば、必ず知っておかなくてはならない事では
なかろうか・・・
----
さて、今回の記事は、このあたりまでで・・
次回は、引き続きカメラメーカーの歴史的な変遷の話とする。