所有している銀塩一眼レフの名機を紹介するシリーズ記事。
今回は第三世代(AFの時代、世代定義は第1回記事参照)の
CANON EOS-1HS(1989年)を紹介する。

装着レンズは、CANON EF 50mm/f1.4 USM
(ミラーレス・マニアックス第69回記事で紹介)
本シリーズでは紹介銀塩機でのフィルム撮影は行わずに、
デジタル実写シミュレーター機を使用する。
今回は高速連写機CANON EOS 7D(APS-C機)を使ってみよう。

以降はシミュレーターでの撮影写真と、本機EOS-1HSの機能
紹介写真を交えて記事を進める。
ちなみに、使用レンズEF50/1.4の発売年は、1993年と、
本機EOS-1HSより4年程新しい。EOS初期ではズームレンズが
主力で、単焦点はさほど多くなかったのだ。

さて本機EOS-1HSはキヤノンの銀塩EOS初のフラッグシップ機だ。
この直前のキヤノンのフラッグシップ機は、本シリーズ第9回記事
で紹介の New F-1(1981年)があるが、そのカメラはMF一眼レフ
であり、しかもマウントもEOSとは異なるFDマウントである。
EOS(EF)マウントとFDマウントは互換性が全く無く、
マウントアダプターを用いてEOSにFDレンズを装着する際にも
フランジバックの差異を吸収する為の「補正レンズ」を入れる
必要があり、これはレンズ画質を極端に落とす事になるので、
あまり一般的な使用方法では無い。
マウントがガラりと変わってしまった事の影響については
また別記事で述べよう。
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それから、本シリーズ記事では、銀塩一眼レフの第三世代を
「AFの時代」と定義している。
その定義では、第三世代に突入した最初の機種は、歴史的に
極めて重要かつ著名なMINOLTA α-7000(1985)である。
本来、本シリーズ記事の主旨からすると、そのα-7000を
本機よりも前に紹介するべきなのだが、残念ながらα-7000は
個人的には好きなカメラではなく、所有する機会が無かった。
その「歴史的有名機」を所有しなかった代わり、と言っては
なんだが、同年1985年発売のα-9000を所有していた。
このα-9000は、本シリーズ第4回のMINOLTA X-1(1973)
以来の、ミノルタの最高級機だ。
その12年の間、ミノルタの最上位機はX-1が継続販売されて
いたものの、実質空白状態であり、X-700(本シリーズ第10回)
が、その空位を埋める形になっていた(X-700は、AF時代にも
販売が継続され、異例のロングセラー機となった)
α-9000の話を少しだけ書いておくが、AF一眼レフで唯一の
「フィルム手巻き式」カメラである、そこだけ聞くと非常に
マニアックなように聞こえるが、極めて高い性能・機能を
「てんこ盛り」とした機種であり、α-7000よりも魅力的な
カメラであった。
α-9000は銀塩時代に長く愛用したが、2000年代に入った
頃には、上部液晶が劣化して滲みが出て、殆ど見えなく
なってしまい、やむなく処分した次第だ。
なお、後のミノルタ及び現代のSONY αにまで引き継がれる
「9番機=ハイエンド機」という伝統を作った最初の機種が
このα-9000であった(注:X-900が試作されていた模様だが
結局発売されなかった、αの開発に注力したからであろう)

さて、EOS-1HSの話ではなく、ミノルタの話になっているが
AF一眼レフを語る上で「α-7000」の存在は決して無視する
事はできない。なにせ「αショック」と呼ばれ、社会現象に
なったのみならず、その時期ミノルタは、他社を圧倒的に
リードし、他社のカメラ戦略を全てひっくり返して御破算
(ごわさん)にする程の強烈なインパクトがあったのだ。
AFカメラ自身は、1970年代末からコンパクト機においては
チラホラと出現していた、その最初の機種は、有名な
「ジャスピンコニカ C35AF」(1977)である。
しかしAF一眼レフの登場はだいぶ遅れる、恐らくは一眼レフに
おいてはAF精度や速度が大きな課題となっていたのであろう。
コンパクト機でAF化をいち早く実現したコニカですらも
AF一眼レフの開発を断念してしまっていた。
1980年代に入り、PENTAX ME-F(1983)やNIKON F3AF等
いくつかのAF一眼レフが市販されたが、いずれも試作機のような
レベルのAF精度しか無く、交換レンズも、その機種専用の物が
数本あるだけで、市場に受け入れられる事は無かった。
そして、キヤノンも勿論AF一眼レフの開発を行っていて、
最初の機種「T80」が発売されたのが1985年であった。
これはα-7000の発売直後であり、AF精度も交換レンズの数も、
α-7000のレベルには遠く及ばなかった為、業績は全くの
不振に終わった。
このタイミングの悪い「T80」はキヤノンにおける「黒歴史」と
なってしまい、後年キヤノンではT80を「無かった事」として
闇に葬り去った。
私は1990年代にカメラ店舗向けの「キヤノン一眼レフの歴史」
の年表型大型ポスターを入手して家に飾っていたが、そこには
「T80」は載っていない。
が、T80は紛れも無く発売されたカメラであり、後年には
「珍品」として中古市場で見かけた事もある(購入はしていない)
キヤノンはT80をすぐに製造中止とし、いったんMF機に戻り、
FDマウント最後の高性能機「T90」を1986年にリリースする。
これは、ファインダー交換は出来ず「フラッグシップ機」とは
言い難いが、実質上の「ハイエンド機」と言える。
後年、私はT90を45,000円と言うフラッグシップ機並みの
高価格で中古入手して、結構長期間愛用していたのだが、
2000年代後半になって「もう使わないだろう」とマニアの
知人に譲渡してしまっていた。
で、「T90」は、現在残念ながら手元に現物が無いのだが、
このT90の曲線的なデザインは、工業デザイナーの
「ルイジ・コラーニ」氏の手によるもので、実は、これが
後年の「EOS」の原型デザインとなったカメラである。
一旦MFに後退したかに見えるキヤノンであるが、T90は
かなりの高性能機であった。
「α-7000」はAFの超人気機種であるが、例えば1/2000秒
シャッター等、スペック的には中級機止まりだ。
T90は1/4000秒機なので、AFは無いものの、実質的には
α-7000よりも格上だ。中上級者層に対しては、まだまだ
T90も競争力のあるカメラであった。
さて、T90の翌年の1987年には、CANONは旧来のFDマウント
を見限り、初の実用的AF機「EOS650」を新しいEF(EOS)
マウントで発売するのだが・・
1985年の「αショック」から、急遽AF化に追従した各社の
AF一眼レフが出揃うまでの1~2年間は、カメラ開発史上
「最も忙しかった時期」なのかも知れない。
この段階で、一眼レフのAF化を見送ったカメラメーカーも
いくつかあり、一種の「試金石」のようだったかも知れない、

この激動期の各社のAF一眼レフ発売の歴史を述べておこう。
<1985年>
MINOLTA α-7000 史上初の実用的AF一眼レフ
MINOLTA α-9000 ミノルタ初のハイエンド9番機(現在未所有)
CANON T80
キヤノン初のAF一眼レフだが、歴史の闇に葬られた悲運のカメラ。
<1986年>
NIKON F-501
ニコン初のAF機だが、注目されず商業的には成功とは言えない。
マウントはニコンFを踏襲。
OLYMPUS OM707
オリンパス初のAF機だが、未成熟な仕様で失敗作となってしまい、
この後オリンパスは銀塩AF一眼レフを1台も発売していない。
ちなみにOMは、ヒトケタ機のみハイフンが入り、他の機種には
入らない(例:OM-1,OM10)
KYOCERA 230AF
京セラ(注:ヤシカ銘もある)初のAF一眼レフ。
CONTAX銘にしなかったのは色々事情があるのだろう。
シリーズは1993年まで展開されたが、これも商業的には失敗だ。
<1987年>
PENTAX SF X
ペンタックス初の実用的AF一眼レフ。試作機ME-F(1983)から
多くの改良を施している。Kマウント互換を踏襲するKAfマウント。
この機種の商業的な成否は諸説あるのだが、近未来的デザンには
好き嫌いがあり、マニア受けはしていなかった。
EOS650
キヤノン初のEOS機、CMOS測距等、先進的だが、最高1/2000秒
と中級機レベル。
中古市場では良く見かけ、意外に売れていたとは思われるが、
あまり魅力的な機体ではない。
キヤノン創立50周年の記念日に発売する事を予告していた。
EOS620
EOS650の上位機種、1/4000秒シャッターや初のプログラムシフト
搭載等、上級者向けでマニアには人気があった(現在未所有)
さて、ここまで1986~1987年の各社のAF一眼レフの歴史を
述べてきたが、正直言って「慌てて作った」感が強い印象だ。
EOSは善戦した模様だが、他社機はほとんど商業的には全滅状態、
オリンパスにいたっては「致命傷」を負ってしまうダメージだ。
ミノルタα-7000の牙城は、なかなか強力であり、容易には
崩せる状態ではなかった模様だ・・
以下、続く歴史だ。
<1988年>
MINOLTA α-7700i
3年の開発期間を経て、ミノルタαの新世代機が発売。
多数の自動化機能を搭載、革新的ではあるが、この後ミノルタは
自動化機能を過剰に暴走させる事になり、後の「悲劇」に繋がる。
この機体は、工業デザイナー「ハンス・ムート」氏の手による。
同氏は、1980年にスズキのオートバイ「GSX1100Sカタナ」を
手がけた事で有名だ。「カタナ」の斬新なデザインは、発表時に
「ケルンの衝撃」(注:展示会場名)と言われ、後年に多数の
派生車種が出来る程の超人気シリーズとなった歴史的名車だ。
(しかし「カタナ」は実際にはハンス・ムート氏本人のデザイン
ではなく、所属していた企業によるものだった模様だ)
EOS750 EOS初のフラッシュ内蔵機
NIKON F4 ニコン初のAFフラッグシップ機(後日紹介予定)
余談だが、本シリーズ第二世代までの銀塩MF一眼では
フラッグシップ機の要件は、各記事で比較的はっきり定義
できていたと思うが、この時代から「フラッグシップ機」の
定義があいまいになってきている。どちらかと言えば
「ハイエンド機」や「最高機種」「最上位機」とか言う方が
マッチするように思えるが、しばらくは曖昧なままシリーズ
記事を進める事としよう。
ちなみに「フラッグシップ」とは、多数の艦船からなる船団、
すなわち海軍艦隊等において、司令官等が乗り指揮を行う際に
「旗」を立てた司令艦船のような立場の艦の事であり、
第二次大戦では、通常、戦艦等の高性能艦がその役を担った。
日本海軍であれば例えば「大和」や「武蔵」が代表的であろう。
(注:厳密にはそうとは言えないが、ここで詳細を述べるのは
マニアック過ぎるので割愛する。あくまで世間一般的な説明だ)
これが転じて、製品群の中で最も重要な物、最高級の物を指す。
まあ、感覚的には他の艦船より、だいぶ「格上」なイメージが
あるので、α-9000、T90等の少しだけ他のカメラよりも高性能
な機種は「フラッグシップ」とは、なかなか呼び難いのだ。
<1989年>
EOS630 秒5コマの高速連写(当時最速)、深度優先AE
EOS-1(HS) EOS初のフラッグシップ機(本機)
さて、やっと本機EOS-1HSの時代になった。

この年は、昭和から平成に切り替わった年であり、
時代はバブル景気真っ最中、消費税(3%)も導入された。
世の中が大きく変化した時期であるが、自粛ムードもあって、
ヒット商品は「ゲームボーイ」を除き、あまり生まれていない。
そして、この数年間の各社初期AF一眼レフの数々の失敗も、
このバブル期であったから救われた要素もあったかも知れない。
すなわち企業の資産価値が上がり続けたから、多少のミスは
帳消しになったという事だ。
もし、この「AF一眼開発」が不況のまっただ中で行われて
いたら、その後のカメラの歴史は大きく変わっていた事で
あろう、初期AF一眼が商業的に失敗したら、その後、各社は
もう開発を続ける事が難しくなってしまう・・
結果的に銀塩AF一眼レフは市場で上手く軌道に乗った、
しかし、時代の激変でユーザー層の購買心理もまた微妙に
「昭和の時代」とは変化していた要素もある、その話は長く
なるので、また別の記事に譲る。
で、この時期、ミノルタαの独走を捉える為、ニコンと
キヤノンはフラッグシップ機戦略を取る事としたのであろう。
その両社のみ、銀塩MF時代に複数の旗艦機を発売し成功している。
ミノルタはX-1(1973)の失敗以降、旗艦機を発売していなかった、
そこがミノルタの弱点である、と思われたのかも知れない。
なお、シリーズ記事の順番の都合上(同一メーカーの機種が
続かないように)今回はNIKON F4より1年後のEOS-1HSを先に
紹介しているが、深い意味は無い。

本機EOS-1HSだが、まさに重厚長大なフラッグシップ機だ、
先に「AF機はフラッグシップとは呼びにくい」と書いたのだが、
本機のレベルは別格であろう。電池込み本体重量約1500gは、
まさしく「超弩級戦艦」の貫禄があり、MINOLTA X-1(1973)
(本シリーズ第4回記事)以来のインパクトを持つ。
私は1990年代後半に本機を68,000円で入手したが、この重さ
故に、正直言うとあまり出番は無く、もっぱら、もっと軽量の
銀塩EOS機を持ち出す事が多かった。
購入用途は「連写機」としてであり、それ故にHS(ハイスピード)
仕様機にしたのだが、これはEOS-1本体に「パワードライブ
ブースターE」を装着する事で実現するので、EOS-1を買った後に
HS仕様にする事は容易だ。

だが、銀塩時代の高速連写機は勿論フィムル枚数の制限がある。
後年のNIKON F5も同様の用途で入手したが、極めて限られた
被写体にしか有効ではなく、どちらの機種も重たい機体なので
本当に出番が少なかった。
高速連写機は撮影枚数の制限が緩和されるデジタル機でないと
有効ではなく、結局、後の時代に、NIKON D2H(2003年、
デジタル一眼レフ第1回記事)を入手すると、銀塩高速連写機の
出番は完全に無くなってしまった。
ちなみに型番だが、EOSは銀塩、デジタルを通じて1番機のみ、
ハイフンが入り(EOS-1,EOS-1D等)その他の機種にはハイフン
が入らない(EOS 5,EOS 7D等)(ただし銀塩EOS-3のみは例外)

さて、ここで本機EOS-1HSの仕様について述べておく、
が、この時代のカメラは、もはやスペックに関する情報や
説明書等が殆ど現存しておらず、あくまで、わかる範囲や、
私が実際に実機を触りながらの分析なので、間違いや抜けが
あるかもしれない、この状況は、これから数記事続くと思う。
EOS-1HS(1989年)
オートフォーカス、35mm判フィルム使用AEカメラ
最高シャッター速度:1/8000秒(電子式)
フラッシュ:非内蔵、シンクロ速度1/250秒 X接点
ホットシュー:ペンタプリズム部に固定
ファインダー:固定式、スクリーン多種交換可能。
標準ではマイクロプリズム+マット
倍率0.72倍(?) 視野率100%
ファインダー内照明:可
使用可能レンズ:キヤノン EFマウント
絞り込みプビュー:有り
AF測距点数:1点、MF時にフォーカスエイド可
AFモード:ONE SHOT,AI SERVO
AF/MF切り替え:レンズ側スイッチによる
露出制御:PSAM方式+DEP(深度優先)、プログラムシフト可
測光方式:評価測光、中央重点、スポット
露出補正:背面サブ電子ダイヤルで可、(±2EV,1/3段ステップ)
電気的スイッチによるロック有り
ファインダー内表示:露出モード、絞り値、シャッター速度、
露出補正メーター、合焦マーク
露出インジケーター:マニュアル露出時、露出補正メーター兼用
AEロック:有り、使用中は適正露出値との差分をメーター表示
露出ブラケット:有り
ドライブ:単写、高速、低速、セルフタイマー
連写速度:EOS-1HSの場合、高速時毎秒5.5コマ
多重露光:可
電源:単三型乾電池 8本使用 (EOS-1HS仕様)
電池チェック:カメラ右部の蓋を開けて内部にスイッチ有り
カスタムファンクション:右部蓋の内部スイッチで設定
フィルム感度調整:手動、自動(DXコード対応)
本体重量:約1500g(EOS-1HS,単三型電池込み)
発売時定価:239,000円

さて、本機EOS-1HSの長所だが、
まず、かなりの高性能機である事だ、基本性能や機能は
この当時としては最上級クラスであり、現代の目から見ても
フィルム機である、という点を除いて、あまり不足する
性能は見当たらない。
AF精度も従来の自社/他社機より格段に向上しているが、
この時代なので、測距点は1点のみである。
ただ、測距点については、個人的には「AFは1点あれば十分」
とも思っている、いくらそれが多数あっても、その選択で
操作性や操作系が悪化するのは好ましく無い。
本機ではクロスタイプのAFセンサーが初搭載されていて、
精度が高い。つまり、低精度の測距点が沢山ついていても意味が
無いという考え方もある。まあ、これはユーザーの使用目的にも
依存し、私の場合はピント精度を必要とする大口径レンズの
使用頻度が多い為、多点測距はあまり重要視していない。
それよりも、ファインダーやスクリーンの性能を向上してもらい、
MFで撮った方がマシだとも思っている。
高速連写は素晴らしいが、前述のように銀塩では用途が無く、
業務上等でのスポーツ撮影等、特殊なケースのみであろう。
なお、連写音は極めてうるさく、顰蹙ものであるが、
その音質は「シュッキーン」と、かなり格好良く、後年の携帯
電話カメラ等での擬似シャッター音や、TV等での効果音として、
サンプリング(電子的に録音)されて、長く使われた程である。

あと、ファインダーだが、情報表示は十分だ。
なお、前のフラッグシップ CANON New F-1のMFピント性能は、
全一眼レフ中、トップクラス(実質1位)である程優秀であったが
本機EOS-1HSは(標準スクリーンでは)さほどでもない。
しかし、この点は、後年の電子化スクリーンで、さらにMF性能は
悪化の一途をたどる傾向があったので、本機の時代までがMFの
実用範囲であろう。

なお、ダイヤル式視度補正機能がついていて、その点は長所である。
(ただし、アイカップ装着時は、調整が極めてやりにくい)

本機EOS-1HSの弱点であるが、
まずはその重さだ、でもまあ、これはある程度やむを得ない。
銀塩一眼レフでの高速連写は、シャッターを動かすだけではなく、
ミラーも上げ下げしながら、連写と同じ速度でフィルムも給送
しなけれはならない。
全ての動作機構が、大きく重く複雑になるのは仕方が無い。
価格も高価だが、これでも同時代のNIKON F4と同等か
モデル形態によっては、むしろ安いくらいだ。
後、操作系が練れて居ない事は第二の弱点だ。
全てそれをあげていくと、際限なく文字数が増えてしまうので、
やむなく省略するが、これはボタンの押しやすさ等の
「操作性」の話ではなく、実際にカメラを使う上での機能が
必要な時にすぐ呼び出せるか?という「操作系」の話である。
例えば、高速連写ばかりではフィルム撮影では厳しいので、
ドライブモードを変えたいとするが、これはカメラ右部にある
蓋を開けて、中にある小さいスイッチを押し、前ダイヤルで
上部液晶の小さい表示を見て、それを変えなくてはならない。
指の動線、視線の移動、重たいボディの持ち替え、など、
どこをとっても効率的では無い「操作系」だ。

また、露出モードやAFモード、測光方式の変更は、本体左上部に
ある専用ボタンを「押しながら」前部ダイヤルを廻して設定
するので、ここもカメラの重さを支えきれず、操作系が良く無い。
さらには、左上部のボタンは「ダブルファンクション」に
なっていて、2個のボタンを同時に押しながらの、手動ISO変更と
多重露光の設定は、指の位置やカメラホールディングなど、
極めて困難だ。
この劣悪な操作系は、まだ「電子化高機能カメラ」が世の中に
さほど出回って居なかった事を原因とするのであろう。
AF旗艦では、これまでの機械式銀塩MF一眼(例:F-1,New F-1)
とは、まったく次元の違う、様々な新しい操作を要求される。
そうした際の「操作系(ユーザーインターフェース)」設計の
概念がまだ無かった時代であるし、どうやったら使いやすくなる
かのノウハウも無い、だから、増えすぎた機能を「とりあえず
実現する」為に、矛盾を抱えたまま、各部の操作系が生まれて
しまったのだろう。
この傾向は後年、機能が爆発的に増えたデジタル一眼レフでも
同様であり、例えば、デジタル一眼レフ・クラッシックス記事の
第9回NIKON D300や、第10回EOS 7D(本記事でもシミュレーター
機として使用)においても、本機より約20年後の時代でありながら、
同様に「増えすぎた機能に操作系が対応できていない」という
重欠点に繋がっていた。
さらにもう1つ重要な問題点をあげるが、本機EOS-1HSはEOS初の
フラッグシップ機であるが、続く後継機EOS-1N系(1994~)や
EOS-1V(2000)においては、従来機からの機能・仕様的な改良は
行われたが、操作系そのものは、旧来のEOS-1系機種のそれを
踏襲せざるを得なかった点もある。
(つまり、職業写真家層等では、新機種で操作系が変化すると、
身につけた迅速な操作の為の熟練の技能が使えなくなるので、
操作系の変更を嫌うのだ)
結局、このEOS-1HSの未成熟な操作系のまま、ハイエンドの
EOS-1番機シリーズが継続されてしまった。
この状況は、デジタル時代になっても、同様な事情から、
変える事が難しく、EOS-1D(2001),EOS-1Ds(2002)等や
それ以降の1D系機でも「MODE選択ボタン」などで、一部、
旧来の銀塩EOS-1系の操作系が引き継がれてしまっていた。
デジタル時代での高機能化で、さらに操作系の矛盾が多々出て
きたのに、それを解消しづらい事情があった事で、もともと、
EOS-1HSの時点では重欠点とは言えない程度の操作系の弱点で
あったものが、後年になるほどそれは助長されていく。
後年、他社が次々と、カメラを使いやすくする為の先進的な
操作系を搭載していくのに(例:PENTAXのハイパー操作系や
ミノルタα-7系のナビゲーション・ディスプレイや、
デジタル時代ではOLYMPUSのスーパーコンパネ等)そうした中、
EOS(特に1番機)では、新規の操作子や操作系をなかなか
搭載できず、他社機に比べて相対的に、どんどんと使い難い
カメラとなっていく。
私の個人的感覚では、EOS機の操作系の他社からのビハインド
(遅れ)は、10年~15年もの差におよんでいた時期もあり、
「EOS-1番機の新型を、ずっと使い続ける」という業務上、又は
ハイアマチュアの「拘り」での理由を除いて、EOS-1番機の
魅力が、時代とともに、どんどんと低下してしまった。
が、「本機EOS-1HSが、その元凶である」とは言い難く、
この時代でば、やむを得なかった節もあるのだが、それにしても、
その後の変遷については、メーカー側の問題のみならず、
保守的なユーザー側にも責任がある為、なんだか残念な話である。

なお、そうした操作系の発達の遅れの問題は、EOS機に限らず
ニコン高級機でも同様の理由から、他社機からのビハインドが
増長されていった(この原因の詳細は他の記事でも述べている)
結局、デジタル時代に入って2000年代後半からは、私は各社の
旗艦機級の購入を避けるようになってしまったのだが、まあ、
所有していない機体の事をあれこれ語るのは好ましく無いので、
このあたりまでにしておこう。
EOS-1HSだが、他には、性能についての不満点は見当たらない。

さて、最後に本機EOS-1HSの総合評価をしてみよう。
評価項目は10項目だ(項目の意味は本シリーズ第1回記事参照)
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CANON EOS-1HS (1989年)
【基本・付加性能】★★★★☆
【操作性・操作系】★★
【ファインダー 】★★★☆
【感触性能全般 】★★★
【質感・高級感 】★★★★☆
【マニアック度 】★★★★☆
【エンジョイ度 】★★
【購入時コスパ 】★★ (中古購入価格:68,000円)
【完成度(当時)】★★★★☆
【歴史的価値 】★★★★
★は1点、☆は0.5点 5点満点
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【総合点(平均)】3.4点
意外にも好評価となり、自分でも驚いた。
基本性能は極めて高いが、その大きさや重さなど、「化物」的
な要素があって、さんざんな評価になるかと予想していたのだ。
だが、弱点があまり無く、マニアックで完成度も高かった事
等が、じわじわと評価平均点を押し上げている。
結局、あれこれ言っても、マニアにとってみれば、十分に
魅力的なカメラである、と言う事だろう。

現代では動作する機体は多くはなく、フィルムを入れての用途も
まず無いとは思うが、歴史的価値もそこそこ高いカメラだ。
次回記事では、引き続き第三世代の銀塩一眼レフを紹介する。