所有している銀塩一眼レフの名機を紹介するシリーズ記事。
今回は第二世代(自動露出の時代、世代定義は第1回記事参照)の
OLYMPUS OM-4Ti(1986年)を紹介する。
なお、厳密には本シリーズ記事での第二世代機は1984年まで
と定義していてる。それは1985年に初の実用的なAF機である
MINOLTA α-7000が発売され、時代は一気に第三世代
(AFの時代)に突入したからだ。
が、本機OM-4Tiは元々のOM-4(1983年)の外装変更版であり、
「派生機である」と見なし、便宜上第二世代機としている。
(本シリーズ記事では最後の第二世代機となる)
装着レンズは、OLYMPUS OM SYSTEM ZUIKO 21mm/f3.5
(ミラーレス・マニアックス第28回記事で紹介)
本シリーズでは、紹介銀塩機でのフィルム撮影は行わず、
デジタル実写シミュレータ機を使用する。
今回は、広角レンズ故に、まずはフルサイズのSONY α7を
使用して当時の雰囲気を味わうが、記事後半では、このレンズの
特徴を活かした撮影技法を行う為、別のカメラでも試してみよう。
なお、OM用レンズは、すべてのミラーレス機のマウントで、
アダプターを使用して装着可能な他、EOSや4/3等、一部の
デジタル一眼レフでもアダプターを介して使える。
【注意】前記事159MM等で紹介の、Y/C(ヤシコン)マウントの
レンズの一部ではEOSフルサイズ機との組み合わせで、ミラー
が干渉し、使用不可あるいは故障リスクとなるケースがある。
今回のOMレンズの場合も、EOSフルサイズ機への装着時に
同様な危険性があると思われる。
私は当該アダプターを持っておらず未確認だが、こうした
組み合わせにおいては、装着時に十分に注意する必要がある。
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以降はシミュレーターでの撮影写真と、本機OM-4Tiの機能紹介
写真を交えて記事を進める。
さて、本シリーズ記事では、オリンパスでは初の紹介機となった。
実は銀塩時代には、OMヒトケタ機は一通り所有していた事も
あったのだが、デジタル移行期のあたりで、殆どの機体を
譲渡してしまっていた。「デジタル時代ではもう使わない」
という考えがあったのだが、歴史的価値の高い機種も多く、
今から思うに保有しておけば良かったとも思う。
ただしOM用レンズは多くを残したので、現代のデジタル時代
に至るまで、ずっと愛用し続けている。
まず最初に、本機OM-4Tiに至るまでのオリンパスの銀塩一眼
レフの歴史を遡ってみよう。
オリンパスは1919年(大正8年)頃から、顕微鏡や体温計
等の医療・理化学機器を製造販売していたが、カメラの販売を
始めたのは1936年と言われている(セミオリンパス)
これは本シリーズ第3回AutoReflex T3の記事で紹介した
「コニカ」のカメラ史における1903年の「チェリー」の
初出よりはずっと後だが、他の著名なカメラメーカーを見ると、
独CONTAX(初出は1932年の「CONTAX Ⅰ」第5回RTSの記事参照)
や、MINOLTA(実用機としては1934年の「ミノルタ」カメラ)や
CANON(初出は1934年の試作機「カンノン」カメラ)等と、
ほぼ同時代であり、オリンパスは国産カメラメーカーとしては、
かなりの老舗の方である。
「セミオリンパス」はブローニー(120)フィルムを使用する
中判カメラであったが、その後、オリンパスは大戦を経て
1950年代に至るまで主に中判カメラをシリーズ展開する。
なお、初出の時代から既に、レンズには「ズイコー」銘が
付けられている。
「ズイコー」とは、日本語の「瑞光」(めでたい兆しの光)
という意味の他、レンズが「瑞穂光学研究所」で開発されたから、
という逸話も、マニアの間では広く知られている。
戦後、1940年代後半からは、35mm判フィルムを使用する
「オリンパス35」シリーズを展開し、広角系レンズ搭載の
「オリンパスワイド」シリーズと共に、1970年代に至るまで
多数のシリーズ機や派世機が販売された。
ここからは、お待ちかねの「PEN」に関連する時代だ。
1959年 歴史的に重要な、ハーフ判カメラ「OLYMPUS-PEN」
が発売される、これはシリーズ化され、1980年代まで
生産が続くロングセラーとなった他、発売から丁度
50年後、2009年からのミラーレス(μ4/3)機の
製品名にも使われている。
1963年 世界初のハーブ判一眼レフ「OLYMPUS-PEN F」が
発売される。小型機である為、当時からハイアマチュア
層などに人気があり、派生機種もいくつかあった。
1970年前後には生産は完了していたとは思うが、後年
1990年代の中古カメラブームの際も非常に人気は高く、
高値の相場での取引が続いた。
発売から50年以上が経過した2016年には「PEN-F」の
名前を冠したμ4/3機が発売され人気機種となっている。
(注:デジタル機の方には型番にハイフンが入る)
さて、一応ここまでが、一眼レフ「OM」以前のオリンパスの
カメラの歴史だが、ヒット商品であるPEN/PEN Fシリーズは、
「天才技術者」と言われて、後にオリンパスの常務となった
「米谷美久」(まいたに よしひさ)氏(1933-2009年)の
設計によるものだ。
なお、悲しい話だが、米谷氏はデジタル版のPENが発売された
同月に亡くなっている。
1960年代の末頃、米谷氏はPENシリーズ大ヒット等の功績から、
35m判一眼レフ新規開発の指揮を取るようになる。
ただ、他記事で各メーカーの一眼レフの歴史を述べているが、
1970年頃には、一眼レフは既に市場には普及していて、
ニコンやキヤノンではフラッグシップ機F2やF-1の発売準備を
していた時代だ(本シリーズ第1回、第2回記事参照)
オリンパスはかなりの後発に見える。
まあ、それまでのPENシリーズの大ヒットもあったので、
一眼レフの開発には注力していなかったのだろうと思われる。
新規参入になる為、米谷氏は自らの頭文字をとった「Mシステム」
という開発名称で、小型化、軽量化、高いシステム性、操作性
への配慮、強い標準化思想等の拘りのコンセプトを盛り込んだ
開発を始める。
例えば、その開発では、構成部品を組み合わせた結果としての
「寸法」があったのではなく、最初から理想的な寸法を決めて、
そこに収まるように部品を配置していく先進的な手法だ。
ただ、これは言う程には簡単なものではなく、どうしても
入らなかったり、強度が足りなくなったりと、開発は難航を
極めた事であろう。
そこを克服して、最終的に小型機のOMシステムの発売に漕ぎ
付けた事が、米谷氏が「天才」と言われた所以であると思う。
ともかく、当時の他社におけるカメラ開発の方法論とは全く
次元の違う高いレベルの発想があったと思う。
以下は、その「OMシリーズ」一眼レフの歴史だ。
1972年 「M-1」が発売される。その小型軽量は勿論世界一だ。
小型軽量化のみならず、シャッター音の静音化も開発の
テーマの1つであったと見える。ともかく市場に与えた
インパクトが極めて大きいカメラであり、後の
「OM神話」の礎となった。
1973年 ライツ社から「M-1」の名称にクレームが入った。
自社の「M型ライカと名前が混同する」という事だ。
他の記事でも何度かこの件は書いたので詳細は割愛するが
まあ「いいがかり」に近いようなものであったとも思う。
やむなく、M-1にはOLYMPUSのOをつけて「OM-1」に改名
される事となった。
1975年 TTLダイレクト測光(本シリーズ第7回PENTAX LXの記事で
説明)を搭載した絞り優先機 OM-2 の発売
1976年 参考:PENTAX MX発売。
OM-1の寸法を縦横高さ各0.5mmづつ小さくして
世界最小を狙った、対抗心むき出しの機種。
(ただし、重量はOM-1の方が軽かった)
が、単に4年をかけて小型化競争をしただけのカメラ
ではなく、それなりに優秀な機体だ(現在未所有)
で、この年まではOM-1は世界最小だったと思われる。
1983年 多点スポット測光機能を搭載した絞り優先機
OM-4の発売 1/2000秒シャッター
1984年 OM-2SP発売、プログラムAE搭載機
OM-3発売、マルチスポット、機械式1/2000秒シャッター
1986年 OM-4Ti(本機)発売、白チタン外装、
(後の1989年に、黒チタン外装機の発売)
この間にも、MD型、N型などの派生機や、下位シリーズである
OMフタケタ機等が多数発売されているが、それらは割愛した。
なお、OMヒトケタ機は、奇数番号が機械式シャッター機、
偶数番号が電子式シャッターの絞り優先搭載機となっていて
OM-1からOM-4に至るまで、共通で使用できる付属品も極めて多く
非常に汎用性や標準化思想の高いシリーズであった。
この標準化は他社のどのカメラシリーズよりも徹底的な統一感
があって、設計コンセプトと言うよりも、一種の「強い拘り」
を感じる。
こうした徹底した「強い主張」とも言える製品コンセプトは、
それが理解できる一部の上級マニアには熱狂的に受け入れられ、
「オリンパス党」は、「通」あるいは「マニア」の象徴としても
捉えられ、そこからオリンパスのカメラ、レンズ、そして
米谷氏も「神格化」される事となった。
なお、OM-1の発売以降、一仕事終えた(?)米谷氏は、35mm判
小型コンパクトカメラの開発に係わる。
そうして1979年に発売された「XA」はコンパクト機の名機だ。
米谷氏自らカメラの外観デザインも行い、カメラ製品で初の
「グッドデザイン賞」を受賞している。
(注:正確には、初受賞はXAではなく、後継機のXA2だ)
XAは私も所有していたが、非常に良く写るMF小型機であり、
35mm/f2.8の単焦点で「絞り優先AE」が搭載されていた。
マニアックな仕様であり、後年にはXAを題材とした小説まで
生まれ、このカメラも米谷氏の「神格化」を広める結果となった。
ちなみに、ハイコスパレンズ・マニアックス第20回記事で
紹介したオリンパスμ-Ⅱ(1997)は、XAの進化系とも言える
銀塩AFコンパクト機の傑作機であり、私は、デジタル移行期に
「XA」は処分しても「μ-Ⅱ」(下写真)は残す選択をした。
余談が長くなったが、まあ一眼レフのOM SYSTEMは、このあたり
までは「順風満帆」だったと思う。
初期のOMはビギナー層に、後期のOMは特にマニア層に高い人気が
あったし、各ヒトケタ機には大きな欠点は無く、いずれも良く
出来たカメラだ。OMヒトケタ機はすべて名機と言っても過言では
無いとも思う。
しかしこの後の時代、オリンパスには少々不運な出来事が
降りかかるのだが、その話はまた他の記事に譲ろう・・
さて、オリンパスの歴史や一般論ばかりが長くなってしまったが、
OM-4Tiの話に戻ろう。
まず、OMヒトケタ機は、どの時代でも常にOMシリーズの、そして、
オリンパスのカメラの最上位機種である。
しかし、これらを「フラッグシップ」とはどうも呼びにくいのは、
まず、小型軽量機であるから「旗艦」としての貫禄が無いのだ。
それと本シリーズ記事においては銀塩MF時代のフラッグシップ機
の特徴として、ファインダー交換や追加部品等の高いシステム性
を持つ事や、1/2000秒シャッター等の当時の最高性能を備え、
耐久性に優れるカメラである事が要件である、と述べて来た。
その条件に当てはまる機種は、本機OM-4Tiまでの時代において
NIKON F/F2/F3 ,CANON F-1/New F-1、MINOLTA X-1 ,
PENTAX LXの7機種しか存在しない。
(内、6機種は本シリーズで紹介済み)
他社においては、一応 CONTAX RTS/Ⅱあたりも最高機種だが
システム性を考えるとフラッグシップ機とは呼びにくい。
OLYMPUS OMシリーズもまあ同様だ、重厚長大なカメラでは無い。
なお、後のAF時代やデジタル時代では、NIKONのヒトケタ機と
CANONのEOS-1系のみフラッグシップ機と呼び、他社の最高級機
は「ハイエンド機」といった表現になる事が多い模様だ。
まあ、このOMシリーズも、当時ではそうした呼び名は無いが、
分類するならば、そのあたりの名称が良さそうである。
まあしかし、OM-4Tiは優れた機体ではあるが、他社の製品とは
コンセプトが異なるカメラであり、あまりそういう一般的な
分類が似合うカメラでは無い。
「OMはOM」であり、唯一無二のカメラだ。
ここで、本機OM-4Tiの仕様について述べておく。
マニュアルフォーカス、35mm判フィルム使用AEカメラ
最高シャッター速度:1/2000秒(電子式)
布幕フォーカルプレーン横走り
シャッターダイヤル:マウント部にあり、倍数系列1段刻み、
1s~1/2000秒、B位置あり
電池切れ等の非常時用に、機械式シャッター
1/60秒とBを使用可(赤字60,Bの表記)
フラッシュ:非内蔵、シンクロ速度1/60秒 X接点
(注:別売のスーパーFP発光型フラッシュF280で全速同調可能)
ホットシュー:有り(固定式)
ファインダー:固定式、スクリーン交換可能
視度補正可能、倍率0.84倍 視野率97%
使用可能レンズ:オリンパスOMマウント
絞り込みプビュー:レンズ側で可能
露出制御:絞り優先、マニュアル、
測光方式:TTLダイレクト測光方式。中央重点、スポット測光
(マルチスポット、ハイライト基準、シャドー基準)
露出補正:専用ダイヤルあり(±2EV,1/3段刻み)
露出インジケーター:LED多点メーター方式、スポット測光時に
メーター上で露出差分を表示可能
露出メーター電源:SR44 2個使用 (LR44使用可)
電池チェック:露出モード切替レバーによる
フィルム感度調整:ISO6~3200(1/3段ステップ)
フィルム巻き上げレバー角:130度(分割巻上げ不可)
セルフタイマー:有り(電子式)
本体重量:510g
発売時定価:不明(最終価格180,000円)
ここで、シミュレーター機をPANASONICのμ4/3機 DMC-GX7
に変更しよう。レンズはそのままだが、ここまで時代背景を
鑑みて制限していた撮影技法の自由度を、少し上げてみる。
本機OM-4Tiの長所だが、
まずは、OM-1の時代から変わらぬ小型軽量ボディに、1/2000秒
シャッター、絞り優先AE、そしてダイレクト測光や、高度な
スポット測光機能等を入れた高性能機である事だ。
ただし1/2000秒シャッターは、当時は既に1/4000秒機も登場
している。
チタン外装であり、高級感や耐久性に優れる点は良いのだが、
その分、高価である(注:発売時定価は記録が見当たらず
不明としているが、1990年代には18万円と高価であった)
なお「チタン製であるから非常に頑丈」とかは、あまり
考えない方が良いであろう。なにせ、チタンは外装だけであり、
カメラの中まで全てチタンである訳では無い、もし落としたりして
衝撃を与えたりしたら、外部も内部も当然壊れる可能性がある。
「チタンが強い」という印象は、いくつかの逸話などの影響も
あるかも知れない。この時代には「どこかのカメラマン氏が、
鉄製ストーブの上にチタン製カメラを落としたら、カメラには
傷がつかなかったが、ストーブの方に傷がついた」という話が
マニア間では、まことしやかに囁かれていたりした。
まあ、にわかには信じられない話だが・・
余談だが、旧ソビエト連邦では、1970年代頃に「アルファ級」
(注:西側名)という軍用の攻撃型原子力潜水艦が就航して
いたが、その潜水艦は、チタン(合金)製ボディであり、
「アルファ級は深度1000mまで潜れる、西側の潜水艦は300m
程度なので、全く歯が立たない」という話が有名になる。
これは、アルファ級が様々なメディアでも取り上げられた事
にもよる。
例えば1990年前後のPC用シミュレーションゲーム「大戦略」や、
漫画「沈黙の艦隊」そして映画の「レッドオクトーバーを追え」
にも登場した事から一般的にも有名になり、
結局「チタンの潜水艦は凄い!」が「チタンのカメラも凄い!」
という風な認識として広まったのであろうと想像できる。
なにせ漫画「沈黙の艦隊」では、アルファ級が西側の潜水艦に
ケーブルをひっかけて、深海に引きずり込んで圧壊させてしまう
シーンが出てくるのだ、これは読者にはインパクトが強い。
なお、アルファ級は実際には450m程度までしか潜れなかった
模様であり、「1000m」は、米ソ冷戦終結前に(意図的に?)
流されたデマのようなものであったのだろう。
冷静に考えれば、チタン(合金)製だからと言って、他の素材に
比べて、3倍も強度性能が向上するとは思えないのだ・・
という事で1990年代頃に流行った「チタン製カメラ」のブームも、
実際には、そんなにカメラの強度や耐久性が向上する訳では無い
ので念の為。なお、私は当時10台程のチタン製カメラを所有して
いたが「高価なので、できるだけ落とさないように注意する」
為に、どのカメラも一度も落下させた事は無く、当然、壊す事も
無いので、結局「心理的な面で、耐久性が向上する」という
効果はあったのかも知れない。
あと、MF機としては珍しくファインダーの視度補正機能を備えて
いる点も良い。これ以前の銀塩MFカメラは、近視、遠視等の場合、
ファインダーアイピース枠に別売の視度補正アダプターレンズ等
を嵌め込む必要があり、近眼や老眼が進行して視度が変わると、
多数の古いカメラを所有している場合、全てのカメラにそうした
処置を施すのは大変(専用部品が入手出来ず、まず不可能)だ。
この時代以降のカメラでは視度補正ダイヤル等を備えている為、
利便性が高くなっている。
なお、初級中級者が良く間違える点として「視力」と「視度」を
混同してしまう事だ、両者は異なるもので直接は関係が無い。
「視度」とは、近視や遠視という事であり、ファインダーの
見えやすさは「視力」ではなく「視度」に依存する要素が大きい。
現代においても、新しくカメラを購入した初級層が「視度調整」
を行っていないケースを極めて多く見かける。
ファインダーの「視度」が合っていないと、まあ、AFであれば
なんとか写真が撮れない事は無いが、シャッター速度や絞り値が
見え難い。その結果、それらの数値を、あまり意識せず、露出の
原理を早く理解する事への妨げになる。
この状態ではMFによるピント合わせは、ほぼお手上げになる為、
「私はMFが苦手だ」と言うビギナー層の一部は、技術的な面が
原因ではなく、もしかするとファインダーの視度が合ってなくて、
MF操作が大変困難な状況になっているのが理由かも知れない。
当然、「ワタシは視力が弱いのでMFが出来ない」と言うのは
誤解である。まず「視度調整」を行うのが良いであろう。
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あと、別売のスーパーFP発光フラッシュを使うと、シャッター
速度が全速同調できるのは凄いが、もうこのフラッシュは現代
では入手困難だし、1/2000秒程度では高速シンクロの効果は
少ない(日中シンクロでも大口径レンズの絞りを開け切れない)
他には、あまり特筆すべき長所は無い。
しかし逆に、不満点もあまり無く、コンセプト的あるいは
仕様的な完成度は高いと思う。
さて、本機OM-4Tiの弱点だが、
まずは、その時代での性能面の古さだ。
1985年の「αショック」からの1980年代後半は、「AF万能」と
信じられた時代であり、「AFが最先端」「AFでなければカメラに
あらず」という風潮であった。
その時代に、MF機で1/2000秒シャッターで、OM-4の外装の
焼き直しで、しかも高価(正確には不明だがα-7000の発売時
定価88,000円よりは、はるかに高価だろう)であったら、
一般ユーザー層は、あまり魅力を感じない事であろう。
第二の問題は「マルチスポット測光」が複雑すぎる事だ。
現代でさえ「露出の概念」を理解しているユーザーの比率は
少ない、1986年当時は、なおさらだ。
そこに今までの露出概念に加えて「ハイライト」や「シャドウ」
や「多点演算」等と言ってもチンプンカンプンであろう。
このマルチスポット機能については、「使いこなした」という
記録は見当たらない、見かけたのは「シャッターボタンと間違えて
スポットボタンを押してしまった、わかり難いので改善してくれ」
といった感じのマイナス評価である。
が、例えばリバーサルフィルムを使う際には狭いラティチュード
を有効に活用できるだろうし、悪く無い機能だ。
しかし、これの「操作系が酷い」のが問題だ。
ファインダー内の多点LEDメーター上に表示されるSPOT時の
各種表示は、良く意味がわからない。
ここは後年のミノルタα-9やα-7のように、基準AE値と
スポット値の差分の2つを表示してくれるだけで十分なのに、
線や点がいくつも表示されてしまう。
やりなおそうとしても解除方法が良く分からない為
(注:実際にはシャッターダイヤルの周りのレバーを廻すが、
これは向きによってクリアとメモリーの両方があり混同する)
これを解除しようとして、誤ってスポットボタンを押すと、
この場合マルチスポット機能となって、露出値が積算されて
平均値を表示するようになる。
まあ原理的にはこれでも良いのだが、実用上では「構図上の
どの場所をスポットで測った」等は覚えていられない為、
訳がわからなくなる。
そして、解除操作もわからず、パニックになってハイライトや
シャドウのボタンを押してしまうと、さらに別の測光モードと
なってしまうので、もう壊滅的だ。
何をやっているのか意味不明となる。
原理が難解な上に操作系が劣悪だ、これでは「スポットを外して
くれ」という評論家が出てくるのも、わからない話では無い。
けれど、実は、本機の時代までは、MFカメラにおける「操作系」
を意識する必要性は無かった。ボタンやダイヤルは全て単一の
「操作性」だけの話であり、「動かしやすいか否か」といった
極めて単純な話であった。
つまり、本機の時代から「複雑化した機能を、どのような操作の
連携で実現するか?」という「操作系」の概念が必要になった。
が、これは、この時代ではまだ未成熟な概念であろう・・
(まあ、現代でもそれが理解できない人はいくらでも居るが)
操作系に関連して、「米谷氏の左手思想」というものが有名だ。
OMシステムでは、レンズ前部に絞り環、ピントリング、そして
マウント部にシャッターダイヤルがあり、それらを全て左手で
順次操作し、右手はカメラのホールディングと、シャッターの
レリーズに集中する、という設計思想だ。
これは悪くは無い、前述のように、この時代に「操作系」やら
「手指の動線」といった概念が少しでもある方が先進的だ。
が、これを試して見ると、絞り値とシャッター速度の同時操作
が不可能だ。これはマニュアル露出専用機(OM-1系、OM-3系)
においては両者を頻繁に同時操作するので大きな問題点となる。
なお本機OM-4Tiのような絞り優先機では、シャッターダイヤルを
操作しないので問題無い。だが本機では、絞り優先時にも
マニュアル時にもファインダー内に絞り値が表示されないので
そちらがむしろ問題となる。
まあ、「左手思想」については、銀塩時代は「1枚1枚の写真を
のんびり撮る」時代であったので、この操作系でも良かったので
あろうが、現代的な感覚では、ちょっと、マニュアル露出での
操作は煩雑すぎて厳しいと思う。
なお、マニュアル露出操作に優れる銀塩機は、後年のAF時代の
PENTAXの「ハイパーマニュアル」と、ミノルタの「メータード・
マニュアル」であるが、これらはまた続く記事に譲る。
その他の弱点としては、フィルム巻上げ感触が悪いなど、
感触性能があまり高く無い事だが、重欠点と言う訳では無い。
さて、最後に本機OM-4Tiの総合評価をしてみよう。
評価項目は10項目だ(項目の意味は本シリーズ第1回記事参照)
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OLYMPUS OM-4Ti (1986年)
【基本・付加性能】★★★☆
【操作性・操作系】★★★
【ファインダー 】★★★
【感触性能全般 】★★★
【質感・高級感 】★★★★
【マニアック度 】★★★★
【エンジョイ度 】★★★
【購入時コスパ 】★★☆ (中古購入価格:50,000円)
【完成度(当時)】★★★★
【歴史的価値 】★★★☆
★は1点、☆は0.5点 5点満点
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【総合点(平均)】3.3点
悪くは無い点数だ、コスパ以外に平均点を下回る評価が無く、
評価上では弱点が少ない。
MF時代末期のカメラ故に、仕様的にもよく練れている。
この時代の多くのカメラがプラスチック製で安っぽくなって
しまった中、チタンボディは、やはり高級感がある。
多彩なスポット測光や、それに関連する露出表示のシステムは、
初級層には難解であろうが、マニアックさも兼ね備える。
現状、本機は、かろうじて動作はしているが、ファインダー内の
多点LEDメーター表示が、なんだか以前よりも鮮明度が薄くなった
ようにも感じる。製造から30余年、電子カメラ故に経年劣化で、
そろそろ耐用年数も厳しいのではなかろうか・・
次回記事では、第三世代(AFの時代)の銀塩一眼レフを紹介する。