所有している銀塩一眼レフの名機を紹介するシリーズ記事。
今回は第二世代(自動露出の時代、世代定義は第1回記事参照)の
CONTAX 159MM(1985年)を紹介する。

装着レンズは、CONTAX Planar T* 50mm/f1.4
(ミラーレス・マニアックス第22回記事で紹介)
なお、ツァイス系レンズの正式な表記は、絞り値/焦点距離
の順であるが、現代の風潮とは異なる古い「ドイツ式表記」
であるため「一般的では無い」と見なし、そうしたメーカー
固有の記法は、本ブログでは、あえて無視している。
しかし、50mm/f1.4という表記も実は好ましく無い、
書くとすれば50mm/F1.4であろう。だが、このあたりも
業界内で表記法が統一されていないが故に、本ブログでは、
従前より、この記法でレンズスペックを記載している。
さて、本シリーズでは、紹介銀塩機でのフィルム撮影は
行わず、デジタル実写シミュレータ機を使用する。
今回は2機種、まずはSONY α7(フルサイズ)を用いるが、
記事後半では別の機種を用いる。

以降はシミュレーターでの撮影写真と、本機159MMの機能紹介
写真を交えて記事を進めるが、例によって記事の内容と実写
写真は特に関連は無い。
それから、本機の時代(1985年)では、まだカラーフィルム
の発色は、さほど良く無いと思われるので、シミュレーター機も
大人しい目の色味の設定で使う。

本機はCONTAXの一眼レフとしては、本シリーズ第5回記事で
紹介したCONTAX RTS(1975年)以来、2機種目となる。
CONTAX RTSは、当初ヤシカにより発売される筈であったが、
同年、ヤシカは経営破綻してしまい、京セラ等の資本投資で
なんとか生き残り、本機159MMの発売2年前の1983年には
京セラの完全子会社となっていた。この為、本シリーズでは
便宜上、ヤシカ・コンタックスではなく京セラ・コンタックス
と呼んでいる、これは勿論1932年~1972年までドイツ(東西)
で存在したツァイス系CONTAXのブランドと区別する為だ。
さて、RTS以降の(ヤシカ/京セラ)コンタックスの歴史について
ここで少し述べておこう。
1979年 CONTAX 137 クオーツ
1/1000秒シャッターだが、クォーツの名の通り、世界初
の水晶発振子を用いた正確なシャッターを搭載。
1980年 CONTAX 137MD クォーツ
137にモータードライブ(秒2コマ)を搭載しながらも
大きさはRTSと同等に抑えられている。
このあたりだが、1975年に、それこそ「鳴り物入り」で登場した
RTSの華々しくセンセーショナルな状況からは、かなり地味な
機種展開である。恐らくはヤシカの経営状況から、あまり次々と
凝った仕様のカメラの開発は難しかったのであろう。
よって、この間(1975~1981年)は、ほとんどRTSの一機種で
コンタックスのラインナップを支えていた形となったのだが、
発売後年月が経つに連れ、RTSの弱点が浮かび上がってきていた。
すなわちRTSの電子部品は非常に脆弱であり、使用法によっては
(例:移動時に衝撃を与えたり、三脚を使用してボディ底部に
圧力がかかるなど)基板等が接触不良等を起こして、RTSは
容易に壊れてしまうのだ。
第5回記事のRTSの所で「現代でも動作している個体は少ない」
と書いたのは、この問題がある為だ。
1982年 CONTAX RTSⅡクオーツ
RTSの問題点を改善した改良版だが、RTSから、既に7年
の歳月が流れていた。外観上の差では、セルフタイマー
が旧来のレバー式からⅡ型では電子式になっている。
内部の基板等は改良されていて、故障リスクは減った。
RTS伝統の「フェザータッチ」レリーズは、初代よりも
さらに軽くなり、RTSでのレリーズ力が200gだったのが
RTSⅡでは150gとなり、まさに「触れるだけで暴発」
するカメラだったと聞く(未所有)
1983年 CONTAX 137MA
139MDにマニュアル露出を追加した改良機。
1885年 CONTAX 159MM (本機)
CONTAX初のマルチモード露出機、複数のプログラムライン
を持ち、シャッター優先も可能だ。この機種の時代より、
交換レンズも従来のAE型から、マルチモード対応のMM型
の発売が始まった。またCONTAX初の1/4000秒シャッター
を搭載している。
なお、ワインダーは外付けで、通常形態は手動巻上げだ。

さて、という事で、ここまでが初代RTS以降、本機159MM登場
までの(京セラ)コンタックスの歴史だ。
これらの機種のカメラ型番が意味不明の数字でわかりにくいが、
ここは個々に覚えるしか無い。
初代RTSは個人的には好きなカメラであるが、前述の故障の
問題があって、市場での評判は良くなかった。
私が所有していた機体が故障しなかったのは、一切三脚を
使用しない撮影技法であった事が大きい。重量級レンズ等を
用いて三脚ネジの周辺に圧力がかかると、カメラ底部の周辺の
基板や電子部品が湾曲して故障してしまうのが原因だった事は、
ずっと後になって知らされた・・
故障の問題があってか、RTS Ⅱも(改良されたという事実は
知らずに)不人気なカメラであった。
しかし、コンタックスのユーザーは、やはりカールツァイス製の
(注:実際にはヤシカ製が多い)高性能レンズを使う事が
最大の目的であり、最大の魅力であった訳で、ボディ側の性能や
品質が悪い事に対しては目をつぶっていたのだ。
それに、コンタックスは業務用途のカメラでは無い。
ハイアマチュアにおける、趣味あるいはアート系の用途の機体で
しかなく、耐久性などを問われる事はあまり無かったし、または
ビギナー層で、高価なツァイスレンズを、どんどんと買うという
裕福なユーザーは、失礼ながら、あまり写真を撮るようなタイプ
の人は多くは無かったと思う。だからカメラボディの耐久性等は
あまり問われず、仮に壊れたら、都度修理するか、あるいは
新機種等を買ってしまえば良かったのであろう。
これが後年であれば、EOS(EFマウント)等で、マウント
アダプターを介してCONTAXのレンズを装着する事が出来るように
なるのだが、本機159MMの時代はEOSが初登場する2年前だ。

さて、そんな状況の中、それでも実用的にコンタックス・レンズ
を使って写真を撮る場合の、ユーザーの不満点を考えてみよう。
まず、CONTAXのレンズは、絞り優先で絞りを開けて撮り、
かつアンダー露出で撮影する事が推奨されていた。
その件は、第5回のRTSの記事にも書いたのだが、それまでの
時代のカメラやレンズ性能からは、絞り込んでパンフォーカス
でしか実質的に撮れず、撮影技法も、遠距離の風景とか、
中距離のスナップ撮影とかに限定されていた。
1975年のRTS以降の撮影技法では、CONTAXのレンズにより、
絞りを開けて、レンズのボケ味(ボケ質、ボケ量)を楽しむと
いう新たな撮影技法が、一般的にも広まってきた訳だ。
RTSから本機159MMではすでに10年、1985年では、そうした
撮影技法は、もう、さして珍しいものでは無くなっていた。
この時代でもパンフォーカス技法を使っているアマチュア層は
勿論まだ多かったが、ピンボケの回避と言うよりも、絞り込む
事によるMTF特性の向上や諸収差の低減、つまり画質を
良くする為にレンズを絞り込んで使うようになっていく。
この撮影技法は特に風景写真等で一般的となり、絞り値を
F11や16まで絞って使う事と、さらに、コントラスト向上と
被写体の乱反射を避けるために、PL(偏光)フィルターを
常用するユーザー層が増えた。

ちなみに、ISO100のフィルムで、晴天時でのF11での
シャッター速度はおよそ1/125秒、ここにPLフィルターを
装着すると、正しくPLフィルターを使用した場合・・
(注:PLフィルターの正しい使用法を知っているのは一部の
中上級者のみであり、初級中級者の大半は、周囲に言われて、
ただ装着しているだけ、という状況であった。
これは近年においてもなお、70歳代以上のシニア層で同様だ、
何故ならば、彼らはこの時代1980年代で30~40歳代位で
カメラが買える収入になって写真を始めた年代であり、
当時の撮影技法を、ずっと守り続けているのであろう。
先日も観光地で、高級レンズにCPLフィルターを装着している
シニアの男性を見かけ、どのように使っているかを聞いてみた。
カメラの事に詳しい中級者レベルの方であったが、フードを
装着したままなので、PL枠が廻せず、そこを指摘すると
「ああ、先ほど朝に調整したから、今日はこれでいいのですよ」
との事であった。勿論、その使い方や原理理解は間違いである)
・・で、F11で正しくPLを使った場合、シャッター速度は、
晴天時で1/30秒程度まで落ち込む、さらにF16まで絞ったり、
又は陽が翳ってきた場合、シャッター速度は1/15秒だ。
初級中級層では、このシャッター速度だと手ブレを起こして
しまう、なので、当然彼らは三脚を使おうとするであろう。
シャッター速度やレンズ焦点距離、フィルムISO感度を意識して、
手ブレ限界速度をキープするという技法は、当時では困難だ。
何故ならば、撮った写真は、その際のシャッター速度等は、
絶対に思い出せない程の後になって現像から上がってくるのだ。
よって、ブレている写真があると「ああ、やっぱ手持ちでは
無理だな、三脚を使わないとな・・」という発想に行き着く。
勿論、そういう結論では無い事は言うまでも無いのだが・・
(余談:前述の、現代の中級シニアの方は、手持ち撮影を
実践していたが、高級機に縦位置グリップを装着していて、
「これを付けないと、バランスが悪くてブレてしまうのですよ」
と言っていた。ここも勿論、そういう原理では無い事は
言うまでも無いのだが・・ まあ三脚に頼らないだけマシか)

さて、余談が長くなった、1980年代当時でのパンフォーカス+
三脚等の撮影技法との対極に、ツァイスレンズを用いた場合の
絞りを開ける撮影技法が存在する。
だが、絞り込み方式の撮影スタイルが、低速シャッターとの戦い
(手ブレ回避)であったのに対し、絞りを開けるスタイルは
カメラ本体の高速シャッター性能限界との戦いになる。
本シリーズ第1回記事CANON F-1の所でも書いたが、
CONTAX F-1やCONTAX RTSの1/2000秒シャッターでは、
ISO100のフィルムで、快晴時では絞りをF4までしか開けられない。
もう少し速い(1/8000秒とまでは言わない迄も)1/4000秒の
シャッターがあれば、CONTAXのレンズをF2.8、いや、ちょっと
でも陽が翳ってくれれば、F2やF1.4まで開いて使用できるでは
ないか。
すでにニコンFM2(1982)やFE2(1983)では、1/4000秒を
搭載している、CONTAXのボディにも1/4000秒が欲しい!
まあ、そう考える中上級ユーザーは多かった事であろう。
しかし、当時のシャッター部品は、カメラメーガーが自社で
専用の物を開発するには、資金や技術が伴わないとならず
それは稀なケースでしかない。通常はシャッター専業メーカー
(コパルやセイコー等の精密機械工業メーカー)から、部品を
調達しなければならない。だから、シャッター部品の性能が
進歩するまで待つしかなく、そして高性能部品が開発されたら、
各社とも一斉にそれを搭載するから、必然的に各社の同時代の
カメラのシャッター性能は同等となる。
(後年のデジタル一眼での撮像センサー性能の話と同じだ)
で、「それでは他社と差別化できない」と言うならば、自社で
特殊な仕様や性能のシャッターを作るか、自社専用の独自の
仕様を決めてシャッターメーカーに頼む事になる。それは資金も
手間も時間もかかる話だ。汎用部品を使った方が簡便であろう。
あるいは、あえて旧型のシャッターを使えばコストダウンには
なるが、シャッターの部品1つで、カメラの原価(や価格)に
大きな影響が出るという訳でもない。
要は、そのカメラ全体のコンセプトにおいて、どれくらの性能、
いくら位の価格で、どれくらいの原価で、どれだけ売れて、
どのくらい儲けるか? などの収支計画をどうするか?
と言う製品企画の話に尽きるであろう。
現代に限らず、当時であっても新機種の開発にはお金がかかる。
手間をかけて開発し、それを安く売りすぎて赤字になったり、
逆に高くしすぎても、売れずに赤字になる。
カメラ製造はビジネス(事業)なのだから、赤字になると困る。
カメラメーカーの多くは上場企業であるから、カメラ事業が赤字
になったら、担当者が責任を負うとかのレベルではなく、投資家が
投資しなくなって、株価が落ちて、最悪は経営破綻してしまう。
RTSを作ったヤシカだって、そうなった訳であり(注:実際には
単にカメラが売れないとかではなく、CONTAXブランド取得費や
オイルショック等の世情の影響など、様々な複合要因であろう)
まあ、カメラ業界やその他の業界でも、そういった例はいくら
でもある。つまり(カメラ)ユーザー側は、メーカー側の経営の
話を、あまり知らないか、あるいは全く気にしていないだけだ・・

余談はともかく、ツァイス・レンズの話であった(汗)
ユーザーは、それを使う為にCONTAX機を買うのである。
レンズの価格が高いのが課題ではあるが、1970年代後半から
1980年代前半においては、国産CONTAXのレンズ群は他社より
若干の性能優位性があったのは確かだ。
だが、例えば、1990年代の第一次中古カメラブームの際には、
CONTAXレンズの性能優位性は、失われていても当然であった。
なにせCONTAX初期のレンズは、その時代よりも20年も前に設計、
製造された「オールドレンズ」であったし、非球面や新ガラス
等を用いた新しい設計のレンズの方が性能面で上回っていても
当然な状況であったのだ。
しかし、CONTAXにとって救いだったのは、本機159MMと同年の
1985年に、ミノルタから初の実用的AF機、α-7000が発売され
「αショック」と呼ばれた社会現象となった事だ。
各メーカーは、いっせいにAF化に傾倒、1980年代の後半から
1990年代の前半にかけ、他社は全ての開発リソースをAF化の為
に費やしてしまい、ボディはもとより、レンズもAF化したが、
時代の流れに会わせたズームレンズの新開発を主力にしていた。

CONTAXもAF化すればよかったのだが、実はそれは行っていない。
他社では、例えばオリンパスのようにAF化した一眼レフを発売
したものの、商業的に失敗してしまった例もある。
(注:Kyocera/Yashicaブランドの一眼レフではAF化を
1986年頃より行っているが、あまり一般的なカメラでは無い)
CONTAXは、RTSから159MM迄の10年の開発状況を見ていると、
実の所、あまりAF化の為の体力が残っているようには思えない。
前述のように、カメラ事業はビジネスだ、AF化で開発費を
湯水のように使って、仮に、性能的な問題で評判を落としたり
それが売れなかったら、それこそ経営破綻してしまう。
CONTAXの高いブランド価値を維持する為にも、AF化を見送った、
というのが実際のところであろう。
で、AF化が最優先課題であった他社の多くは、AFの単焦点交換
レンズ群は1980年代迄の古いMFレンズを設計を変えずに、単に
AF化しただけの物を販売していた。
したがって、CONTAXの推進していた高性能の大口径単焦点の
ラインナップにおいては、1990年代を通じて、CONTAXレンズの
描写力を他社製レンズが大幅に上回る事は無かった。
まあ、他社に新しい単焦点を作る余裕が無かったという事であり
CONTAXにとってはラッキーであっただろう。
が、2000年頃からその状況も大きく変わる、まあでも、
その話は、あまり良い結末にはならないので今は書くまい。
また別の記事に譲る事としよう。

余談がかなり長くなってしまった、本機159MMの話に戻ろう。
159MMは、CONTAX初の1/4000秒機である事が最大の特徴だ、
マルチ露出モードである事は、ある意味どうでも良い
何故ならば、前述のように、CONTAXのレンズは、絞り優先で
使うのが基本であり、他の露出モードは無くても良い訳だ。
ましてや、RTSからの10年の間に買い揃えたCONTAXレンズは、
全てAE型、つまり158MMの露出モードを自在に使えるMM型では
無いのだ。高価なツァイスレンズを、そう簡単に、それだけ
(プログラム露出を使う)の目的で買い換える訳にはいかない。
それに、一部のマニアックなユーザー層が信奉する
本家「メイド・イン・ジャーマニー」のRTSマウントの
ツァイスレンズは、殆どAE型で、MM型なんか出て来ないでは
無いか、ますます、「プログラム露出なんて、いらんよ!」
という話になってしまう。

さて、今回紹介の159MMだが、実はノーマルな機体では無い、
「159MM CONTAX 10周年記念モデル」となっていて、
確か1000台のみの限定発売品だ、通常の159MMと異なる点は、
外観の塗装が、通常版の黒からメタリックグレーとなっていて、
同色のストロボやワインダーが付属している事だが、
私の購入時点ではストロボは欠品、ワインダーは付いていたが
「どうせ使わないから」と言って、あえて引き取らずに単品で
売ってもらう事にした。
他には、シンクロ接点ターミナルのカバーとして、
10周年記念バッチが付いている事だ。
だが、これらは、いかんせんコレクター向けの「愛蔵版」仕様
であり、あまり実用的な機体では無いように思えてしまう。
それについては、私は、159MM購入時の1990年代末頃は
「カメラの体裁をしていて、小型で、1/4000秒が使え、
壊れ難いCONTAX機」という条件で探していたので、
本機159MMがぴったりだったのだ。

カメラの体裁、という点については、この後の時代のCONTAX機
のデザインは、少し現代的になったが、ちょっと好みに合わない
点もあったので、カメラらしいものが欲しかった訳だ。
ただ、記念モデルと言うものの、あまり極端なプレミアム価格
はついておらず、新品同様で5万円と、むしろSTやRXといった
後年の高級機よりも安いくらいだった。
これはまあ、1990年代のCONTAX機はワインダー内蔵なので、
「今更、手巻きは無いでしょう」という不人気の風潮だった
のかも知れない、そもそも159MMの中古はノーマル品でも殆ど
市場に流通していなかったので、探す事自体が困難であった。

ところで上写真はゴーストが酷いが、これはシミュレーター機の
SONY α7側の問題だ、多くのオールドレンズでこのような
ゴーストが頻繁に発生する。これはカメラ側の重欠点と言えるが、
ここでは、その件は深堀りしない。
以降は、シミュレーター機を交換する。

レンズは同じP50/1.4で、本体をSONY α7からフルサイズ一眼の
CANON EOS 6Dに変えてみよう、こちらではゴーストは発生しない。
(注:EOS 6Dではアダプター使用時、多くのY/Cマウントレンズ
ではミラーが干渉して(当たって)使用できない。今回のP50/1.4
とのケースでは、かろうじて使用可能だが、カメラの故障リスクが
極めて高い為、初級マニア層等には推奨しずらい利用法だ)

ここで本機159MMの仕様について述べておく、
マニュアルフォーカス、35mm判フィルム使用AEカメラ
最高シャッター速度:1/4000秒(電子式)
金属フォーカルプレーン縦走り
シャッターダイヤル:倍数系列1段刻み、1~1/4000秒
A位置(絞り優先),B位置、
P,LP,HP位置あり(後述)
フラッシュ:非内蔵、シンクロ速度1/250秒 X接点
ホットシュー:ペンタプリズム上部に固定式で有り
ファインダー:固定式、スプリット・マイクロ式スクリーン
(スクリーン交換可)倍率0.82倍 視野率95%
使用可能レンズ:ヤシカ・コンタックスマウント AE/MM系
絞り込みプビュー:有り
露出制御:絞り優先、シャッター優先、マニュアル、
通常プログラムAE,低速プロガウムAE、高速プログラムAE
測光方式:TTL中央重点
露出補正:専用ダイヤルあり(±2EV 1/2段刻み)
露出インジケーター:シャッター速度LED表示方式、
絞り値LED表示、メーター無し
本体電源:SR44 2個使用 (LR44使用可)
フィルム感度調整:ASA12~3200(1/3段ステップ)
フィルム巻き上げレバー角:135度(分割巻上げ不可)
セルフタイマー:有り(電子式)
本体重量:520g
発売時定価:89,000円(通常版)

さて、本機159MMの長所だが、
まず最高シャッター速度1/4000秒、シンクロ速度1/250秒と、
やっと実用的銀塩中級機と同じレベルのシャッター性能と
なった事だ。
このあたりは現代のミラーレス機の多くも最高1/4000秒なので、
同等の性能と言えるが、銀塩時代で大口径レンズを使う状況では、
できれば1/8000秒が欲しいところ。

マルチの露出モードは、ある意味、どうでも良いが、一応、
低速プログラム(LP)では、すぐにF16等まで絞り込まれ、
高速プログラム(HP)では、できるだけ開放F1.4をキープする、
という、いわゆる「プログラムライン」の概念とその変更機能を
搭載した事は、他社機よりも早かったであろう(最初か?)
ワインダーを内蔵しておらず、それを付けなければ小型軽量
である事も良い。ただし、大型のCONTAXレンズは似合わないし、
バランス的にも良く無いので、標準ならプラナー50mm/f1.4や
テッサー45mm/f2.8、広角なら28mmや35mmの小口径
ディスタゴンといった小型レンズの専用機となるであろう。
なお、一応グリップ部の出っ張りがあるので、小型機ながら
ホールド性は悪くない。 おおむね、小型軽量を目的とした
CONTAXシステムを組む場合としては後年のAria(現在未所有)
と並んで、最良のボディの部類であろう。
つまり「CONTAXを使う」と言っても、P85/1.4やMP100/2.8,
S180/2.8といった大型レンズばかり使う訳でも無いのだ、
小型のD35/2.8やT45/2.8等をつけて、気軽に持ち出したい
場合もあるという事である。
(参考:1/4000秒機であるので、ISO100のフィルムであれば、
開放F2.8のレンズと相性が良い。開放F1.4級レンズを使用
する際は、日中であればND4減光フィルターの装着が必須だ。
これは本機ではなく、現代機のEOS 6D等利用の場合も同様だ)

さて、本機159MMの弱点であるが、
最大の課題は、ファインダー内部表示の見え難さであろうか、
一応LEDで絞り値表示が出るが、ファインダーを覗く位置を
ほんの数mmずらしただけで、これがすぐ見えなくなる。
いや「ほんの数mm内の位置範囲しか表示が見える角度が無い」
と言うのが正しいかも知れない。
絞り優先で使う以上、絞り値は見えている事が望ましいが無理だ。
この為、絞り値は、絞り環を廻す指の感触だけで知るしか無く、
いっぱいまで回ったら「ああ、F1.4で開放か」という風に知る。
絞り値のLED表示は、本当に見え難いので、見える角度を探す
方が、むしろイライラとしてストレスとなる。
それに見る角度を変えると、視野外の映像がペンタブリズムの
反射で見えてしまうのだ、この時代よりずっと以前の古い機種
ではそういう事も稀にあったが、1985年時点のファインダー
品質としては、ちょっとお粗末だ。
他は、分割巻上げが出来ないとか、1/3段露出補正が出来ないとか
小さい弱点はあるが、これらは重欠点では無いであろう。

あと、露出補正ダイヤルは小さすぎて、補正値もISO感度も
細かい設定値が良くわからない。
シャッターダイヤルはロック機構が余分であり、廻しにくいが
まあ本機の使い方においては、Aの絞り優先の位置で固定と
なるだろうから、ここは不問だ。操作性評価は普通という事に
しておこう。
それと、感触性能があまり優れていない、という点も弱点と
言えるかも知れない、また仕上げは、10周年モデルが故に、
一見良さそうなの感じなのだが、良く見るとプラスチッキーで
あまり高級感が無い。
まあ、形状の自由度や塗装のしやすさを含めてか、金属ボディ
では無い事で感触性能にも影響が出てしまっている模様だが、
その反面、軽量化には役立っている。
あと、電気カメラなので、故障しやさすや、故障したときは、
もう修理不能である事は意識しておく必要があるだろう。
ちなみに、京セラは2005年のカメラ事業撤退以降、約10年を
経過した2010年代後半からは、古いカメラのサポートも
行っていない模様であり、京セラのWEBからは、CONTAX機の
取扱説明書のダウンロードも出来なくなってしまっている。

さらに余談だが、1990年代の中古カメラブームの頃、いくつかの
中古カメラ専門月刊誌があったが、その1つが、様々な銀塩カメラ
の取扱説明書を新規に印刷し、毎月の付録としていた事がある。
これらは、今となっては、貴重かも知れない。
というのも、現代では銀塩機の取扱説明書は入手が困難である。
WEB上には殆ど無く、希少な実物はプレミアム価格で高額な
中古品として取引されていたりもする。
私は、その付録の取扱説明書を多数所有していた筈なのだが、
どこかにしまいこんでいる模様で見つける事が出来ない(汗)
よって、本シリーズ記事では、今なお実働している実機カメラを
触りながら性能や操作系などを確かめている状態だ。
そして、仕様や価格、発売年といった「事実」は、はWEB上や
書籍などに断片的にある情報を集めながら記事を書いている。
ただし、それらの断片的情報は必ずしも正確である保証は無い。
(実際、複数の異なるデータが並存してる場合が良くある)
全般の記事内容は、完全に私のオリジナルだが、勿論主観が
入ってくる。しかし、これだけ多数のカメラを実際に購入し、
しかも長期にわたって使い、相互に比較しながら長所短所等を
分析している為、一次情報としての精度は高いと思う。
まあ、というか、他者の情報は参考にする事ができない。
それは情報提供者が、どこまでカメラに詳しく、また、どのような
撮影スタイルや、カメラに対する考え方のコンセプトを持って、
その評価を下したのか一切わからない為、信用できないのだ。
ましてや、カメラに対価も払わず、借りたりして短期だけ使った
状態では、評価をする事自体、あってはならない事だとも思う。
(ここは職業評論家層の評価であっても同様だ、その機材を
自分で買った、と言うならば、そのレビューは読む気になるが、
そうで無い場合には、評価内容は一切読まないようにしている)

さて、最後に本機159MMの総合評価をしてみよう。
評価項目は10項目だ(項目の意味は本シリーズ第1回記事参照)
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CONTAX 159MM 10周年限定モデル(1985年)
【基本・付加性能】★★★☆
【操作性・操作系】★★★
【ファインダー 】★☆
【感触性能全般 】★★☆
【質感・高級感 】★★★☆
【マニアック度 】★★★★★
【エンジョイ度 】★★★☆
【購入時コスパ 】★★ (中古購入価格:50,000円)
【完成度(当時)】★★★
【歴史的価値 】★★★
★は1点、☆は0.5点 5点満点
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【総合点(平均)】3.0点
平均的な評価点となった、まあでも平均を下回らないだけ
マシか、という感覚もあるカメラである。
CONTAX初の1/4000秒およびマルチモード露出機という他は、
歴史的価値はあまり高くは無く、ファインダー性能の弱点が
かなり気になる。
銀塩名機としてデジタル時代まで残すには、ちょっと物足りない
カメラなのかも知れないが、まあ、10周年記念モデルのレア度と
マニアック度の理由で、かろうじで今なお手元にある状況だ。
次回記事では、引き続き第二世代の銀塩一眼レフを紹介する。