さて、前出の「50mmレンズの魅力」に続く単焦点シリーズ第二段。
今回は、NIKON D70に AiAF20/2.8を装着して気軽なスナップ撮影で福井県を歩く。
デジタルの50mmは銀塩換算で75mm相当の中望遠レンズになるのであるが、
今回用いる20mmは、銀塩では30mm相当となる(注:1.5倍換算のAPS-Cタイプ一眼)
「何だ、30mm位だったら、スナップには一番使いやすい焦点距離だから得意だよ。」
・・・どうしてどうして、画角だけでデジタルの世界を判断するのは大変危険でなのである。
仮想円錐技法は広角域では、少しづつ難しくなっていき, 20mmレンズは初級者
が扱うにはお手上げに近い。
何故か? 実は、30mmの画角であっても、遠近感(パースペクティブ)は、銀塩で言う
超広角レンズの20mmのままであり、仮想円錐の中では遠近感表現が強調され、
強烈なデフォルメが発生している事を意識しなければならないのである。
そして、そのパースが変形された仮想円錐内の仮想3次元空間を、銀塩よりも小さな
CCD(または撮像素子)が、平面的に画角を小さく切り取っているにすぎないのである。
「さっぱりわからん・・・」
・・・まあ、しかたない、こんな事は、どんな写真に関する本を読んでも出て
こないから、今までの写真常識でいきなり理解しろと言うのも困難な話である。
いずれ解説記事を書くと言っているが、おそらく3D-CGを用いて説明しても簡単には
表現できないかもしれない。 だから、まあ、今日はそのさわりとして、作例を沢山あげて、
それぞれの撮影技法を解説するので、広角レンズの魅力を感じてもらうと同時に
「むむ、これは、単なる30mmの画角のレンズというわけではなさそうだぞ」
というだけ事を感じてくれれば良いと思う。
追記:パースペクティブの変化は、撮影距離に依存し、レンズの焦点距離や撮像
素子サイズには関係ないとのご質問、ご意見が、Sin-1 さんPentaさん、robbyさん
から寄せられている、確かにその通りであるが、この記事の中ではうまくそのへんを
解説できていない、作例を含め、いずれ追加記事を書くつもりなのでご容赦願いたい。
ただし、今日の撮影技法のいくつかは、難しいものもあるので、簡単に実践はできない
かもしれない・・・
要は、超広角というのは、それほど使いこなしが難しいものなんだ、と理解してもらいたい。

↑A:広角レンズで水平がまったく取れない悪い例。
「そうそう、どうしても、こんな風に滅茶苦茶斜めになってしまうんだ・・・」
・・・何故か? 普通水平が取れないと言っても角度で2度も傾いたくらいまでで
あろう、それくらい迄の場合、フレーミングや平衡感覚の甘さで出てしまうことも
まれにあるし、広角レンズの場合、さらにその僅かな傾きは発生しやすいのである。
広角を多用する風景写真では、単に水平をきちんと取る目的だけでも三脚を用いる
事もあるが、3次元的フレーミングに制限が出ることと、デジタルではレタッチで
傾き補正が自在なので、三脚はデジタル時代の新しい撮影技法では必須では無い。
・・・で、この例であるが、「フレーミングにこだわりすぎている」のである。
というか、ともかく被写体を全部フレームに入れなければ・・・ と考えている訳である。
具体的には、この位置から船を全部いれようとしたら、どうしてもこのように
カメラを斜めに構えていれないと、船が全部入らない。 だから水平線なんか無視して
思いっきり斜めに構えてしまって撮っているのである。
しかし、普通の被写体ならともかく、水の上に浮く船で水平が取れていないというのは
動いている船が「水を切って進む」という特殊な作画意図で数度わざと傾ける場合以外
では、まったくもって不自然である。 だからこの写真は「ボツ」である。

↑B:立ち位置を変えて撮影した例
(これはAとは違う船であるが、まあ、理屈は同じなので容赦されたし)
このように、船の正面に周りこみ、Aでのハイアングル(上から下を望む)ではなく、
ローアングル(船の高さまで目線を落して)撮影をすることで、船の全体を入れながら、
かつ、水平線をきちんと取る事が可能になる。
超広角20mmのパースペクティブは、撮影の角度や位置をちょっと変えただけで全然違う
ものになってしまう。
特に、ズームレンズに慣れていて足で撮影位置を変える事をしない初級者の場合、
Aの撮り方しかできずに、Bまで動いて撮影をするというシンプルな発想を起こしにくい。
ある物を見るとすぐにシャッターを切ることばかりに頭が行ってしまい、被写体を
発見した位置で立ち止まってズームをヘロヘロ回すのは悪癖に近く、まずは、
落ち着いて被写体が最も被写体らしく見える角度を上下左右から3次元的に見渡す
ようにしなければならない。初級者の三脚派はこの点でも不合理なので、さらに注意
しなければならない・・・とういか、はっきり言うけど、三脚はもう捨てなさい!

↑C:超広角による近接パースペクティブ・デフォルメーションと軽いボケ
ボケ量を増やす3要素とは、望遠、開放、近接であるが、
最初の要素が無い超広角レンズでも開放で近接すれば背景を軽くボカす事が可能である。
しかしながら、その際に遠近感は強烈にデフォルメ(誇張)される事に注意しなければ
ならない。 実際にはこのひまわりはそこそこ密集して咲いているのであるが、超広角
の近接で遠近感が強調されて立体的にバラけてしまっている、これが単に30mm相当の
銀塩で撮った場合と、デジタルで銀塩30mm相当の大きな差になっているのである。
超広角で開放にするためには、太陽や強い光が入りやすい構図ではシャッター速度が
オーバーして無理なので、このように構図全体が薄暗い状態を探さなければならない。
さらに言うならば、超近接撮影するためには、およそ最短撮影距離の20~25cmまで主要
被写体に近づく必要があるが、この状況は花壇であったので腕を伸ばした
ノーファインダー撮影を必要とした。ノーファインダーできちんと水平を取るのは
至難の技なのであるが、このように静止した被写体であればデジタルでじっくり数枚
撮って水平が取れていて良いのを選べば簡単である。

↑D:近接主要被写体と遠景(背景)のオーバーラップ
超広角レンズを使用するケースは単に広い風景を撮る場合だと思ったら、それは大きな
誤解である。 超広角は、近い被写体と遠い被写体との遠近感のバランスの妙を
楽しむものだと言っても良いと思う。
ここでは、絞り込んでの超ローアングル・ノーファインダー撮影である。
絞りをf11前後まで絞ると超広角20mmはパンフォーカスとなる。 これも銀塩30mmと
換算30mmの差であり、銀塩の30mmでは、f11では絞り込みが足りないのである。
この状態で、カメラを縦位置に構え、垂直線に注意しながら仮想円錐技法で主要被写体
である「思案橋」の欄干と背景の古い建物の縦横のラインをオーバーラップして捉える。
思案橋の石は単なる直方体の石であるが、これを建物の柱や軒先と組み合わせて
あたかも建物の一部に組み込まれたかのような表現がしたかった。
このシチュエーションでは地表すれすれからの撮影なので、ファインダーは見る事が
できない。
しかも、この被写体配置関係では(プラスの)露出補正が必要であった。
だが、D70では露出補正値はファインダー内部でしか確認できないので、もどかしい。
・・・できそこない仕様のカメラめ・・・ブツブツと悪態をつきながら、
半押しして後ろダイヤルを感触で1クリック、2クリック回す、+2/3段補正である。
これでピッタリ、作画意図通りの作例ができた。
(D70は操作系に優れたカメラだという定説があるが、それは大きな勘違い。
様々な仕様上の問題点を抱えたカメラであり、デジタルだからという以前に
カメラとしての完成度の低さを感じる。 それとて、F5やF100あたりの銀塩
ニコンユーザーから見たら多少はマシになったと思うからそんな話になったので
あろう。 要は、絶対的と相対的との区別がついていない意見なのであろう。
なお、これでも、E-300等にくらべたらかなりマシなので念のため。
それぞれのオーナーの方は怒るかもしれないが、自分が買ったからという理由で
それが絶対的に良いものだと勘違いしないように。
絶対的視点で見れば良くないものは良くないのである。・・・それは純然たる事実。
ちなみに、私だって、それぞれのカメラを全部自腹で買っているのである。
すなわち、デジタル一眼全体が、操作系の考え方がまだまだ未熟という事である)

↑E:超近接主要被写体と中距離背景の前方深度利用ノーファインダー撮影
上のDとほぼ同様の作画意図である、しかしテクニックが全然違う。
今度は、小さいお地蔵さんと、石の塔と、木のバランスを取りながらの撮影。
お地蔵さんの頭のすぐ近くまでカメラを近づけてのノーファインダー撮影、
ここでは、AFにすると、お地蔵さんをフレーム外で拾えないか、あるいは拾っても
近すぎてAFが迷って撮影できず、お話しにならなくなる。
だから、絞りをもう少し絞って(f13くらい)、MFに切り替え、レンズの最短撮影距離
を無視してお地蔵さんにカメラを近づける。 勿論地上ぎりぎりのノーファインダー。
実は、被写界深度(ピントの合う深さ)というのは、被写体の背景だけではなく、
前方にも存在しているのである、前方の深度は後方の半分くらいしか無いが、それでも
被写体の前にもピントが合うので、深度の深い超広角レンズでは、最短撮影距離よりも
近い被写体にもピントを合わせることができる。 いわゆる「空中ピント」という
テクニックになるので、MFでも決して真面目に塔に合わせたりせずにレンズの距離
目盛だけを頼りにしてピントを中距離に固定する。

↑F:ありえない組み合わせをアクセントにローアングル・ノーファインダー
この黄色いチェーンは、駐車場の囲いである。
なんでそれが建物の前に垂直に立っているように見えるかと言うと、そう見える
ような角度を仮想円錐で3次元的にフレーミングしているからである。
具体的には、パンフォーカス絞りでAFにしておき、チェーンの下に縦位置片手撮り
ノーファインダーでカメラを差し出し、水平角度を微妙に3段階変えて3連写、
いちばん良いと思われるフレーミングを選んで後は消去、である。
「ノーファインダーの角度変え」は、デジタルの常套手段。 ただし、角度と言っても
ロール、ピッチ、ヨーの3平面(わかりにくければ、X軸、Y軸、Z軸でもいい)が
あるので、その時の作画意図に合わせ、どこかの1軸、あるいは同時に2軸を
変化させるように、カメラを振りながらノーファインダー角度変えをする事になり、
高度なテクニックである事を述べておく。
(注:三次元的な揺れ・回転の方向感について
ローリング=船や飛行機が左右に傾いて揺れながら動く回転方向
ピッチング=船や飛行機が前後に浮かんだり沈んだりする回転方向
ヨーイング=船や飛行機、乗用車や、バイクの前輪が水平方向にねじれる回転方向
なお、いずれも回転の中心点は、その物体=カメラでも、にあって動かないもの
としている、これがエアポケットのようにどすんと落ちたりする平行移動の動きは
これだけでは考慮しきれていない、ちなみに手ぶれ補正機能というのは、回転中心
の移動も含めた、これらのすべての三次元的なブレには対応しきれていないと思われる)

↑G:パースペクティブによるミニチュアの現実感描写
実は20mmという超広角レンズのパースペクティブ(遠近感)の誇張は、
ミニチュア(模型や人形)をあたかも現実の世界の大きさのように見せるのに
ちょうどいい効果がある。 これも画角換算の銀塩の30mmとは違う世界の話であり、
銀塩で言えば、20mmで撮影したもの、あるいはそれを必要に応じてトリミングした時に
同様の効果を出せる。
パースペクティブ誇張は微妙な撮影距離によって変化する、ここでは、カメラを
パンフォーカスのAFモードにして、ノーファインダー・プッシュ撮影をしている。
プッシュ撮影とは、撮影距離を距離軸に沿って変化させながら・・具体的には段階的に
被写体に近づけながら何枚か連続撮影するオリジナル・テクニック。
撮影後、液晶モニターで見ながら最もパースペクティブが現実感に近いものを選択する。

↑H:猫の存在感を地元背景でドリフト・ノーファインダーで撮影
これもオリジナル・テクニック。
ドリフトというのは、四輪車がタイヤをすべらせながらコーナーを回っていく
レースの技術であるが、それからヒントを得たもの(笑)
福井県・東尋坊は、観光地であり、概ね観光地にいる猫というのは人間に慣れている。
猫(に限らず動物は)は動くものを目で追う習性があるが、ここでは、猫の周囲を
カメラを車がドリフトでコーナーを回るように、常に猫にレンズを向けながら
地表すれすれにノーファインダーでひたすら連写をする。
カメラの設定はAFでパンフォーカスである。
被写体と背景の角度がどんどん変わるので、同時に露出値が変わるが、それは
アフター・レタッチで補正する事が前提である。
何故カメラを「ドリフト」させるかというと、猫を猫だけで撮っても面白く無い
からである。地元の猫、地酒ならぬ地猫の場合、背景をその地域の特色に合わせた
カットが欲しいのである。 この状況では、上からハイアングルで狙ったら、
たとえ猫がどっちを向いていても単に猫がいるだけの同じ作画意図にしかならない。
ローアングルで猫と東尋坊らしい背景を少しでも入れたいと思ったのである。
連写の結果の中から最適のカットを選択して後は消去する。
さすがに「ドリフト」は難しく、水平線が傾いてしまったが、臨場感があるので
これで良しとした。また、左が開いている構図になったが、結果的に、ここが猫の
「退路」に見えてくる、カメラを左にドリフトしているので、地面はほんのわずか
に右方向にブレが出ている。この猫はこの直後に左側の退路に向かって逃げていく
かもしれない、そんな予感がわずかなブレにより出てくる事と左側の逃げるには困難で
あろう急傾斜の地形(実際には水平の傾きにより急傾斜がさらに強調されている)
からの緊張感で、今は完全に静止しているこの猫が、次の一瞬に体を翻して左の
土手を登って逃げていくシーンが1枚の写真から想像できるようになる。
そんな事は後付けの作画意図だろう?と言うかもしれないが、それは想像力であって、
たとえばタイトルを「緊張の対面」などとつければ、その作画意図は一発で伝わる
のである、最初から完璧な作画意図がなくても、後付けでも一向に構わないから、
写真から見る人に伝えたい「何か」が出てくれば良い。
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今回は超広角レンズの特性を活かした作例と、上級レベル以上の高度な撮影技法の
解説であった、ただし、撮影技法というのは、別に技術を競うわけでは無く、
あくまで、自分の撮りたい作画意図がはじめにありき、で、その作画意図を実現する
為に必要な撮影技法を使うのである。
「技術より感性だよ・・」・・良く聞くが、私が最も嫌いなフレーズでもある、
感性というのは、非常に高度な稀有な才能であり、それを持っている事自体が
恵まれていると言っていい。 普通はそんな才能は、ある程度物事を極めた上で
しか存在しえない。だから、感性などという言葉は、本来簡単に言って欲しく無い。
そして、仮にその感性の種となる才能を持っていたとしても、その表現したい事を
実現できる技術が無ければ、感性を活かす写真など撮れるはずもあるまい。
だから、あくまで全てはバランスなのである、私の記事中でも「感性」という
言葉は、その安易な引用を否定する記事でたった1回出てきただけである。
そして、感性だろうが、技術だろうが、あるいは知識、経験だろうが、
もし、ある面で人より秀でた才能があるのだと自覚するならば、それを自分だけの
世界で閉じないで、世の中の為に開放したらどうなのであろうか?
さもなければ、ブログなどやっている必要もあるまい、その秀でた部分の才能で、
金儲けでもなんでもやったらよろしい。
何らかの主張を述べるということは、それによる影響とその責任が存在する。
だとすれば、ブログの世界で何らかの主張や自己表現をオープンにする以上は、
多数のその閲覧者に対して何がしかのプラスをもたらしてもらいたいものである。
それがブロガーの基本思想であり、かつブロガーの誇りでは無いのであろうか?