本シリーズでは、所有している古いデジタル一眼レフについて
紹介および、その発売時の時代背景を含めた評価を行っている。
初回から今回第4回目迄は、デジタル一眼第一世代(第1回記事
参照)の2003~2005年の間に発売された機種について紹介
している。
この時代は各社よりデジタル一眼が発売されたが、価格はかなり
高価であり、完成度も高くなく、銀塩とデジタルの並存期である。
今回シリーズ第4回目では、2004年春に発売された、
NIKON D70 について紹介しよう。
レンズは、オーソドックスなAiAF50mm/f1.8を装着している。
(ミラーレス・マニアックス第39回記事参照)
以下、上記システムで撮影した写真を交えながら解説するが、
まず、D70に使用可能なレンズは、銀塩AF一眼レフの時代からの
AiAFニッコール群(Gタイプの絞り環の無いレンズも使用可能)
が基本となっている。
MFのAiレンズも、とりあえず装着できるが、露出計が動かない。
その状態でも、まずM露出モードとしてから、勘の露出値又は
外部露出計を用いて撮影が出来ない訳では無いが、屋外撮影では
煩雑であったりして効率が悪いので推奨はできない。
Aiレンズは、ニコン銀塩機又は、デジタル時代以降は、ニコン
高級デジタル一眼レフで使うか、あるいは、いっそミラーレス
機でアダプターで用いるのがむしろ効率的である。
ミラーレスの絞込み測光ではボケ質・量の確認が可能だからだ。
そして本機を使う上で、あまり拘りのレンズというものは無い。
本機には強い特徴(個性)というものも無いので、特定のレンズ
との組み合わせにより、何らかの特別な効果や長所が得られる
という訳でも無いのだ。
さて、D70であるが、発売当時のニコンにおいては金額的に、
一般に手が届く範囲の実用的デジタル一眼は存在していなかった。
一応2002年にD100が発売されていたが、30万円もしていたし
スペック的には、本D70と同等かそれ以下でしかなかった。
また、高級機としては、D1/D2シリーズも存在していたが、
こちらも当然、誰にでも買える価格帯ではなかった。
そういう状況の中、一般カメラマンが入手可能な15万円以下
という価格帯で「ニコンより中級デジタル一眼が発売される」
というニュースは、多くのニコンファン、いや、ニコン党ならず
とも、期待を持って注目する事態となった訳だ。
D70の最大の特徴は、従来機種に対し連写性能が大幅に向上した
事だ。と言っても、まずは連写速度は最速でも秒3コマでしか無く、
この前年のD2H(本シリーズ第1回記事)の秒8コマと比較すると
だいぶ遅いのだが、D2Hは定価が50万円以上もする高級機だ、
で、問題なのは連写コマ数であった、例えば同年(2004年)末に、
このD70よりも後に発売された KONICA MINOLTA α-7 Digital
(本シリーズ第3回記事)は、連写可能枚数が僅かに9枚だ。
が、当時のカメラとしてはそれでも標準的な性能だ。
ところが本D70は、最大連写コマ数が(プレス発表値で)144枚も
あり感覚的には、ほぼ無限に撮れる。
というか、そんなに撮ったら当時の小容量のCFカードがすぐに
一杯になる、という感じでもあった。
(無限に連写が出来ると書いてある報道もあった模様だ。
ニュース記事の内容にばらつきが出たのも本機の特徴で、
すなわちデジカメに全く詳しくない報道メディアも注目した
新製品発表だったからだ)
でも、実際の所では144枚又は無制限の連写は出来ないと思う。
D70の説明書を読む限りでは最小画素数のBASIC MODEのJPEGで
49枚迄という記載があるし、実際にもその設定で[r49]と表示
される。その最後まで連写が効くかどうかは試してはいない。
と言うか、秒3コマの連写速度では遅すぎて、かったるいのだ。
それに、D2Hの記事でも書いたが、AFやAEが1枚目でロックされて
しまう連写は現実的では無いので、必ず間欠的にシャッターを
切る、そういう技法ではバッファメモリーからの書き込みも
早く終了して、次々に連写が出来るという事であり、
すなわちD70においては
「連写可能枚数の限界を殆ど意識する必要が無くなった」
という位でしか無い。
D70の最高シャッター速度は1/8000秒と高級機並みであり、
おまけに、シンクロ速度(フラッシュ同調シャッター速度)は
他にあまり類を見ない高速な1/500秒である。
私が思うところの、D70の最大の特徴がこの点だ。
現在に至るまで中級機にここまでの性能を持たせた例は無い。
ただ、実際のところ、ニコンには優秀な外付けフラッシュ(注:
ニコンではスピードライトと呼ぶ)がいくつも存在しているので、
大口径レンズ等を用いた日中高速シンクロ撮影が必要な際には、
内蔵フラッシュでは無く外付けを使うだろうから、せっかくの
1/500秒同調もその性能を発揮できるシーンが無い。
それから、電池(専用バッテリー)は恐ろしく持つ。
1日の撮影で電池残量マークが減っているのを殆ど見た事が無いし、
充電もすぐに完了する。まあ背面モニターが1.8型と小さいのも
幸いしているのであろう(後継機のD70sでは2型になった)
この時代以前のコンパクト機の電池の持ちとは雲泥の差だ。
まあでも、この特徴は同年(2004年秋)に発売された
CANON EOS 20Dと同様だ、そのカメラもD70同様に非常に
バッテリー消費が少なく(これも1.8型モニターだ)重宝したの
だが、長期間の使用後、電子部品故障の為廃棄してしまった。
で、D70では、バッテリーを入れておくと上部液晶に撮影可能
枚数が電源OFF時にも常時表示されているので、ほんの僅かづつ
だが電池を消費していき、あまりに長期間放置すると電力が
無くなる。
この仕様はカメラを持った(見た)際に、撮影可能枚数がすぐに
わかるので記録メディア容量の小さい当時は便利であったのだが、
現代、このカメラを使おうとすると、最低容量のCFを使っても、
撮影可能枚数はここに表示される3ケタを上回り、K(キロ・
1000枚)の単位で表示され、あまり意味が無くなっている。
それと、本機は防水・防塵仕様では無いが比較的密閉性が高い。
このD70を鳥取砂丘の観光撮影に使用した事があった。
撮影ツアーであったので全員がカメラ愛好家だ、ただし当時は
まだ他の殆どが銀塩一眼であったが、皆、カメラの内部に
風で舞った細かい砂が入り込み、うち3台が故障した(!)
だが、私のD70は無障で切り抜けた、その他、雨天の撮影でも
良く使ったが、使用10年を超えても故障は1度も無い。
ただまあ、過酷な撮影条件での機材への故障配慮は、私の場合
他の人よりも経験値がかなり高く、そうした環境で簡単に壊して
しまう事はまず無いので念の為。上記砂丘での撮影でも、
ポリ袋を即席のカメラカバーとして砂の侵入を防いでいた。
ビギナーが無茶をすれば、堅牢な機材でも簡単に壊れてしまう。
また、D70は2005年頃にファームウェアのバージョンアップが
あった。これで後継機のD70s相当になるとの事であったが、
まあ、実際の所は、AF機能が少し変わって、メニュー画面の
デザインが若干改善される程度であった。
ファームアップの手順もちょっと煩雑であったと思う。
でも、こういうサービスは従前はあまり一般的ではなかったので
多くのD70ユーザーが喜んで実施したのではなかろうか・・
(当時のブロガーやマニアの間でも、ファームアップの話は
良く出ていたと記憶している)
ファームアップと言えば、ほぼその時代(2005年)に発売された
高級コンパクトGR Digital(コンパクトデジタル・クラッシックス
第2回記事)では、何回ものフォームアップの度に大幅に新機能が
追加される事で、ファームアップの嬉しさはひとしおであった。
なので、他機種での小改良やバグ回避程度では、あまり面白味は
なかったとも言える。
描写性能全般、すなわちノイズや発色等は可もなく不可もなし。
第1回記事のD2HはLBCASTという特殊なセンサーであったからか、
発色等に問題点があったが、D70は普通のCCDであり、おまけに
シリーズ第2回記事の「*istDs」第3回記事の「α-7 Digital」
と同じ610万画素CCDだ、多分同じ部品と思われ、すると画像処理
エンジンの差異しか、これらの3機種に性能差は無いのだが、
まあ大同小異という感じで、当時としては普通のレベルだ。
出てくる画像の色味が好みあるいは使用目的に合わない場合は、
D70では「仕上がり設定」(いわゆるピクチャースタイルの元祖)
として、鮮やか、シャープ、ソフト、風景等のモードがある他、
カスタマイズモードでは、輪郭、コントラスト、彩度、色再現、
色相といったパラメータを個別に好みに設定できるし、これでも
足りない際には、PCでレタッチをすれば良いだけだ。
当時はまだデジタルの初期であり、銀塩時代からの一般ユーザー
はデジタル機の使いこなしが上手くできていなかったと思う。
この為、ノイズとか発色とか目で見てすぐわかる部分については、
それだけを見て、鬼の首を取ったように、あるいは重箱の隅を
つつくように、ネガティブな意見を言うユーザー層も色々と居た
模様だ。
(つまり、実際に各機能や設定を駆使して、問題点を回避しよう
というポジティブなユーザーは少数であった、とも言える)
このあたりは人気機種、つまりニコン機であるが故の課題であろう、
すなわちユーザー側の問題点である比重が高いという事だ。
そして現代に至るまでその傾向はあまり変わっていない。
まあ、それぞれのユーザーは好き勝手を言うのが常なので、
それらの意見は参考にはできない。あくまで利用者自身の使用
目的に合わせてカメラの性能を意識するべきだし、カメラに
欠点があれば、それを技術や技能でカバーすれば良い。
それではカバーしきれない重欠点であれば、システムの整合性
でも回避できる(例えば、ミラーレス・マニアックス記事でも
良く述べたように、トイレンズ母艦としてしまうなど)
それでも無理ならば、もうその機材は処分してしまうしか無いが、
逆に言えば、あれこれ対策を講じる事で、例えば、この時代
10数年前の原始的なデジタル一眼でも、今なお現役で使う事が
できる。
長く、あるいは安く、これらのデジタル機を使えるという事は
非常に大きなユーザーメリットであるのは言うまでもない。
あと、D70は露出計の部品にロット不良があった、これは
本シリーズ第1回で紹介したD2Hも同様であり、同じ部品を
使っていた可能性が高い。
2005年夏頃に、私のD2Hはモロにその欠陥にひっかかり故障。
ちょうどリコールのアナウンスがニコンより出ていたので、
D2HとD70を合わせサービスセンター送りとなったが、無償部品
交換後は、10数年たった現在でも両者問題なく動作している。
露出と言えば、D70のM露出モードはISO感度追従方式が可能だ、
絞り値とシャッター速度をユーザーが自由に設定し、そこにISO
感度が追従する、という撮影技法の実現は、銀塩時代からすれば
夢の技法であり、デジタルの世界ならではの考え方だ。
その方式の実現を進めていたのは、ニコンとPENTAXであり、
他社は、あまりそこには拘っていなかった模様だ。
けど、この時代の技術では少々無理がある。
その理由を述べる前に、まず、銀塩MF時代1970年代の
「絞り優先・シャッター優先論争」の歴史を書いておこう。
これは単純に、同時代の銀塩MF一眼のAEには、絞り優先(A,AV)
か、シャッター優先(S,Tv)のいずれかの方式が搭載されていて、
「そのどちらが優秀か?」という当時の論争である。
これではまるで「ゴジラとモスラ、どちらが強いか?」という
当時の子供の論争と同じであり、別にどちらが優れていても良く、
ほとんど意味が無いような事だと思うが、一応解説しておく。
答えは「写真表現的には絞り優先が正解、ただし、
当時のカメラ性能からはシャッター優先が有利」である。
その根拠は、まず1つは電子制御シャッターの登場前だった事で
絞り優先の実現が技術的にやりにくかった。
そして、それよりもっと重要な事は、
「系(システム)において、マスター(主)とスレーブ(従)の
要素が存在する場合は、マスターの可変範囲に対して、スレーブ
側の追従範囲が、より広くなければ制御ができない」からである。
これを簡単に言えば「あれこれ色々と変化するものに、
ついていく方は大変だ」という単純な話だ。
絞りとシャッターと、どっちが沢山変化するか考えてみよう。
具体的には、当時の一般的レンズを50mm/f1.4と仮定する、
このレンズでの絞り値の可変範囲はf1.4~f16の8段である。
(注:1段とは露出値が倍に変化する値・単位の事)
シャッター速度だが、例えばシャッター優先機「CANON AE-1」
では(50mmレンズの手ブレ限界速度以下は手持ち撮影では
使用不能とすれば)1/60~1/1000秒の5段である。
つまり、絞り段数>シャッター段数 の関係であるから、
数が少ない方のシャッター速度を主(マスター)にしない
限りは、スレーブ(絞り値)は追従できなくなる訳だ。
すなわち、当時のカメラ性能では、絞り優先AEで絞り値を
好き勝手に変更しても、多くの場合、シャッター速度オーバーか、
あるいは手ブレ必至で、写真が撮れない。
(なお、三脚使用では話が変わるが、本ブログでは当初より
一般撮影での三脚使用を推奨しないコンセプトだ)
では「写真表現的には絞り優先が正解」とはどういう意味か?
と言えば、これは逆説的に言えばシャッター優先で動体撮影時
に、適切なシャッター速度は判断不能、であるという事だ。
まず、動体というのは必ずベクトル(移動速度と方向)を持つ、
撮影者から見て、この動体の相対速度と、写真表現(ブレや
流し撮り等)に対応したシャッター速度が瞬時に、あるいは
撮影前の事前に計算(判断)できる人が居るだろうか?
「ゴルゴ13」ばりにターゲットを精密に分析できる頭脳を持つ
プロフェッショナルでも無い限り、そんな事は絶対に無理だ。
あるいは被写体を目で見て、相対速度を判断できるだろうか?
「あしたのジョー」なみの動体視力を持つボクサーでもない限り、
まあ無理であろう。
当時は銀塩だし、たとえば撮った後の写真を見て調整する事は
できない。現像が済むまでどのように撮れたかはわからないのだ。
なので、結局、毎日同じ場所から、同じ動体被写体を撮るとか、
何年も流し撮りをやり続けるとか、そういった業務上での撮影か、
あるいは時間が余っている人でも無い限り、経験則も使えない。
つまり、シャッター優先は実際のところ、難しすぎて使えない
露出モードなのだ。
あえて言えば、滝の撮影とかで三脚を立てて水の流れをスローに
写すくらいだが、これは別にシャッター優先で撮る必要は無く、
絞り優先で絞り込んでシャッター速度を見れば良いだけの話だ。
なので結局のところ、絞り値を決めて被写界深度を意識しながら
撮る方が写真表現的には有利になる。
ただし、銀塩でもデジタルでも開放測光の一眼では、この手法
は厳密な意味では実現困難であり、ミラーレス機等による
「光量の減らない絞込み測光」の時代まで、この絞り優先技法
は、正しい意味においては使えなかった。
よって、はっきり言ってしまえば、シャッター優先も絞り優先も
あくまで、感覚的・直感的なものでしかなく、それらの設定値を
テキトーに調整していたのに過ぎない訳だ。
「そんなのどっちでも良い」というのは、そういう意味だ。
ちなみに、前述の「ゴジラとモスラ」の話において、
昭和ゴジラシリーズで、強大なゴジラに勝利した怪獣は、唯一、
モスラ(の幼虫)だけである(モスラvsゴジラ 1964年作品)
また、平成ゴジラシリーズでも「ゴジラvsモスラ」(1992年)
において、モスラ(成虫)は、ゴジラを倒している。
余談が長くなったが、絞りとシャッター速度を決めてISO感度を
追従させる方式だが、現代のレンズでの絞り段数は同様に8段、
シャッター速度は、最高1/8000とすれば、これも手持ち撮影の
範囲では8段だ。
すなわち絞り+シャッターで計16段の露出段数が必要であり、
スレーブ(従)であるISO感度の可変範囲は16段以上が必須だ。
(当然可変範囲には中間域に被りのエリアがあるが非常に明るい、
暗い等の極端な状況をも想定しないと追従範囲は決めれない)
ところがD70の場合、ISO可変範囲は200~1600の僅かに4段、
これではISOが追従できようが無いではないか・・
まあでも、この時代の技術では、この手法が使えなかっただけ
であって、近年の例えばNIKON D5であれば、そのISO感度可変
範囲は50~3276800なので、log2(3276800/50)+1=17
という計算となり、実に17段もある!
(注:自動追従の場合はLO/HI域は制限されるかも知れない)
現代において、ついに(絞り+シャッター段数)<ISO可変段数
の不等式が成立した。後は、明所でシャッター速度オーバーに
ならないようにさえ注意すれば、M露出モードで自在に絞りと
シャッター速度を決めて撮れる「夢の撮影技法」が実現する。
シャッターオーバーに関しては、その日の天候や光線状況に
応じてレンズに適切な減光段数のNDフィルターを装着すれば
良い、これで完璧だ。
ちなみに、D70にはAUTO ISOモードが無い、これまで述べて
きたように、NIKONのAUTO ISOはM露出モードでのISO自動追従
の考え方に特化されていたからであろう。AUTO ISOが無いのは
第1回記事でのD2Hでも同様だ、後年のNIKON機でも、しばらく
の間、AUTO ISO機能は一応設定で可能だが、あまり重要視
されていなかった模様で、デフォルトが手動ISOであることが
殆どだった。
この為、D70やD2Hでは手動ISO設定の操作性が問われるのだが、
いずれもISOボタンを押してダイヤルを回す、その際、暗い液晶に
数値が出るだけ、と、あまりよろしく無い。
それからD70のダイヤルは2つある、これにより絞り優先操作の際
露出補正が同時に可能だが、NIKON機では初期設定で露出補正は
ボタンを押さないと動かない、必ず「簡易露出補正」をONとして
1つのダイヤルを露出補正用に割り振る必要がある。
これら以外にも、ビギナーに対するフールプルーフ(撮影失敗を
させないようにする機構・機能等)が過剰であるのがNIKON機の
特徴で、初期設定のままでは、まず使えず、それらを設定変更
したとしても、依然、他社機に比べ操作性・操作系上での
使い難さは残る。
NIKON高級機は本来は上級者以上向けの機種であるのに、それらを
欲しがって使うビギナー層があまりに多い事が、これらの過剰な
安全機能を持たせる原因なのであろう、だとしたら困った事だ。
それから、CCDのオーバフロー問題について少し述べておく、
本機においてはCCDの弱点であるスミアが発生しやすかった。
これは強い光源においては、CCDの画素の電荷が溢れ、CCDでは
それが順次隣の画素に伝播していく為、光の線が発生するのだ。
上写真は、前述の「鳥取砂丘」であるが、画面下部に数本の
光の線(=スミア)が横方向に発生している。
加えて、最高シャッター速度1/8000秒で、かつ電荷溢れが多数
発生した際、画面の大半が大爆発したようにオーバーフローする。
ただ、これらは初期バージョンでは良く発生していたのだが、
ファームアップ後は全く起こらなくなってしまった、現在この
状態の再現は難しい。
これは勿論欠点であったのだが、後年のCMOS機ではこの問題は
原理的に起こらない為、電荷溢れを利用したD70ならではの
特徴的な表現技法も、なかなか面白かったのだが・・
さて、フィルム時代の一眼レフ名機との比較の話だ。
D70に関連する銀塩機であるが、今回は紹介を見送っておく。
D70の位置づけに最も近いニコン銀塩ボディは、NIKON F80S/D
(2000年)であろう。このF80Sは銀塩末期の機体だが、小型軽量
で高性能であったので数年間愛用したが、D70の入手と前後して、
「もう使わないであろう」と知人に譲渡し、現在は未所有だ。
F80はD100のベースとなった機体、とも言われているが、まあ
私としてはD100はあまり一般的なカメラだったとは思って
いないので、むしろD70に対応させることにしよう。
なお、F80はSタイプが「コマ間データ写し込み機能」を持つ
高機能版であり、Dタイプにはそれが無く若干安価だ。
コマ間データ写し込みとは、フィルムのコマの間に、撮影した
際の絞り値とシャッター速度を感光して記録する機能であり、
銀塩カメラマンにとっては、非常に強力で便利な機能だ。
撮影データ記録の機能を備える機種は銀塩機全般においては
数える程しか無い為、貴重なカメラである。
加えて、F80には銀塩機初のファインダー格子線表示機能が
搭載されていた。
ちなみに、D70であるから対応銀塩一眼はF70であると思うかも
知れないが、その機種は操作系にちょっと(かなり)問題の
あるカメラとして有名(悪名?)である。
まあ、過去記事でもその話は何度か書いた事があり、重複する
ので今回は割愛しよう、比較の対象にはならないと思う。
ニコンF二桁機は、最初期のF90(1992年)からニコンUシリーズ
(海外ではF二桁であった)の2002年頃まで、およそ10年という
長い期間発売されていて、機種毎に特徴もターゲット層も
かなり異なるという雰囲気だ。
本機「D70」の発売時の定価はおよそ12万円だったと思う。
最初のアナウンス時では15万円だったと思うが、市場動向を見て
少し下げたのだろうか?(人気機種Kiss Digital発売時の
価格帯に合わせた等)まあ、私はどうせ新品では買わないので、
あまりそのあたりは興味がなかった。
購入価格であるが、2004年末頃に中古で75000円もした、
これは勿論高すぎたが、発売されてから余り時間が経っていない
時点であったし、人気機種であったので、やむを得ないであろう。
なお、現在2017年においては、後継機のD70sも含めれば
中古での入手はまだ可能である、その際の相場は1万円以下となる
事であろう、最も安価にニコンデジタル一眼レフが欲しい場合は
意外にも、まだ現役で使えるオールド機としてオススメだ。
さて、最後に本機 NIKON D70 の総合評価をしてみよう。
(評価項目の意味・定義は第1回記事参照)
【基本・付加性能】★★★☆
【描写力・表現力】★★★
【操作性・操作系】★★★
【マニアック度 】★☆
【エンジョイ度 】★★☆
【購入時コスパ 】★★
【完成度(当時)】★★★★
【歴史的価値 】★★★☆
★は1点、☆は0.5点 5点満点
----
【総合点(平均)】2.8点
思いの他、評価点が伸びない結果となったが、まあ、感覚的にも
こんなものであろう、何せ、あまり特徴も欠点も無く、優等生的
で面白みの無いカメラだ。
購入価格が少々高かったのも災いした。もう数年後に、安価に
買っておけばコスパの項目は多少加点されただろうが、仮に
そうであっても、他の項目の評価点には影響は無い事であろう。
高性能の製品であれば売れる、という、20世紀的な感覚が
まだ残っていた時代のカメラかも知れない。
次回シリーズ記事に続く。