本シリーズでは、現有の古いデジタル一眼レフについて紹介、
および、その発売時の時代背景を含めた評価を行っている。
初回から第4回目までは、デジタル一眼第一世代(第1回記事参照)
の2003~2005年の間に発売された機種について紹介している。
この時代は各社からデジタル一眼が発売されたが、価格はかなり
高価であり、完成度もまだまだであった。
一般カメラマンは、その多くがフィルム一眼を使っている時代
でもあった。
ちなみに本シリーズを始めたきっかけだが、古いデジタル一眼が
動いているうちに、その記録を残しておく、という意味もある、
なにせデジタル機器の寿命は短い、そもそも10数年前のこれらの
機種をいまだ使っている人が他に居るだろうか?
写真を撮る機械としては何ら問題無いのに、画素数が少ないとか
発色が悪いとか、あれこれ理由をつけて新機種の方に興味がいって
しまう。機械的な寿命よりも、こうした仕様面での老朽化が
古いデジタル機器の使用を阻んでしまうのだ。
銀塩一眼であれば10年や20年使うのも普通であった、古いデジタル
一眼レフは、カメラとしては、まだまだ使えるのに、勿体無い話で
あると思う。
さて、今回シリーズ第2回目では、2004年末に発売された、
PENTAX *istDs を紹介しよう。

レンズは、オーソドックスなFA50mm/f1.4を装着している。
(ミラーレス・マニアックス第23回記事)
本システムで撮った写真をまじえて *istDsを紹介していこう。
なお、毎回そうだが、写真の内容と記事の内容は関連しない。

本機はKマウントであり、PENTAXの銀塩時代からのKAF系マウント
のレンズが使用できる、なお、MFレンズであってもA系であれば
そのまま使用可、M42レンズはアダプターでこれも快適に使用可能、
P(K),M系は絞込み(プレビュー)操作でかろうじて使用可能という
感じだ。いずれの場合でもMFレンズは「レンズの絞り環を使う」
というカスタム設定を「許可」にしておかなければならない。

なお、この3年後の2007年にはPENTAXはHOYAに吸収合併され
さらに4年後の2011年には、今度はRICOHに吸収されている。
このように何度もオーナー企業が変わった事で、それまで
銀塩時代には、PENTAXは過去製品との互換性を強く打ち出して
いた事(例:M42マウントからKマウントに変わった後、30年
以上も、マウントアダプターを1000円で発売しつづけていた)
が薄れてきて、そうした様々な互換性(=ユーザー利便性)が
失われていったのは残念な事実だ。
が、他社では、AFに切り変わった時期に、それまでのMFマウントを
ばっさりと切り捨てて、ユーザーの不評を買った例がいくつもある、
過去互換性を捨てる事は、メーカーが考える以上に、ユーザーに
とっては極めて重要な問題であり、そうした措置からメーカーへの
信頼度や好感度を大きく下げてしまう事も十分にありうる。
ニコンが頑なにFマウントを守り続けている事も、そうしたユーザー
の信頼感を維持する為だろうが、それも、もうすぐ60年になる、
こうした長い期間、様々な技術革新があった中で、マウントを
維持しつづけるのは大変な事であろう。現在のニコン機は他社の
カメラとの互換性や標準化要素が少ない等でむしろ問題ではあるが、
それでもメーカーのそうした姿勢は評価ができる。
ちなみに上記「マウントアダプターK」は、HOYAの傘下になった
直後に、定価が約4000円近くにまで4倍も値上げされた。
私は数個の同アダプターを所有していたので問題は無かったが、
PENTAXの「良心」が失われた気がして、非常に残念に思った。

さて、そもそも *istDs という名称だが、
銀塩時代末期の一眼レフ「*ist」に端を発している。
*istは「イスト」と読む、その詳細な意味は不明だが、
「何々をする人」(例:ピアニスト、ツーリスト)という意味の
接尾語と、*はパソコン用語で言う「全て(何でも)」という物で
あったと推察される。(例:ファイル検索で *.jpg 等)
つまり「何でも(何かを)する人」という意味であろうか・・?

以下は少し長い歴史の話になるがせっかくなので記載しよう。
1990年代、銀塩AF一眼レフは低価格化により、ビギナー層にまで
普及したが、その頃のカメラの型番は、Fなんとか、EOSなんとか
等、無味乾燥なもので、ビギナーにはそれぞれの機種毎の性能や
特徴の差異がわかりにくかった。
そこで、ビギナー層向けに型番を廃し、わかりやすく親しみやすい
名称のブランド戦略を図る必要が出てきたのだと思われる。
最初にそれを行ったのはCANONであり、1993年発売の「EOS Kiss」
がそれだ。「Kiss」という名称は女性受けはするだろうが、
男性カメラマンには「なんだか恥ずかしい」と不評であった。
だが、予想に反して「Kiss」はパパママ・ユーザー層に大ヒット、
その後、現代のデジタル一眼に至るまで四半世紀近くも
このブランド名称が使われている。
ライバル他社もそのヒットを見て、ブランディング戦略の重要性を
知る事になる。製品の性能が良ければ売れる、というのは20世紀の
高度経済成長期的な発想であり、20世紀も世紀末で、バブル崩壊後
ともなれば、もう皆が必要なモノは既に持っている。なにか特別に
消費者の感覚や購買欲に訴える要素がなければ、製品は売れない
時代となっていたのだ。
でもメーカーとしては製品を出すたびに「商標」を登録していたら
きりが無い、だから、アルファベットと数字だけの無味乾燥な、
逆に言えば商標として取れない(登録が不要な)型番に徹して
いたのだろうが、それではやっていられない時代となった訳だ。
少なくとも、何か1つはブランド商標を取得し、それを主軸とした
ブランディング戦略を実施する必要性が出てきた。

ライバル他社は焦ったのだろうが、そもそもビギナー向けの機種を
上手にまとめるのは難しい。当時のカメラの設計者(企画者含む)
はカメラの事が良くわかっている人が担当していたのだろうから、
カメラについて何も知らない初級者の気持ち(理解度)を測り、
そのニーズに応えるのは難しかったかも知れない。
ただ、それは考え方次第であり、「EOS Kiss」には特に初心者に
特定した機能などが入っている訳ではなかった、あくまで
「簡単そうだ」というイメージ戦略の勝利であったのだろう。
そもそも、EOSという名称自身、イージー・オプチカル・システム
つまり”簡単な光学機器”という意味だと思われる。
ちなみに、ヤマハもキヤノン銀塩EOSと同時期の1980年代後半
から、電子楽器(シンセサイザー)で、
EOS(Entertainment Operating System)
という型番のブランド戦略を進めていた、こちらも2000年頃まで
展開が続き、銀塩EOSの時代と完全に被っていたが、楽器と
カメラとは商標的区分(役務)も市場も異なるし、特に混乱や
問題にはならなかった模様であった。

で、キヤノンは、さらに1996年に当時流行し始めたAPSフィルムを
用いた「IXY」(イクシ)を新たなブランド戦略としてスタートし、
スタイリッシュなこれも、また商業的に成功した(現代のデジタル
コンパクト時代にまで「IXY」の名前も引き継がれている)
(コンパクト・デジタル・クラッシックス第1回記事参照)
しかし、新しいブランドは商標取得の問題もあり、たとえば
「IXY」は海外では「ELPH」や「IXUS」という別の名前になって
いたという事がある。(同様にミノルタ「α」とか「任天堂」の
ゲーム機でも海外では別名を用いた例がある)

そして、遅ればせながら他社もその戦略に追従していく・・
ミノルタは「Sweet」で対抗した。
1998年にα-Sweetを、2001年にα-SweetⅡを発売した。
まだいくつか派生機種があったと思う。
α-Sweetはまだしも、Ⅱは銀塩末期の製品だ、デビューが少々
遅かったかも知れない。
だが、α-SweetⅡは1/4000秒シャッターとか、なかなかの
高性能な名機であり、私はα-9/7のサブ機として、2000年代
中頃まで愛用した。
「Sweet」の名称は、ミノルタとコニカが合併後の2005年の
「α-Sweet Digital」に引き継がれたが、2006年にαシステムが
SONYに譲渡されてからは使用されていない。
ニコンは「U」(ユー)というビギナー向けブランドを立ち上げ、
2001年以降、U、b(ベー:アニエス・ベーとのコラボ)、Us、U2
を次々に発売。こちらも銀塩末期なのであまり注目されない
シリーズであったし、商業的にも成功したとは言えないと思うが、
私は「U2」は結構気に入っていて、これも2000年代中頃まで
使用した。
なお、「U」の名称は、デジタル時代には引き継がれていない。
ペンタックスは遅れに遅れ、「*ist」のブランドを立ち上げて
銀塩一眼 「*ist」を発売したのは銀塩最終期の2003年だ。
この時点では、デジタル一眼との設計思想や部品の共通化も
図られていた模様であり、同2003年に少し遅れてデジタル版の
「*istD」がリリースされている。

デジタル*istでは、2004年の本記事紹介の「*istDs」の他、
派生モデルもいくつかあり、2006年まで(HOYAの買収前まで)
このシリーズ名でのデジタル一眼の展開が続いた。
銀塩の「*ist」は、基本性能に優れたカメラであった模様だが、
時代は既にデジタルであった為、私は買いそびれてしまった。
(名機LXやMZ-3を愛用していた為、必要が無かったとも言える)
さて、こんな時代背景から出てきたのが本機「*istDs」である、
前モデル「*istD」は「ハイパー操作系」を搭載した上級者向け
の高額(約20万円)なモデルであった為、10万円を切る
「*istDs」はPENTAXユーザーが手が届く、初の実用的な一眼レフ
となって大いに期待された(と言うか、当時最も安価なデジタル
一眼レフだったかも知れない)
だが、当時の他社のデジタル一眼は、開発・生産コストがかかって
結果的に高額なカメラにならざるをえず、上級者向けの高機能・
高性能な製品ばかりであったので、一部のマニア等のユーザー層は
それらに比べた場合の「*istDs」の簡素な性能に不満を持つ場合も
多々あった。
これはコストダウンをはかり、結果的にターゲットユーザー層が
異なっているのだからやむを得ない。ただ、スペック至上主義の
カメラユーザーはそうは思わないであろう、コスト的に言っても
10万円出すのであれば銀塩であれば最高級機が中古で買えて
しまっていたからだ。(そりゃあ、LXと比べたら可哀想だ)
だから時代背景や目的に見合ったコスパ判断を正しく行わなければ
ならない、それが公正な評価であろう(ミラーレス・マニアックス
のシリーズ記事で繰り返し述べてきた事だ)

さて、性能および長所と短所を見ていこう。
まず「*istDs」の基本性能だが、
APS-Cセンサー、CCD、610万画素である。
これは当時のいくつかの他社製品と同じであり、同一センサーを
用いていると思われる。
背面モニターは2型であり少し小さいが、これでも同時代のD70や
EOS 20Dよりは大きい。
まあ小型モニターであり再生を多用してもバッテリーの持ちは良い。
バッテリーは専用充電式ではなく、単三型あるいは同等の形状の
充電式電池を4本用いる。これの重量が少しかさみ、小型軽量の
長所が僅かに失われる。
ただ、それまでの銀塩一眼は、出先で撮影中に電池が無くなっても、
コンビニ等で購入する事が出来たのだが、専用バッテリー方式の
デジタル一眼では、バッテリー切れは予備を持っていない限りは
お手上げであった、何も撮れなければデジカメは重い荷物だ。
いざという時に、単三(や単四)乾電池が使用できるという事は、
電池の持ちやコストはさておき、便利な特徴である、と言える
かも知れない。
ISO感度は200~3200である、当時のエントリー機としては、
最大3200は高い方であり、かつ、あまりノイズも気にならない、
AWBの優秀さともあいまって、当時は、ライブ撮影等、暗所での
撮影にも活躍したカメラである。
最高シャッター速度は1/4000秒、まあこれは当時としては普通だ。
内蔵ストロボを搭載している、これも普及機では当たり前だ。
AF測距点数は 11点あるが、AF精度・速度は、やや劣る。
ピントがなかなか合わずに、ガタガタとAF駆動が行き来して迷う
ケースも多い。
ただ、当時のローコスト一眼では、ペンタ部にガラスプリズムでは
なくペンタミラーを用いて、見えやMF性能に問題がある場合が多々
あったが、本機はガラスペンタプリズム仕様でMF性能はまずまず、
この為、MFで使うのも本機の使いこなしのコツであった。
(ファインダー拡大アイカップ O-ME53が装着可能)
発色であるが「画像仕上設定」として「彩度」「シャープネス」
「コントラスト」の3つのパラメータが調整できる他、
その全体にかかる「鮮やか」と「ナチュラル」というモードが
存在している。これはこの当時のセンサーや画像処理エンジンの
発色は大人しいものであったので、ビギナー好みでは無い事は
明白だった。なので、彩度等を強調した「鮮やか」モードを
別途設けたのであろう。当時のマニアの「*istDs」ユーザーでは
「鮮やか」モードで使う事は常識であったが、ただ、勿論
被写体によっては「色飽和」してしまうリスクと引き換えだ。
「鮮やか」モードにしておけば、まあ現代で使ってもあまり
見劣りしない発色になると思う。

また、当時から「ファームウェア・アップデート」があった、
これは歓迎すべき傾向であった。
特に、発売当初色々と叩かれた「コンディニュアスAFが無い」
という問題も、このファームアップで解消された。
まあ元々「コンディニュアスAF」が無い(注:スポーツモードでは
使える)事がそれほどの問題であったのかどうか疑問であるのだが、
皆がそればかりを言っていたので、メーカーとしても対策せざるを
得なかったのであろう。
逆に言えば、それ以外に目だった弱点は無かったとも言えるの
かも知れない。だとしたらたいしたものだ。
まるで、現代のビジネスシーンでの企画プレゼン技法の一種で、
わざと小さい欠点を目立つようにして、評価者の注意や論点を
そこに集中させ、それ以上の大きな問題点をうやむやにして
企画を通してしまう、という上級テクニックのようにも感じる。
(まあ、*istDsに重欠点は無いが・・)

記録メディアはSDだが、ファームアップでSDHCも使える。
なお、SD使用は珍しく、同時期の他のデジタル一眼は殆どが
CFカードを使用していた、書き込み速度的にはCFの方が速く、
少しでも連写速度等を稼ぐ為に有効だったからだ。
なお、SDカードであったからか、連写に関しては、速度・枚数共に
貧弱な性能でしかない(説明書の仕様等にも連写性能は詳しくは
書かれていない、恐らく秒2コマ台で最大数枚程度であろう)
これはコンディニュアスAFが無い以上の大問題であろう。
まあしかし、その後、SDカードはデジタルカメラの記録メディア
としてデファクト(事実上の標準)となり、価格も大きく下がった
ので、その意味では先見性はあったと思う。時代を経て使う際には
CFはもはやコスパや入手性が悪い。

前モデル*istDに搭載されていたPENTAX伝統の「ハイパー操作系」
は省略されてしまったが、まあこれは*istDsのユーザー層を考える
と、どうせその機能は使いこなせないだろうから、やむを得ない。
そもそも本機は1ダイヤル機なので、その機能は搭載できない。
「ハイバー操作系」については説明がとても長くなるので
本記事においては省略する、過去記事、あるいはいずれ紹介する
その機能を持った一眼レフの記事を参照していただきたい。
なお*istDsのダイヤル類は接点不良を起こしやすい模様で
定期的に、潤滑剤などを注入しておくのが良いであろう。
また、内蔵手ブレ補正やそれを応用したゴミ取り機能は無い。
この時代(2004年)の手ブレ補正機能の事情だが、まずCANONは
1990年代、NIKONは2000年代の銀塩時代から、レンズ内手ブレ
補正方式を採用していた、フィルムカメラでそれを実現するには
レンズ側にその機構を入れるしかなかったからだ。
しかし、それでは当然レンズが割高となる、メーカー側としては
高いレンズが売れる方が嬉しいだろうが、ユーザー側としては
バカ高いレンズを買わされるのは、たまったものでは無い。
なので、デジタル時代においては、ボディ内での手ブレ補正が
要望されたが、センサーを微妙にシフトする方式は、そう簡単な
開発ではなかったかも知れない。誰が最初に考えたかは知らないが、
なかなかたいしたものだと思う。
この*istDsと前後して発売された KONICA MINOLTA α-7Digital
が一眼レフ(銀塩・デジタル)初のボディ内手ブレ補正機である。
PENTAXも後にボディ内手ブレ補正で他社に追従する事になるが、
その実現は、本機から2年後のK100D(2006年)である。
SONYは、α-7 Digitalで開発したボディ内手ブレ補正を継承し、
SONYブランド最初のデジタル一眼のα100(2006年)より
手ブレ補正を内蔵していた。
OLYMPUSは、もう少し遅れ、E-510(2007年)で初めて、ボディ内
手ブレ補正を実現した。

こうして各社の手ブレ補正機能が揃うと、やはりボディ内手ブレ
補正機が、どんなレンズでも手ブレ補正が効くので、ユーザー
利便性が高い事は明らかだ。
この分野で先行していたCANON,NIKONは、今さらボディ内方式
には戻れないので困ったと思われる。
結局、より手ブレ補正効果の大きい新型レンズを開発するしか
無かったのではなかろうか(それでまたレンズが高価になる・汗)
なお、近年の例では、マイクロフォーサーズ機で、パナソニック
は、当初はレンズ内手ブレ補正方式を採用していたが、2013年の
DMC-GX7からボディ内手ブレ補正機構も追加された。
この機種では、レンズ内手ブレ補正がある場合はそちらを優先
するようにしているが、さらに後継機のDMC-GX8(2015年)からは、
レンズ内とボディ内の両者の相乗効果を得る Dual IS 方式に
なっている。CANONやNIKONも、この手法を使えば、ボディ内
手ブレ補正に、ゆるやかに移行できるのではなかろうか・・
加えて、SIGMAやTAMRON、TOKINAといった、レンズメーカー製
のレンズも、ニコンやキヤノンAF/デジタル機用マウントでは
純正レンズとの仕様競争により、各社とも手ブレ補正機能や、
超音波モーターを搭載せざるを得ず、サードパーティ製交換
レンズもかなり高価になってきており、それらの価格メリットが
無くなってきている。ちなみに、TOKINAがレンズ内手ブレ補正
機能(VCM)を初搭載したのは、2014年と、比較的最近である。
しかし、なんだかこのあたりの流れはユーザー不在だ・・
メーカー間の競争で、どんどんレンズが高価になってしまう。
まあ一眼レフの販売数も激減しているので、メーカー側は
レンズで儲けなければやっていけない事情は理解できるが・・
そもそも手ブレ補正は必須の機能なのか?私はそうは思わない。
で、ミラーレス・マニアックスの記事で良く書いたように、
何の付加機能も無い古い望遠ズームがジャンクであれば数千円で
買えてしまう時代でもある。
これら一見ゴミのようなレンズの中でも特に写りが良いものは
多数存在している。メーカー側の色々な都合で高価になりすぎた
レンズを入手して喜んでいるビギナーユーザー層にも、是非
そうした「超高コスパレンズ」を体験してもらいたいものだ・・
その写りとともに、手ブレ補正が無くても、知識や技術があれば
写真は撮れる事もまた実感できるだろう。

さて、余談が長くなったが、*istDsの話に戻ろう。
まあ全般的には、あまり目立った長所短所は無いが、エントリー機
として上手くまとめていて、しかも当時としては低価格だ。
デジタル一眼の初級中級層に対しての普及に大きな貢献があった
機種だと思う。
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*istDs に関連する銀塩名機だが、前述のように生憎「*ist」は
所有していない、同様の小型軽量機で、ハイパー操作系を持たない
となると、やはり対応機は「MZ-3」(1997年)であろうか?

こちらが、MZ-3である。
本来のMZ-3ではなく、MZ-3 SE(Special Edition)というモデルで
名レンズ FA43/1.9Limitedのセットで1998年に2000台限定で
販売された。
限定版は外観が少しだけ異なる程度で、中身はMZ-3と同じである。
PENTAXは各機種の生産終了間際に、こうした限定モデルを発売する
のが銀塩からデジタル時代に至るまでの慣例であり、逆にカメラ
(中古)流通業界では「PENTAXが限定版を出したぞ、そろそろ
生産終了になるので、考えて売買をしないとな」といった風に
解釈されている模様だ。
なお、FA43/1.9については、ミラーレス・マニアックスの第1回、
第64回記事で紹介している。「名玉編」には惜しくもノミネート
されなかったが優秀なレンズである事は間違いない。
MZ-3は1997年の発売で、私がSE版を入手したのは1999年位で
あっただろうか?
MZ-3の特徴は、まず、この当時PENTAXにはフラッグシップと
呼ばれるモデルが存在しておらず、MZ-3が最高位機であった事だ。
(MZ-1が試作されたが発売されないままで終わっていた)
MZ-3は中級機並みのスペックであるが、1/4000秒のシャッター
と極めて使いやすい操作性(注:操作系ではない)で、
購入後は結構気に入って2000年代中頃まで使っていた。
*istDsとの仕様上の類似点は多くは無いが、まあ、製品の
ポジションは良く似ていると思う。
MZ-3も、発売後数年でデジタル時代に突入してしまったので
正当には評価されていなかったのであろうが、今から思い起こして
みれば銀塩時代の名機の1つに数える事はできると思う。
しかし、思えばMZ-3の発売から以降、PENTAXも含めて一眼レフと
いうものはデジタル化で急激に変貌を遂げた、設計開発陣も
さぞかし大変な時代であったのだろうと思う。

本機「*istDs」の発売時定価は9万円台、前述の通りデジタル
一眼レフとしては当時の機種中で最安値であったと思う。
私の購入価格であるが、2005年頃に中古で3万円であった。
これは知人から譲ってもらったので相場よりかなり安価だった。
当時は、私はPENTAXでは銀塩名機LXと前述のMZ-3を愛用して
いたので、あまり本機の必要性は無かったのであるが、
まあそれでも、いつかはPENTAXマウントもデジタル化する必要が
あったため、良いタイミングでの購入であったと思っている。
ちなみに、紹介したMZ-3 SEはレンズ込み中古(新品在庫)で
8万円であった、まあ名レンズFA43/1.9がついていたので
それが欲しくて買ったようなものであった。

さて、最後に本機 *istDsの総合評価をしてみよう。
(評価項目の意味・定義は第1回記事参照)
【基本・付加性能】★★
【描写力・表現力】★★★
【操作性・操作系】★★★
【マニアック度 】★★☆
【エンジョイ度 】★★☆
【購入時コスパ 】★★★★
【完成度(当時)】★★★
【歴史的価値 】★★★☆
★は1点、☆は0.5点 5点満点
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【総合点(平均)】2.9点
どの評価項目も平均点に近い感じであり、大きな特徴が無い。
小型軽量で使いやすく、価格もこなれていったデジタル一眼の
エントリー機であった事は歴史的な価値があるだろう。
次回シリーズ記事に続く。