2016年7月上旬、京都御苑(京都御所)で、「ビオトープ」である
「トンボ池」の一般公開があり、ちょっと行ってみる事にした。
ビオトープとは、野生の動植物が安定した環境で生息できるように
人工的に作られた空間(エリア)の事である。
御苑の「トンボ池」には、その名の通り、多くの種類のトンボや、
カエル、ドジョウ、ゲンゴロウなどが生息していると聞いていた。
また、植物も、多種多様なキノコ、そしてこの時期では「半夏生」も
見れるとの事だ。
この一般公開は年に2回あり、各3日間(?)、そして午前中のみと
時間が限られている。ちなみに入場料は無料である。
さて、京都御苑(御所)は広大な面積の施設だ、行きたい場所により
鉄道の最寄駅(4駅ある)も異なる。トンボ池は御苑の南東隅にある
ので、京阪電車の神宮丸太町駅から降りて向かってみよう。
御苑の南端、冨小路口から入り、ここを訪れる際には普段通らない
ような森の中の道を進む、ただ、これは最短ルートではなく、
間違った道だった事が後からわかったのだが、まあこちらからも
トンボ池に行けない訳では無い。
「トンボ池」の入り口を発見した、鍵がかかっている。一般公開は
午前9時半からだ、現在9時27分、もう数分待ってみよう・・
定刻になり、スタッフの人が出てきて一般公開の始まりだ。
中を少し進むと受付のテントがあり、氏名等を記入する。
そのすぐ先が「トンボ池」だ。
想像していた程は大きくは無い池だ、ほぼ正方形の形をしていて、
その1辺は15mほどであろうか?この池は人工的に作られた模様で、
防水シートを敷設して、深さ50cmほどになるまで水を入れている。
水源は地下水や雨水をポンプで汲み上げ循環させているそうで、
水温は一年を通してほぼ一定との事。
ビオトープは、このトンボ池のみならず、池の周辺にも、クヌギ、
アカマツ、コナラ等の樹木を植栽して環境を作っている模様であり、
この保護エリア全体は一辺50m位の広さがある。
ここにどんな生態系があるのかは、一般公開にあわせて、そのリストを
大きくプリントして張り出してあったが、数百種もあって、個々に見て
いくのが大変だ。横に大きな説明版があったので、それで見てみよう。
なるほど・・
説明版によると、生物は、殆どトンボとカエルと思って良さそうだ。
さて、トンボでも探そうか・・と思ったら、参加者へ集合がかけられた。
なんでも、今日はキノコの専門家の解説員の先生が来ていて、
参加者にキノコの説明をしてくれるとの事(およそ30分間)
ちょっと面白そうなので、説明を聞いてみる事にしよう。
なお、日により、あるいは時間帯により、キノコの先生の他、
昆虫の先生や野鳥の先生も来て説明して下さっているとの事だ。
キノコの話も色々と聞くと、なかなか奥が深い感じだ。
(まあ、この先生の話術が上手な事も理由だが)
話の中で印象的だったのは、木が枯れそうになると、特定のキノコが
それを感知して、そこに繁殖し木を分解するという話であった。
これはまあ自然の摂理であろうが、注意するべきは、キノコが付いた
から木が枯れる、という訳ではなく、その逆で、枯れそうな木に
キノコが付くという点だ。
かつて、京都の何処かの有名な桜の木に「キノコが付着して枯れた」
という新聞報道があったらしく、それを見て、こちらの先生は抗議した
そうだ。
「木が枯れてきたからキノコが付いたんだ、キノコを悪者にするな!」
との事である。新聞記者が勉強不足だ、と憤慨していた模様だ(汗)
で、そういう目線で、ふと下を見ると、色々なキノコが見つかる。
そういえば、私は最近、トンボや昆虫を撮るのが結構楽しくなって
きている(だから、このビオトープ一般公開にも参加した)
でも以前は、そういう昆虫は殆ど見つける事が出来なかったのだ。
これは、そもそも「探していなかった」からであり、見つけなければ
当然写真にも撮れない。けど「昆虫を探す目線」に切り替えると、
実に様々な昆虫が見えてくる。
キノコも同様なのだろう、興味がなければスルーしてしまっていた訳だ。
それに興味が出ると、あちらこちらで、それを見つける事ができる。
よくビギナーカメラマンで「撮るものが無い」と言っている人が居る、
けど、それは「自分の興味がある被写体が無い、だから見つけられない」
という理由ではなかろうか?見ようとしなければ何も見えないのだろう。
さて、キノコの話は結構面白かったが、今日の私のメインはトンボだ。
いるいる・・・結構色々な種類のトンボが見えてくる。
こちらは、何処でも比較的良く見かける「モノサシトンボ」だ、
これの小さいものは「イトトンボ」とも呼ばれている模様であるが、
その区別はちょっと微妙で、私には良くわからない。
(後で聞くと、尻尾のあたりの模様が異なるとの事であった)
今日の参加者の方々も自然観察に詳しそうな人が多かったが、
「モノサシトンボ」とか「イトトンボ」と、人によってまちまちに呼んでいた。
こちらのトンボの種類はよくわからない・・「シオカラトンボ」の
一種なのか?「クロスジギンヤンマ」なのか?
交尾をしている模様だが、オスとメスと色(模様)が違う種類なの
だろうか?トンボに興味が出てきたのはごく最近なので、実のところ
まだ殆ど勉強していない、まあ、何年か観察を続けていれば自然に詳しく
なってくるだろうから、焦って猛勉強する必要は無いと思っているが・・
ちょうど近くに昆虫の専門家の先生が来て、色々と解説を始めた、
その話を良く聞いておくとしよう。
で、交尾の直後、すぐにメスは産卵するのだと言う。
そんなに早く生むのか?と、ちょっと驚いたが、せっかくの機会だ
ウォッチしてみよう。
メスは、産卵の為に池の水面ぎりぎりにダイブして、チャポンと
尾を水につけて産卵する。
オスはその間、上空を飛びながら待機している、これは
「別のオスが来て交尾したら、自分の子孫が残せなくなるから、
他のトンボが来たら追いはらう為だ」と先生は言う。
メスが水面にダイブした。
トンボの動きは、かなり速くて、かつランダムに動いているようにも
見え、飛行中の模様の撮影は、極めて難易度が高い。
今日の撮影機材は、ミラーレス(μ4/3)機に、マウントアダプターで
CONTAX N SYSTEM Planar 85mm/f1.4を装着している。
晴天なのでND4減光フィルター使用。
ビオトープの中には暗い場所もあるが、ND4装着のままでも、
ISO感度を適宜調整すれば手ブレ限界シャッター速度はキープできる。
そして、デジタルテレコンおよびデジタルズームを併用している。
換算画角は340~680mm相当位で使う。MF(マニュアルフォーカス)
しか効かないが、AFではこのような飛び回る小さい被写体には、まず
ピントが合わないので、事実上MFでしか撮れない。
撮影距離3m位での被写界深度は、計算上は10cm程度の浅さとなる。
飛んでいるトンボの大きさがそれ位なので、非常に難しい撮影だ。
チャンポンと水面につけた瞬間は撮れなかった、距離が変わって
ピンボケになってしまったのだ。
まあ、というか、ピントが上手く合う方が奇跡的だ。
そして、また上がって、別の場所で産卵する、その繰り返しだ。
こうやって、この池に独特の生態系が形作られていくのであろう・・
ちなみに今日は、一般参加者や、御苑スタッフ、専門家講師陣、
いずれも、多くの人がカメラを持参している。
ここで面白い事は、一般参加者の多くはデジタル一眼レフに望遠
ズームであり、まれにマクロレンズやコンパクトデジカメも使っている。
そして、御苑スタッフや専門家のほとんどは、ロングズーム機である。
(これはレンズ交換が出来ないデジタル一眼風外観のコンパクト機で
あり、超望遠ズームレンズを搭載しているカメラだ)
これらの撮影機材には、それぞれ長所短所がある、
<デジタル一眼レフ+望遠ズームの場合>
長所:電源ONからの起動が速い
静止被写体ならばピント精度が高い
(コンパクト機に比べ)画質が良い
必要に応じてレンズ交換ができる
短所:望遠ズームは最短撮影距離が長い
大きく重いのでハンドリングが悪い
一般に、高性能なものは高価である(レンズも同様)
高価なので、フィールド(屋外)でラフに扱えない
レンズ交換できるが、ホコリ侵入、手間の問題がある
<ロングズーム・コンパクト機の場合>
長所:小型軽量で、フィールドでハンドリングが良い
一眼レフよりも望遠が効く(600~1000mm程度は普通)
デジタルズーム機能を用いてさらに望遠も可
マクロ機能を使うと最短撮影距離が非常に短くなる
レンズ交換が不要で、近接から望遠までカバーできる
センサーにゴミがつきにくい
安価である(特に中古の場合)
短所:電源ONからの起動が遅い(必要な時にすぐ撮れない)
電動ズーム機の場合は、動作が遅く、被写体を追えない
AF精度が低く、ピントが合わない又は遅い場合がある
MF性能(操作系等)が良く無い
センサーサイズが小さく、低画質あるいはボケ表現力不足
これらのうち、スタッフや講師の方などが「業務上」で動植物等を
撮影する場合は、ロングズーム機の方がむしろ有利であろう。
一眼レフでは、大きく重く、ハンドリングが悪く、かつ高価であり、
望遠撮影もレンズの焦点距離までしか効かないし、最短撮影距離も
望遠ズームでは長すぎて、マクロ等にレンズ交換する必要がある。
そしてフィールドは天候や撮影条件の良い日ばかりでは無い、
雨や酷暑、風や埃、落下等、あらゆる悪条件においでは高価で
デリケートな一眼レフシステムはかなり不利だ。
まあ、そういう意味では、スタッフ陣の多くがロングズーム機で
ある事は、業務上の実用面では非常に納得がいく機材チョイスだ。
私も3台のロングズーム機を所有しているので、それらのいずれかを
今日は持ってこようか?とも事前に思ったのだが、もっと良い方法を
思いついた、それがMF大口径中望遠レンズ+ミラーレスという
システムだ。その長所短所は以下の通り
<ミラーレス機+MF大口径中望遠の場合>
長所:小型軽量で、フィールドでハンドリングが良い
デジタルズーム(テレコン)で一眼レフよりも望遠が効く
最短撮影距離は、一眼用望遠ズームより短い(1m以下)
中古のボディは安価である(場合により、中古レンズも安い)
大口径でボケを活かした撮影ができる
レンズ性能が高く、センサーサイズも大きく、高画質である
ピーキング機能や拡大機能を用いれば、MFにも強い
短所:MFしか無いので、技術や慣れが必要
手ブレ補正機能が無いか又は使いづらいので、技術が必要
マクロレンズほどは寄れない(注:デジタルズーム併用で撮影
倍率は高められるが、ワーキングディスタンスを短く出来ない)
すなわち、ミラーレス機+大口径レンズであれば、他のシステムよりも
優位性が高い。但し、MF操作を初め、カメラ機能やその操作系全般を
熟知していないと使いこなせない為、ビギナーには敷居が高いと思う。
加えて、天候にも影響する、例えば、雨天の際ではこのシステムは
MF操作や耐久性の面で使い難くなってしまう。悪天候の際には、
やはりロングズーム機が有利になるだろう。
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で、トンボの産卵だが、一眼レフ+望遠でも、ロングズーム機でも
撮影は非常に困難な為、この時に撮影を行っていたのは、
ミラーレス+大口径中望遠という特殊な機材の私だけであった。
ちなみにだが、近距離撮影の場合は、他のミラーレス機に
SONY DT35mm/f1.8(最も最短撮影距離が短い大口径準広角)
を装着したサブ機を用意している。
さて、トンボ以外の被写体は無いものか?
受付にパンフレットが置いてあるので、それを貰ってこよう。
色々と生物の写真が載っているが、入口にあった説明板と
大差無い模様だ。
そういえば、ビオトープの説明板っていつ作るのだろうか?
設営当初だったら、どんな生態系が出来上がるのかはわからない
だろうし、後から作ったとしても、生態系は少しづつ変化していくので
あろうし、説明板を建てるタイミングが無いようにも思えてしまう・・
小さい昆虫とかも、キノコやトンボと同様に、それを見つけようという
意識(視点)が無いと、なかなか見つける事が出来ない。
植物はどうか?
こちらが、冒頭に少し書いた「半夏生」(はんげしょう)である。
植物の名前である他、季節を表す「半夏生」もあり、ちょうどこの
時期の7月2日頃である、この頃に、この植物の葉は、半分白く
なってくることから、「半化粧」とも言われる模様だ。
あれこれ言葉が関連していて、その事がなかなか面白いのであるが、
個人的には、それで連想するのは「半夏生餅」という食べ物である。
昔からある小麦餅であるが、奈良県(特に橿原市近辺)で現代でも
販売されている。別名「さなぶり餅」、これは半夏生餅で有名な
餅屋さんでの、この商品の販売名である。
これはなかなか美味しい。「名物に旨い物無し」とは良く言われるが、
私も概ねそうだと思う。名物と呼ばれる食べ物で、私が気に入って
いるのは、この「さなぶり餅」と、滋賀県犬上郡多賀町の「糸切餅」の
2つくらいしか無い。
さて、ビオトープの話に戻ろう。
「おたまじゃくし」、かなり大きいが、まだ足や手は生えていない。
「モリアオガエル」ではなさそうだ、パンフレットに載っている生態系
からすると「ツチガエル」だろうか?
カエルの鳴き声は、「トンボ池」全般で良く聞こえるのだが、その姿は
ほとんど見れない、スタッフの人に聞くと、「葉っぱの下などに潜んで
いるため、姿を見るのは難しい」との事である。
参加者との話でも「カエル見ましたか?」「いえ・・」という会話が
よく飛び交う。中には「モリアオガエルを探しに来ました」と、
それがメインの目的という参加者も居るようだ。
その「モリアオガエル」好きの年配の男性が「あ、居た」と叫ぶ、
「どれどれ・・」と数名が集まっていく、私も行ってみよう。
葉っぱの下で見え難いし、まだ小さい幼生の模様だが、ともかく
撮れる時に1枚撮っておこう。以降、もっと撮りやすい位置に
カエルが移動したら、またそれを撮るだけだ。
しかし「モリアオガエル」好きの男性は、コンパクトのデジカメを
手にしていたのだが、距離も遠く、被写体も小さく見え難いのので、
「後で撮ろうかな・・」と撮影を保留した模様だ。
その直後、「あっ!」という声があがった。
その「モリアオガエル」が、池のあたりまでポチャリと落ちてしまった
のだ。落ちたのは自らの意思で飛んだのかも知れないし、アクシデント
かもしれないのだが、まあ落ちたくらいでは大丈夫であろう、しかし、
そこからまた葉のあたりまで数十cmも再び上ってくる保証は無い。
その後、1時間ほどの間に3度ほど、そこを見に行って、そのたびに
「モリアオガエル」好き氏とも顔を合わせたのだが、
モ「上ってきませんね~」
匠「さっき、相当下まで落ちましたしね」
モ「写真、撮っておけばよかったです」
匠「私は1枚撮りましたが、葉っぱの影で・・」
モ「でも、撮れたのなら良いですよ、私はモリアオガエルを見る
ためだけに今日来たのに・・」
匠「はあ・・」
まあ、「モリアオガエル」が好きかどうかは、ともかくとして、
この話にはポイントが1つある、それは「写真は撮れる時に撮っておく」
という、ごく当たり前の事である。
まあ、その事は私は十分に理解しているので、私の場合は、口より先に
カメラ(レンズ)が出るのだが、一般的にはそうでは無い模様であり、
「あ、居た!」「あれ何のカエルかな?」「写真撮っておこうかな?」
「カメラ何処だっけ?」「何モードで撮ったら良いのかな?」などと
あれこれ喋ったり考えている間に、被写体が動いて
”かわず飛び込む水の音”となってしまう訳だ。
でもまあ、ビギナーカメラマンの概ね全てが同様な傾向であろう、
問題なのは、写真を1枚撮るまでに時間がかかりすぎる、という
点だと思う。この時間は完全に無駄だ。
カメラを構えてからは数秒程度で撮れるのが望ましい。出来れば
MFの場合でもだ。これは撮る前に、ある程度撮りたい画を想定し、
一部(絞りやピント、あるいはズーミング)の操作をしながら構え、
構えてからは微調整位の操作に留め、後はシャッターを押すだけ、
という感じで時間短縮が実現できる。
動体撮影や一瞬しか無い撮影を長年続けてくれば、そうした経験的な
技術が身に付くと思うのだが、ビギナーの場合はそういう機会は無い。
よって、撮影までに非常に時間がかかってしまう、1分や2分はざら
であり、その結果、撮影機会を逃してしまうこと甚だしい。
あるいは、シニアのカメラマンなどで「じっくり撮るのが良い」等と、
言いながら、数十分や数時間かけて1枚を撮る人も居る模様だが、
その人の生涯における「撮影機会損失」を考える恐ろしいものがある、
つまり「勿体無い事をしているなあ」と思ってしまう訳だ。
勿論、今はデジタル時代だ、フィルム1本で十数枚しか撮れない
銀塩中判カメラの時代とは全く違う。機材環境が変われば、写真に
対する考え方も撮り方も、それまでとは全く異なるものとなる。
どうしても昔風の撮り方がしたければ、昔の機材を使えば良いと思う、
昔の機材は様々な制約があるが、それを理解して撮るのも楽しい筈だ。
様々な時代の感覚を経験的に持っていて、それを自由に選べるのが
「大人の特権」であり、本当の意味でのベテランなのではなかろうか?
カメラだけ最新で、撮る側の気持ちは昔のまま、というのはどう見ても
アンバランスだ。
さて、このビオトープは狭いのだが被写体に困る事はあまり無い、
午前9時半から11時半まで2時間ほど居たが、その間、およそ
450枚以上(連写ではなく全て単写)を撮影している。
参加者の多くは、カメラを持ってきているが、いずれもビギナーだ、
高価な高性能機材を持ってきていても上手く使いこなせていない
のは撮影の様子を見ていればすぐにわかる。
カメラ設定も問題有りだ、望遠ズームを使っているのに、シャッター
音を聞くと、およそ1/30秒程度までシャッター速度が落ち込んでいる、
(注:耳が良ければ、シャッター速度の聞き分けはそう難しくは無い)
仮に手ブレ補正内蔵でも、画角400mm以上で1/30秒以下だったら、
どんなに優れた手ブレ補正機構でも確実にブレてしまう。
フルオートで撮っているからこうなるのだろう。
(注:カメラのモードダイヤルも必ずチラリと見るようにしている)
何故プログラムオート+AUTO ISOでしか撮れないのか?
まあ、それは露出の概念がわかっていないからだろうが、
ほんの少し勉強すれば容易に理解できる事なのに、勿体無い話だ。
さらには、中には「撮るものが無いなあ・・」という参加者も居る、
撮るものが無いのは、前述のように被写体を探す力(視点)が追い
ついていないからであろう。おまけに、撮影枚数が少なすぎる、
撮るものが無い(見つからない)のに加え、撮る上で、あれやこれや
余計な事を考えるばかりで、「まずは撮る」という発想に至っていない。
シャッターをなかなか押さない(押せない)というのが最大の課題だ。
最後に、またトンボに戻ってみよう。
まあ、トンボは、ちょうど今興味があるので、撮影は面白い。
ただ、本来、写真の被写体としては適切かどうか?
例えば「有名ラーメン店に並んで食べた」と自慢する話を良く聞くが、
凄いのは美味しいラーメンを作った料理人であり、並んで食べた
人では無いだろう。そこで「自己」を主張できる話では無い。
それと同様に、トンボを撮っても、やはり「自分」は無い。
珍しいトンボが居て、それを写真にとっても、トンボが偉い(珍しい)
訳であり、撮った人が凄いのでは無いのだ。
冒頭の「モノサシトンボ」の話だが、参加者の人やスタッフの人が
言うには、交尾の時に、2匹が体をねじって「ハート型」に見える
そうである、確かに、このビオトープでも、ハートもどきのように
2匹が捻じ曲がったような状態になっているのが見れた。
しかし「完全にハートに見えるのを狙う(撮る)」という追っかけを
している、という話には、私は全く興味を持てなかった。
何故ならば、それはやはり「被写体の勝ち」である。まあ、撮った人は
確かに、それを撮るために時間をかけたりしたのかもしれないが、
それを「手柄」だと自慢される事には賛同できない。
それは有名ラーメン店に並んでいるのを自慢するのと同じであり、
自己主張としては意味が無い事だと思うからだ。
被写体の力ばかりが目だってしまって、撮影者自身の主張や個性、
あるいは意図が見えてこない写真はどうも面白く無い。
それに、仮に誰かがそういう写真をネットに投稿したりして、
ビギナーが同じ写真を撮りたがり「一極集中」する事も嫌いなのだ。
(何故人真似をしたがるのか?まあ、個々が写真を撮る目的や
意図を持てないから、そうなってしまうのであろう)
こちらは「マユタテアカネ」だと思う(?)
ちょっと珍しいポーズとなっていたので、撮ったのだが、やはり
自身の意図が入り込まない。本来ならば、ここには何らかの
写真上のストーリーなどが無いとならないのだ。
例えば、このトンボの目線の先に、エサがある、メスが居る、
なんらかの危険がある、またはポーズに意味がある、
何かと対比できる、擬人化できる、などの状況があれば、
上手くその状況を意識すればストーリーや意図のある写真に十分に
なりうる。
しかし、単体の生物の図鑑的写真では、それは難しい。下手をすれば
単に、実物を「写生」しているのと変わらない結果となってしまう。
見本や手本や定番的なスタイルなどがあって、それの真似をするだけ
の写真ならば、それはつまり「習字」とかであって、そうした写真は
面白くない。他の概念で言えば、それは「アート」では無いと思う。
基礎練習である「習字」が悪いとは言わないが、手本をなぞる練習は、
ある程度書けるようになってからは、自身の個性や主張を込めていく
べきてあろう。一生習字を続けていくのではなく、どこかで「書道」
に転換していかなくてはならない。「個」を出す事が必要になるのだ。
それは絵画でも音楽でも俳句でも文筆でも料理でもダンスでも、そして
勿論写真でも、あらゆる「アート」の世界で共通の理念であると思う。
まあ、そういう意味では、今回は全て「被写体の勝ち」だ、
トンボには興味はあるし、ビオトープについても記事で伝えたいという
要素はあったのだが、写真的にはどれも面白いものでは無いことは
ちょっと反省すべき点があったかも知れない。
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ということで、京都御苑「トンボ池一般公開」に関する記事はこれで
終了、次回の一般公開はいつだか知らない(汗) 年に2回行われて
いる模様なので、興味がある人は自分で調べてもらえれば幸いだ。