劇団舞台処女(げきだんまちかどおとめ)の最新公演
「看板BOY」のゲネプロ(最終リハ)の模様より、記事3回目。

ここまでのあらすじ:
ルイスキャロルの名作「不思議の国のアリス」のアレンジ作品
であるこの現代劇は、「引きこもり」らしき青年「看板BOY」の、
彼の思考が作り出した「不思議の国」に迷い込んだメイド喫茶
店員など現実世界の住民が、彼を救い出そうとし、その結果と
して現実世界に戻ること望む、というストーリー展開を
見せはじめた。しかし、まだまだ「引きこもり」の原因は掴めて
いないし、それが明らかなったとしても、いかにして、彼の
現状を打破し、現実世界への帰る扉を開くかも見えない状況だ。
舞台はいよいよ盛り上がりの後半に突入していく。

こちらが「板男(いたお)」、引きこもりの役柄だ。
演じている役者さんは、劇団舞台処女の新人「エベレストⅢ世」氏
本名は非常に数の少ない珍名だそうで、そのあたりの理由から、
雄大な芸名をつけたとのこと。
今日は、初舞台とのことで、セリフは極めて少ない、と言うか、
面接のシーン以外皆無であった。さらに言えば、動きも少ない。
しかし、セリフも動きも少ない代わりに「板男」は表情で感情や
状況を表現しなければならないし、今回の舞台のタイトルにもなって
いる「看板BOY」であるから、失敗は許されない難しい役だと思う・・
ところで、劇団舞台処女(まちかどおとめ、以下、まちかど)では
役者さんは、役を演じてさえいれば良いという訳ではなさそうだ。
一般的に言っても、舞台を実現するには、脚本、演出はもとより
衣装、制作、舞台美術(大道具、小道具)、メイク、音楽、音響、
照明、タイムキーパー、広報宣伝、広告美術、撮影記録、営業、
対外交渉、MC,観客誘導、WEB管理、会計、受付・・・
という風に、演技を行う役者さん以外に、非常に多くの役割が
必要になってくる、それらが全て揃わないと、舞台は成り立たない。
で、どこの劇団もそうだと思うけど、なにせ、人手不足だ。
だから、「まちかど」では、各役者さん達も、裏方として様々な
役割を担っている、中には、そちらの方が専門なのではないかと
思われるくらい達者なワザを持つメンバーも多い。
たとえば、団長の安田明日香さんは、舞台美術のエキスパートだ、
ysdのペンネームで美術展に作品を出展したこともあり、いずれは
個展を開くのが夢とのこと。そして副団長の田中愛さんは、
イラストが非常に達者で、舞台パンフレットなどの挿絵を一手に
引き受けている、同じく副団長の溝尻氏は、制作チーフとして
活躍している他、2012年公演の、あの「まちかど」きっての名作の
「斑女」の演出を手がけるなど、マルチな才能を発揮している。
で、近年の「まちかど」の舞台には、なんらかの「仕掛け」
(ギミック)が仕込まれていることが多い。
具体的には、2012年の公演「紙風船」では、以下の写真のように
ラストシーンで舞台に沢山の紙風船が飛び交っていた。

また、2011年公演の「よろめきジャック」では、舞台の要と
なる重要なシーンで、沢山のスーパーボールが舞台の上から
降り注いだ。

これらのギミック(仕掛け)は、単に観客を驚かせるという
類のものではなく、ストーリー的に意味があり、感情や状況を
比喩表現するものとなっている。
「紙風船」は、夫の元を去っていく妻の気持ちを代弁しているし。
「スーパーボール」は、成長してはじけた「豆の木」そのものだ。
比喩表現は、文学の世界では当然の技法であり、「舞台」の世界
においても、むしろCGとか様々な映像効果が舞台上では容易には
使えない故に、ごく普通のテクニックとなっている。
余談だが、カメラマンというのは、本当に比喩表現が苦手な人種
だと思う。変に、目の前に現実の被写体があるものだから、
それをちゃんと撮るという事を第一に考えてしまって、別のモノ
(被写体)で、何か別の事を表現するなど、殆ど考えが及ばない。
しかし、カメラマンであっても、写真以外の分野では、たとえば文学や
美術といったアートを見れば、比喩表現を理解することはできる。
それがカメラを構えた瞬間、頭が固くなってしまい、アートのアの
字の感覚や発想すら持てなくなり、目の前の被写体をどう撮るか?
しか考えられなくなるのはいったい何故だろうか・・・?
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さて、また寄り道が長くなりそうなので(汗)
今日の舞台「看板BOY」のストーリーに戻ることにしよう。

場面は変わり、舞台上には、上のスーパーボールの写真にも登場
している、名脇役の「木下駒」氏だ。彼は「まちかど」のメンバー
ではなく、福井県の劇団の団員なのだが、ほぼ毎回のように、
「まちかど」の劇に客演という形で出演している。
練習のために福井と大阪間を行き来するので特急「サンダーバード」の
運賃の個人負担が凄い金額になっていた事があるそうだが(汗)
舞台だが、これは「板男」の現実の世界での回想(あるいは現在の)
シーンであろう、「木下」氏の役柄は、「板男」の母親だ、
どうやら父親は事故か病気かですでに亡くなっている母子家庭の
ようだ、そういう意味でも、前記事(2)で出てきたシーンの
ように「板男」が(本人は好まない事であっても)就職面接を
受けなければならなかった理由という事なのであろう。
だが、その母親、ちょっと様子がおかしい。
お茶碗は持っているものの、ご飯は、よそわれておらず、それでも
母親はおいしそうに食べている、「劇」だからご飯無しの、
「おままごと」モードなのかと思いきや、同席している「板男」の
セリフから、空の茶碗を持っている母親を、いぶしがり、哀れに思う
状況が伝わってくる、すなわち、母親は、精神がちょっとおかしく
なってきている様子だ。

母「ほら板男、おまえも、ごはん食べなさい」
板「いいよ・・・」(どうせ、茶碗の中は空だし・・)
ここにきて、「板男」の抱えている精神的苦難の内容がほぼ見えて
きた、「トラウマ」のような、事件による精神的外傷というわけ
ではなく、周囲の様々な状況が「板男」を追い詰め、結果的に
引きこもりになり、そして、「板男」の様々なネガティブな思念が
この「不思議の国」を作り出してしまったのだ。
・・・と、そこに、ドンドンとドアを叩く音が。

白「板男、ここをあけてくれ~!」
アリス、パリスも続く、
ア「板男さ~ん、ここ開けてよ~」
ふうむ、これまで「白兎」や「アリス」たちが「不思議の国」の中で、
「板男」の部屋を発見できなかったのは、彼の閉じこもる部屋が
現実世界の中にあったからだろうと思われる。
だが、今、このシーンでは、「板男」の現実世界と「板男」の創り出した
「白兎」達の居る「不思議の国」とは、その境界線があいまいになって
きている。両者が融和して「不思議の国」が崩れかけてきているのだ。

白「大変だ、時計が進み始めた!」
パ「え? それはどういうこと?」

メイドの「パリス」ちゃんは、これまでずっと、止まった時計を
持ちながら「あら、もうお茶の時間ですね」というセリフを
延々繰り返していた、永遠に繰り返される「お茶会」とは、
「板男」のネガティブな思考がどうどうめぐりになっていて、
そこから抜け出せなかった、ということなのであろう。
で、「アリス」や「パリス」は、現実世界のメイド喫茶で働いて
いたのが「白兎」により、この世界に連れてこられることに
なったわけなので、勿論現実世界には帰りたいことであろう・
そういえば劇の始まりのシーンで3人のメイドがマンホールに
落とされたっけ、それは、この2人と、あと1人は、おそらく
「帽子屋ハッター」だったのであろう。
そして、お茶会のシーンの時にも言っていたのであるが、
「三月兎」も「山ネズミ」も、さらには「白兎」も、元は
女性のメイドだったのが、長い間「不思議の国」の世界に
居た結果、男性(?妖怪?)になってしまったのだ、との事。
だから、まあ、「白兎」も、この「不思議の国」で小間使い
のようにいろいろ働かされはいるものの、基本的には、元の
「現実世界」に戻りたいのであろう(?)
で、恐らくは「白兎」は、以前から「板男」の状況を理解して
いたのであろう、ここが「板男」の「思念」を崩すための
絶好のチャンスとばかり、「板男」の部屋のドアを開けさせようと、
必死のアピールを行う。

舞台暗転、さあ、「板男」の「思念」は崩れたのか?と思ったが、
まだそれは無理であろう、「板男問題」が解決したわけではない
からだ。「板男」の問題といえば、それは、まあ、ズバリ言えば
精神に変調をきたしている「お母さん」という事なのであろうか?

ここで、舞台は、再び「不思議の国」の世界に戻る、
そこに現れたのあ「女王様」だ、もはや、この段階においては、
それが「板男」の「お母さん」の比喩であることに何の違和感も
感じない。
「女王様」は、「帽子屋ハッター」に、この間から、帽子の製作を
依頼しているのだが、その帽子がなかなか出来てこない、とイライラ
している様子だ。側近達としてこの場に登場している「三月兎」や
「山ネズミ」が、「女王様」をなだめようと、カツラを被せよう
とするが、それではお気に召さないようだ。

原作の「不思議の国のアリス」においては、「女王様」は、
かんしゃくもちの性格で、気に入らないことがあると、
周囲の側近達にもすぐに死刑宣告をする。
案の定、ちょっと”デンジャラス”な、「トランプの兵隊」が
女王の命を受けて動こうとしている。

ちょっとした弾みで、女王の気に入らない言葉を発してしまい、
さっそく「三月兎」が死刑宣告を受けてしまった。

そして、続いて、「山ネズミ」も同様に死刑・・・

「アリス」と「パリス」は、大慌てで、手持ちの材料をつかって
即席の「帽子もどき」を作り「女王様」に献上しようとするのだが、
やはり微妙に気に入らない様子。

そもそも、何故「女王様」は、そんなに帽子が欲しいのか?
ここから「女王様」の驚異の長(なが)セリフが入る、
劇団「まちかど」の舞台には、たまに、超・長セリフが入る場合
がある、それに当たる役者さんは、別に、いじめられている訳
ではなく(笑)芸達者の役者さんが選ばれるのだ。
「女王様」(お母さんと二役)の、客演の木下氏に関して言えば
演技力は十分、観客が全く覚えられないような数分間にわたる
超・長セリフをよどみなく話し始める。
勿論私も1度見ただけでは、そんな長いセリフを覚えきれないの
だが、かいつまんで言うと、女王様(つまり板男のお母さん)の
不幸な半生についてだ。
いわく、夫に先立たれてしまい、ホームレスになった、ホームレス
仲間にだまされてマンホールに突き落とされてしまい、そこから
出ようと頭をマンホールの蓋にこすりつけていたら、頭が薄く
なってしまった、だから、それを隠す帽子が欲しいのだ・・・と。
これだけ聞いていたら、なんとも喜劇的な話なのだが、ここに書いた
のは、キーワードを並べただけであり、実際には、淡々と長時間に
わたって語られる彼女の人生は、実に物悲しく、聞く人(観客)が
感情移入しやすい、これも名役者、木下氏の演技力いや、セリフ力
なのであろう、そして、あえて長セリフにしたことで、キーワード
だけ並べた場合での、笑い話になるような要素をうまく消している。
また、脇に居る、「アリス」「パリス」の名女優達の悲しそうな
表情の演技もまた良い。

「パリス」も女王様の不幸な境遇の話を聞いて、とても悲しそうな
表情をしている。
さあ、そろそろ何か「ギミック」(仕掛け)が出るのか・・?
いや、まだ出ない、舞台は平静なままだ。
写真撮影では「予測」というのは非常に重要な要素だ、
で、その撮影ジャンルに詳しくなれば詳しくなるほど、
「予測」が容易となってくる。逆にまったく知らないジャンルの
撮影では、次に何がどう動くか、わからないので、撮影が難しい。
私の友人に、ミュージシャン兼タレントの「たつを」君が居るが
彼や彼の取り巻きの人達は実に色々なことをやっていて、たとえば、
ライブや、寸劇、個展、バスケットボールなどなのだが、その都度
撮影に呼び出される。ライブや寸劇とかはまだ慣れているから
良いのだが、バスケットとなると、まったく撮影が出来ない。
物理的な撮影の難易度となれば、舞台やライブは非常に難しい、
バスケットとか、確かに動きは速いが、比較的明るい体育館の
中とかでやるので、一見撮れそうなのだが、私はさっぱり駄目だ。
というのも、バスケットの基本的なルールくらいは知っているし、
体育の授業などでやったこともあるのだが、ただ、それ以上何も
興味を持っていないので、選手達が何を考え、どう動こうとして
いるのかが、まったく読めないのだ。
だからどんな高速なAFや連写機能を持つカメラを持ち出したと
しても、常にレンズを向けると手遅れの状態になってしまう(汗)
(また、機会あれば、バスケ撮影の難しさも記事にまとめて
みようと思っている)
同じスポーツ撮影でも、ドラゴンボートはとても興味があるし、
ルールはもとより、各チームの実力や環境や考え方すらも知って
いるので、たとえばレース1つとってみても、どんな結果・タイム
になるのかは、ほぼ予想が可能だ、だから、撮影する上でも、
余裕があるし、次の瞬間、いや、もう少し先の時刻でも、レースが
どうなるかもだいたい分かるし、その時にどういう写真が撮れるかも、
頭の中で想像ができる。
先の予想ができない状態では、どんなにカメラやレンズの性能が
優秀であろうと、あるいは、どんなに、撮影技術が優れたカメラマンで
あろうと撮影を行うことが極めて難しい。
ましてや、撮影経験の長いベテランのカメラマンであればあるほど、
自分が撮りたい写真(構図や状況、表現)を持って撮影しようとするから
なかなか、そうならない事に対するストレスが溜まるかもしれない。
舞台においては、「まちかど」だから、そろそろこういう事をやって
くるな、と予想できれば、例えば、何かの「仕掛け」が爆発するか?
と予感できるのであれば、カメラを望遠から、広角・準広角に持ち替えて
おき、舞台の何処でいつなんどき、なにかのギミックが起こっても、
それに対応できるように(撮れるように)待機できる。
ちなみに、カメラを構えて被写体をファインダーに入れてから
絞りや露出補正やISOやズーミングを設定調整するのではない、
ファインダーを覗く前に、それらの調整をしておくのだ、さもないと
構えてからそれらを決めていたら、絶対に間に合わないからだ。
そうした「事前設定」を行うためには、ファインダーを覗く前から
撮りたい写真がイメージできなければならない、それは舞台撮影に
限らず必要な事だと思う。さもなければ、複数の仕様の異なる
カメラを持って、持ち替えて使うという事が出来るはずがない。
---
さて、本筋に戻り、舞台はどうなったのか・・・?
告白の長セリフが終わって、周囲の理解や同情も得て、もうこれで
思い残す事もなかろう、と思っていると、突然崩れ落ちる「女王様」
心配そうに駆け寄る、本当に女王様を慕っている側近達・・・

まあ、数秒前には予想できたシーンだ、別に「まちかど」だから、
そうだ、という訳でもなく、ほとんどのドラマや映画等では、
たいてい、こういう流れでは、そんな事になる、という経験則がある。
すなわち、テレビ、映画、絵画、漫画など、様々な映像作品を
沢山見て、それらの映像や映像の流れを、なんらかの形で自分の中に
記憶・蓄積しておくことは写真撮影の上でもかなり役に立つ。
それらの映像から、撮るために参考にすべき情報を引き出せるからだ。
そうした映像作品の記憶は、カメラマンに限らず誰しもが沢山持って
いる筈なのだが、それを撮影に活かそう、応用しようと考える人は
極めて少ない。いや、考えるというよりは、気が付かないだけなの
だろうと思う、カメラを構えると、良い写真を撮ってやろうとばかり
気負って、それまでの自分の持つ経験や知識を引き出してくる余裕が
無くなってしまうのではなかろうか?と思う。
「どういう風に撮ったいいのかわからないんです」と言うビギナーは
まだましな方で、下手すれば、そんな事はいっさい考えず、いきなり
「絞り値はどうすれば良いのですか?」とかであったり、「最高の
瞬間を待っているのです」とか(いったい何が最高の瞬間なのか??)
「有名な写真家と同じ構図で撮れば上達します」とか・・・
なんだか良くわからない理由や言い訳ばかりで、結局殆どのビギナー
カメラマンは、「撮りたいもの」が自分自身でも良くわかっていない
事が明白な状態だ。
これではいくら枚数を撮っても意味がない、そればかりか、良いカメラ
や良いレンズを買えば、もっと良い(?)写真が撮れると思っている
人達が大半だ、それはまあ、さすがに舞台を撮るのにISO400
までのコンパクトカメラしか無いのでは撮れないが、数十万円も
する最新・最高級の一眼レフとレンズが無ければ撮れないという
ものでも全然ない、そのあたり、あくまで、何をどう撮るか?、
撮りたいか? という点が、状況や情報、経験や記憶から導き出せる
かどうか? という部分が一番重要なポイントではなかろうかと思う。
予想をして、撮りたい写真を自ら「創造」する事が、写真の一番の
楽しみだと思う、そこに気が付かないと、あるいは出来ないと、
「他から与えられた被写体」(綺麗なもの、珍しいもの、変わったもの、
滅多にないこと、自分が好きなもの)といった、単純かつ受身の
被写体ばかりしか撮れなくなってしまう危険性もある・・
さて、長くなってしまったので、このあたりまでで、
次回(4)回目(最終回)に続く。