追記:この記事を書いた2日後、京セラから銀塩撤退の発表があった、
予想していた事とはいえ、残念ではある。 京セラ・コンタックスよ、30年間ご苦労様!

カメラ映像機器工業会が毎年3月に発行し、日本カメラショー(Phot Imageing EXPO)
で頒布される「カメラ総合カタログ」の2005年版から、京セラ・コンタックスの名前
が消えた、とても残念な事である。
---
ちなみに、この本はバイブルとも言えるもので、日本中すべてのカメラ屋において
ある。カメラの型番や種類を覚えたかったら、この本を熟読するのが早道である。
勉強熱心なあるカメラ屋の店長は、この本の各機種の電池のところをマーカーペン
でなぞり、電池の種類を覚える。お客さんがカメラを持ってきて「電池をください」
と言った際に、すぐに出せることが店の信頼感を高める重要な行為だからである。
さらに余談だが、電池の互換一覧を頭の中に入れておかなければならない、
中古機種の動作チェックをする際に、別のボディに入っている同タイプの電池を
素早くもってきて入れ替えて使う。もしいちいち店の新品電池の封をきっていたら
商売あがったりである。
---
さて京セラがコンタックスのブランドネームを買収し、名機RTS(初代)を出した
1975年からちょうど、30年。よく「会社の寿命は30年」と言われるが、まさにその
通り、京セラコンタックスの歴史もここで終わるのだろうか?(まだ決定ではない)
もっとも京セラは本体の事業規模は、カメラ部門とは比較にならないほどの売上を
誇る大企業だから、会社の寿命というのは失礼な話ではあるのだが・・・
自分の育った時代にある身近なものが無くなるというのはショックな話ではある
のだが、カメラの長い歴史・・とは言え、近代的なものはたかだか100年程度では
あるが・・を考えてみれば、コンタックス、あるいはツアイスのブランドは、
ローライ、ハッセル、京セラ、ソニー、コシナ等に受け継がれてきていた実体が
あってないようなブランド。つまりその時代時代の優れた技術を持つメーカー
が今後もそのブランドを受け継いでいけば良い、ただそれだけの話である。
----
写真を始めた入門者が知っているブランドは、キヤノンとニコン、そして
もちろんフィルム関連メーカー、さらにはデジカメの関係でソニーやパナソニック、
オリンパス、ミノルタあたりも良く知っている事だろう。
ミノルタがコニカミノルタになったという事を知っている人は少し減る、
そして、ペンタックス、カシオあたりもちょっと知名度が落ちる。
たぶん、タムロンとシグマもこのあたりの知名度では無いか?
一眼のセットを買ったらついてきた。「ああ、レンズのレンズのメーカーなのか、
安物だから純正ではないのかな?」と言った類である。 実際にはタムロンや
シグマは巨大なレンズ専業メーカーであり、多くの著名メーカーにレンズを作って
供給している。また、そのブランドネームに応じて、つまり付加価値に応じて
製品の性能を差別化している、つまり高く売れるものは性能も品質もしっかり
作っている。今や日本のメーカーの工業レベルは、品質が良い、悪いではなく、
条件や価格に応じて品質を自在にコントロールできるレベルになっている、
「昔の人」がカメラに限らず電化製品でも「△△社の製品は壊れやすい」とか
良く言ってるのを聞くと思わず噴出してしまう、いったいいつの時代ですか?
ありいは、シグマがライカのレンズを作っているという、ブランド信奉者が聞けば
パニックを起こしそうな話も良くささやかれている。レンズを開発・製造するのは
大変な話であり、著名メーカーとて自力で全部まかなうのは今や不可能な話。
ビジネスマンには、グローバル化というとわかりやすいと思うが、別に今の時代、
何処で誰がつくろうと、その製品品質そのものは大差があるものではない。
ただし、設計思想の優劣から、製品のクオリティに大差が出る場合は多々ある、
それがノウハウであり、21世紀の現代ビジネスにおける重要なポイント。
もはや20世紀ではなく、製品を作るというレベルでは付加価値は存在しない。
だから、現代においては「製品」という工業的な名称ではなく「商品」と言う
のが正しい呼び方であると思う。
----
さて、寄り道が長くなった、入門者のブランド知名度の話である。
リコーがその下くらいか? GR無き今となっては、もっと下がるだろう。
また、ケンコーとかマルミ、ハクバあたりの用品メーカーもかなり知名度が
低いと思われる。
----
そしてコンタックス、実に皆知らない・・・(汗)
まずは何十回となく繰り返された会話である、私がCONTAXを持っていると、
入門者「それ、どこのカメラですか?」
私 「ん? コンタックスだけど」
入門者「日本のメーカーですか?」
私 「・・(汗)、(実はこの質問がいちばん苦しい。。)
それは日本でもあって、日本でもない。そもそも、20世紀の始め、
カールツアイス財団が・・・(中略)・・・京セラがヤシカを吸収し
・・・中略・・・現在はブランドの所有者はよくわからないが・・。
(延々5分以上のスピーチ・・・汗)」
入門者「ふ~ん、風邪薬みたいな名前ですね(笑)」
をいをい、頼むから、もうちっとだけ勉強してくれよ!
ちなみに、知名度がさらに低い「フォクトレンダー」のカメラを持っていった場合
も同様である、こちらの方が歴史が長いだけ、もっと変遷が多く、一口に説明
するのはしんどい、そもそもメーカーがなくなったり新しく生まれる事を知る
経験を殆ど持たない若い人達には感覚的に理解することすら難しいのだろう。
----
コンタックスのカメラといえば、まずは高級コンパクトであろう。Tシリーズ、
これは中級者以上の憧れの的である、周囲の熱烈なマニアが持っているのを見て、
あるいは勧められて、そのカメラを運良く入手し、撮影してその仕上がりを
見て愕然とする。ここで生まれてはじめて「レンズ性能の差」というものを実感
するのである。「今まで私が撮っていたレンズはオモチャだったんだ・・・汗」と。
そして、上級者クラスになってくると、ツアイス一眼レフ、あるいはGシリーズ、
さらにおそらくは、今後出てくるコシナ製超高性能ZMマウントレンズ群の
レンズへのあくなき探求がはじまる。「レンズと言えばツアイスである、それ
以外はレンズではない」と、信奉心を高めていくことも不思議な話ではない。
しかし、厳密に判断していくと、ツアイスのレンズの中でも優秀なものもあれば、
駄作もある。ただ、一度同一のマウントでレンズラインナップを揃えていくと
他社のレンズとの厳密な比較を行う事も必然的に少なくなり、欠点に気がつかない
あるいはその膨大な投資への自己肯定の気持ちにより、弱点に目をつぶってしまう
事も多々あるので注意が必要である。これはブランド信奉の最大の弊害であり、
自らの絶対的価値観により良いものと悪いものを公平に評価する事が大事である。
----
事実、Y/C(ヤシカ・コンタックス)マウントの銀塩一眼レフのボデイ群、
これらは優秀なものが皆無であり、これという決定版が存在していない。
だから初級・中級・上級者クラスまでの性(さが)として、レンズの購入計画
を立てる前に、ボディの購入計画をたてる(玄人は先にレンズの計画をたてる!)
から、その際に「コンタックスではどのボディを買うのが良いのですか?」という
質問が一番困る。勧められる機種は少ない上、どのレンズをどんな目的で使うかに
よって、かなり状況がかわってくるからである。
こんな話があった、大阪・梅田の大手カメラ店、CONTAX ARIAが発売された際に
メーカーの営業マンが来てコーナーを設け、朝から晩まで主に女性ユーザーに
対し、新製品ARIAのセールストークを繰り返していた。
私は、その時、まだ若いが「カメラ玄人」の女性を連れてその店に行ってた、
最新のARIAの感触性能を確かめたかったからである。もちろんカタログスペック等
は2人とも完全に頭の中に入っている。連れの女性と5分ほどARIAをいじくりまわす。
予想通りであり、だいたい問題点は認識した。
その間にも営業マンのセールストークがマシンガンのように続く、
「はじめての方にもオススメで・・・評価測光が入ってるから・・・軽量で・・」
そろそろ営業トークがうるさく感じたので、玄人女性と目配せし、反撃を開始した。
女性「これ、広角の単焦点しか付けられませんよね?」
営業「はあ? このARIAは当社のどんなレンズでもつけれますよ」
女性「これにプラナー85/1.4とかゾナー180/2.8とか付けたらバランス最悪ですね」
営業「・・・・(汗)」
女性「それに、ツアイス広角の小口径単焦点は性能悪くって、使わないんですよ」
営業「・・・(無言)」
私 「え~と、ところで、フラッシュはついてないんですか?」
営業「・・・(絶句)」
かわいそうなので、その場はそれで引き上げた。後から思えばイジメすぎたので
その女性は後に、ARIAの限定バージョンボディと限定テッサーのセットを購入した。
----
また、こんな話もあった、また別の大阪の、とあるカメラ店、時は少しさかのぼり
Gシリーズが発売されたころ。やはり同様にメーカー営業マンが店頭セールスを
やっていた。
その時は私単独。Gシリーズはマニア向け商品なので、営業マンの説明の内容も
少しだけ専門的である。
営業「ほら、見てくださいよ、この後玉、出っ張ってるでしょう?
レンズが前後対称設計で画質が良いんですよ。」
私 「はあ・・・ 非レトロフォーカス設計ですよね・・・」
営業「そうなんですよ、詳しいですねえ、一眼ではミラーが邪魔するでしょう?」
この営業マン、なかなか良く勉強しているのか・・・それとも、セールストークの
マニュアル通りなのか、よし、ちいとテストしてやるか。
私 「ところで、ズームはついて無いんですか?」
営業「あわわ・・・まあ、いつか・・・ そんな予定も・・・」
私 「これって、実像変倍ファインダーだから、ズーム付けるの大変ですよね?」
営業「・・(泣)・・・はい、開発の方に言っておきます(汗)・・・」
思えばイジワルな客である。私はこの時も反省して、後にGシリーズを・・・
おお、未だに買ってないことに気がついた(汗) 京セラがCONTAXから
完全撤退して、いつか安くなったら真っ先に買ってやろう。
ちなみに、数年して唯一のGシリーズズーム(バリオゾナー)が発売されている。
----
さて、その後、CONTAXは全力でNシステムの開発を始めた。
Nシステムは、AF一眼レフと専用AFレンズ、AF中判カメラと専用レンズ、
そしてフルサイズ・デジタル一眼レフからなる、大規模な互換性システムである。
MFの操作性を重視したシームレスAFシステムや、MF版のツアイスを凌駕
する超高性能レンズ群。またN1では対角5点測距やフォーカス・ブラケット、
評価測光と中央重点の差を表示するなど、優れた操作系などの優秀なアイデアを
盛り込んだ完成度の高い機体になった。
そしてNデジタルの開発中、特別なルートで関係者に1枚の画像が配られた。
Nデジタルでの写真であると言う。JPEGで10MBもある巨大なファイル、
イライラする長時間のダウンロードが完了して、さてその写真を見ると・・・
なんだこりゃ・・・(汗)、受付の人らしき女性がカラーチャートを持って
どこかの工場の屋外の一角に立っている、構図は酷く引き気味で、コントラストが
低く、かなりのアンダー露出である、おまけに、ピントがかなり甘い。
しかし、その当時の200万画素級のコンパクトデジカメとは明らかに違う映像、
背景が滑らかにボケているのであった。
これで意見を聞きたいと言う・・・
私は言った「凄いボケ味ですね、新プラナー85/1.4でしょうか?」
開発関係者と思われる方は答えた「そう。凄いでしょう?」
「でも、ちょっとコントラスト低いですねえ。カラーチャートを見ると、
彩度もかなり低い。いったい、これ、製品版ですか?」
「いえ、これから(画像処理)エンジン周りは調整するんですよ・・・」
・・・さて、京セラのエンジニアの方が撮られたと思うその写真は、どうみても
写真に関しては素人の方が写したものであった、構図やピントの甘さを見ればプロ
や専門家では無い事は明白である。
しかし、その写真が、専門家はもとより、一般のレベルにまで流出する。
これは、エンジニアの方が写真を知らない事を暴露しているようなものでは
無いのか? 画像処理エンジンを調整するといっても、いったい誰が写真の事を
考えて調整してくれるのか? 写真の事がわからない技術者と、デジタルの事が
わからないカメラマンが集まって、ちゃんとしたカメラが作れるのだろうか?
私の持った、そんな素朴な疑問は、後に発売されたNデジタルが画質の悪さを
指摘されて、市場から一斉に回収されたという残念な結果になってあらわれた。
----
京セラがヤシカとコンタックスを買収してその時点で20数年、もはや当時の優秀な
ヤシカあるいは、神格化されている富岡光学のカメラ技術者等は残っているはずも
なかったのであろう。著名なディスタゴン28/2と同様な構成のレンズは他社にも
存在している、コンピュータによるシミュレーションも無い当時のオリジナリティ
溢れる設計思想は、そんなに簡単に他のメーカーでも同じものが生み出せるので
あろうか?当時のカメラ界において、優秀な何人かの技術者は、いくつかのメーカー
を渡り歩いていたのではないだろうか?これらはあくまで憶測に過ぎないが・・
そして果たしてY/Cコンタックスの最新レンズは今から何年前に設計されたものが
あるのだろうか? ・・コンタックスのマニアの方なら良くご存知だろう思う。
もうすでにレンズやカメラを開発する力が衰えていたのではなかろうか・・
さて、Nシステムは失敗した。結果的にそれは京セラ・コンタックスのカメラ事業
の衰退を示す兆しであった。
でも、私は、Nプラナー85/1.4の、その1枚のピンボケ写真のボケ味が忘れられ
なかった、そして、Y/Cプラナー85/1.4の業界での過剰なまで神格化された評価
に疑問を抱いていただけに、このNプラナー85/1.4がどうしても欲しくなった。
数年後、N1とNプラナー85/1.4の新品セットが手元にあった、とても高価な
そのセットは、私の財布の中身を一瞬で空にしたが、私は満足であった。
そして、それは、京セラコンタックスの1時代を築き上げた成果に対する、
私個人からの最後の餞(はなむけ)でもあった。
「よくやった・・・この超高性能セットは、もう誰も評価しないかもしれないが、
歴史に残る名機であろう、私はいずれその事を多くの人に伝えていくと思う・・」