奈良県橿原市にある「おふさ観音」にて。
このあたりにある著名なスポットとしては「藤原京」がある。
藤原京は日本最古の条坊制による本格的な「都」であるが
短期間で平城京に遷都してしまった。
藤原京資料館のベテラン説明員によると、なんでも水はけが
悪く、地形上の問題もあって、天皇の住む「藤原宮」のあたりに
水浸しになっていたらしい、おまけにそれが原因なのか、
伝染病も蔓延し、都の機能を維持できなくなったそうだ。
ただし、藤原京自体は最近の発掘調査ではかなり広範囲にまで
広がってきた事がわかってきて「大藤原京」と呼ばれ、古代の
最古にして最大の都だったらしい。
遷都した後の藤原京は荒れ果て、しばらくしたら農耕地で
ある事以外、都の面影は完全になくなったそうだ。
大和三山を望むその藤原宮跡に立つと、古代の栄華や繁栄と
没落・・そういう様々な数奇な運命に翻弄された歴史が、
奇妙な感覚として地中からわきあがってくるようにも感じられる。
ここ藤原京を開いた女帝「持統天皇」は、この地で有名な
「春過ぎて・・」の歌を詠んだそうだが、いったいどんな波乱に
とんだ人生だったのだろう? なんだかそんな興味も出てくる。

(橿原市のコミュニティバスには、持統天皇のイラストが・・)
さて、藤原宮跡から西にしばらく歩くと、そこに「おふさ観音」
がある。

この寺院はちょっと不思議な感じがする、
バラで有名な寺院であり、毎年5月~6月、10月~11月は、
「バラまつり」ということで、比較的小さい境内はバラの花で
うめつくされる。

また、今の時期、7月~8月には「風鈴まつり」があるらしく、
涼しげな風鈴がこれまた境内を埋め尽くすのだろうが、
残念ながらこのイベントには未だ行った事がない。
しょっちゅう色々なイベントをやっているのであれば「観光寺院」か
とも思ってしまうのであるが、かといって入山料(拝観料)を
徴収するわけでもなく、無料で入れてしまう。
不思議な感じがする、と言ったのは、一般的な寺院であれば、
おおむね3種類くらいにその特性が分けられるのであるが・・
1つは、一般公開すらしていない純粋な宗教施設としてのお寺、
2つは、京都、奈良などでよく見られる観光寺院、
通常400円~1000円ほどの拝観料が必要で、
有名な建築物や仏像など、あるいは四季の花などを
名物としていて、観光客が集ってくる。
3つは、特定の疾病などの回復や願掛け、厄除けなどに
効能があるとされ純粋な参拝客を対象としたお寺、
拝観料は取らないか、わずかである場合が多い。
神社と同様に御籤や絵馬、お守りなどの宗教関連
グッズを多数販売している事も良くある。
じゃあこの「おふさ観音」のカテゴリーはどれか?と言えば
まあ、3つ目に属するのであろう。

しかしながら、2つめの観光寺院的な要素もかなり大きく、
かなり行き難い場所(いずれの最寄の駅からも、かなり歩き、
車でもややわかりにくい場所)にあるにもかかわらず、
いつ行っても結構参拝者が訪れている。
不思議な感じ、というのはもう一つ理由があって、
なんだかこのお寺は「楽しい」要素がある。
普通、お寺というのは純粋なる宗教施設であるのだから、
観光寺院はともかくとして、本来はあまり浮ついた感覚で
訪れるものではないのであろう、ましてや病気や悩み事を
抱えた参拝者が真剣にお祈りしたり、時には境内で
お百度参りをしている姿を見たら、ちょっとはピリっと
しておかなければなあ・・という感覚になる。
でも、この「おふさ観音」は、あまりそうした深刻な状況
の参拝者が訪れる事が少ない、という面があるかもしれない。
境内のバラをゆっくり眺めたり、お守りや御籤を買って
帰ったりする参拝者を見ていると、のんびりとした感じになる。

「おふさ観音」の主なる効能は「ぼけ封じ」と聞く、
先ほど藤原宮跡から歩いてきた道は、安倍文殊院まで
数km続く道であり「大和ぼけ封じ長寿の道」と呼ばれて
いる、この道を全区間歩くと効能があるそうだ。
いちおうお寺なので、あまり浮ついて写真を撮るわけには
いかないのだが、それでも「ポツリ、ポツリ」と撮って
いると、ふと「そっか、ボケ封じかあ~」と思いついた。

今日のレンズは、PENTAX FA50/2.8Macro
やや旧型で不恰好なデザインのレンズであるが、そこそこ
性能は良い、勿論マクロレンズなので近距離の撮影では、
背景を大きく「ボカす」ことができる。
で、「ボケ封じ」というのは、背景をボカさずパンフォーカス
で撮るという事なのであろうか?(笑)
現代においては、もう絶滅寸前なのだが「パンフォーカス
至上主義」みたいな人たちが、ごく一部残っている。
まあ「あらゆる被写体をパンフォーカスで撮る」という風な
コンセプチュアルな(つまりはっきとした意思・意図を持った)
作風としてそれを実施しているのなら、なんら問題が無いのだが
(たとえば、その昔の「グループf/64」のように・・)
どうやら色々と話しを聞いてみると、中には、
「レンズは絞り込んだ方がシャープになる」という話しを
30年だか40年だか前に周囲から聞いて学び、それ以降
ずっとそれを信じて撮っている、という人が多くの割合を
占めている様子だ。

「いやあ・・それは昔のレンズの話でしょう・・?
今時のレンズは、そういう仕様にはなっていないし、
おまけにあまり絞り込むのも(回折現象などで)レンズの
性能を悪化させる、というのが現代の常識ですよ・・」
と言ったところで、あまり効果は無い。
そう信じて撮ってきた以上、いまさら、被写界深度を計算し
「ボケを活かした」撮影技法なんか、やる気にもならないし
やりたくても、そんな構図感覚や被写体感覚を持っていないから
撮りようもない(撮れない)、ということになってしまうのだろう。

で、パンフォーカスの「ぼけ封じ」は、まったくやる気が無いが、
ボケ質が乱れる事を回避する「破綻ボケ封じ」なら興味が
あるよなあ・・
レンズのボケ質は単純に「このレンズは良い」とか「悪い」
とか決めれるものではなく、被写体距離、絞り値、背景(または
前景)の絵柄、場合によって個体差、などに依存する。
で、同じレンズでもそれらの組み合わせによって、あるポイント
では極めてボケ質が悪くなってしまう事がある。
(これを「ボケ質が破綻する」と、このブログでは言っている)
写真の超ビギナーの場合は、被写体のみを見て写真を撮るので
背景のボケなどはもとより、元々背景に何があるか、なども
まったく意識していない、また撮る被写体も平面的な構図感覚
でしか無いのでもとより背景やら前景やらといった3次元的な
視点を持っていない場合が多々ある。
ズームレンズが無ければ撮れないというビギナーの場合は、
構図を2次元でしか考えていないので、その2次元の面積を
大きくしたり小さくしたりする為だけの目的でズームを使う、
さすがにそれ(画角)が1つしか無い単焦点レンズだと
2次元感覚だけでは被写体を捉えきれない、というわけだ。
ビギナーから脱出しかけてくると、いちおう被写体はバシっと
写すが背景を綺麗にボカす、といった写真にも興味が出てくる、
人間の目は注目している物体(被写体)を見ても、物理的に
背景がボケて見えるわけではない、だからその段階で、写真とは
すでに「見たままを写す・・真を写す」ものではなくなっている
事に気が付く。
見たままを写すのでなければ、撮る人が望む映像あるいは
効果を得る事が写真の楽しみなんだ、って自動的に気が
付いてくるであろう(しかし、何十年も写真を撮っていても、
見たままじゃあないとイヤだ、とか我がままを言うベテランも
非常に多いのには閉口するが・・)
ただ、背景をボカす事が写真の1表現である事を覚えても、
カメラのオマケのズームでは十分なボケ量を得ることができない、
大口径単焦点レンズは初級クラスではなかなか(心理的に)
買いにくいレンズであるから、ボケ量をコントロールする技法や
ボケ質を見たりする知識や経験はなかなか身に付かない。
で、ブログなどで大口径レンズを使って大きく背景をボカした
写真などを見ると「良いボケですね・・」と言う。
つまり、そこでは「ボケ量」と「ボケ質」の概念がまだ分離できて
いない段階なわけだ。
ボケ量の多少はその時の作画意図で決めるものであるから、
必ずしも背景が良く(大きく)ボケていた方が良いわけでは無い。
しかしながら、作画意図、あるいはそこまで言わないまでも
背景のボケ量を写真的に適切に調整しようとして(ボケすぎず、
少なすぎず)絞りや撮影距離を調整する、そこで出てくる問題が
「ボケ質」あるいはその「破綻」なわけだ。
どうしてもこれくらいボカしたいのに、何の因果か、その
条件ではボケ質が悪くなってしまう・・
「ヲイヲイこれは天下の名レンズと呼ばれたプラナーだぞ」
(注:今回のレンズはプラナーでは無いし、プラナーが常に
ボケ質が悪いと言っているわけではない、ただ、さしもの
名レンズと言ってもボケ質の破綻にハマったら避けにくい、
という事だ)と言ってみたところでしかたがない・:・:・
結局のところ「ボケ質破綻」を「封じる」には、その悪い
ポイントを避けるか、作画意図を変えるか、どちらかまたは
両方しか無いわけだ。 そして画像が撮ってすぐ確認できる
デジタルカメラと言っても、小型モニターではボケ質の破綻は
ほとんど確認できないので、そのあたりも非常に難しいところだ。
銀塩時代はもっと厳しかったであろう、現像してみて「ナンジャ
こりゃ~!」とびっくりする事も多々あっただろうと思う。
後で絞り値を確認しようとしてもわからない、メモすれば良かった
のだがそれは面倒だ。いきおい、わずかな機種だけ存在する
「データバック付きカメラ」を用いて、絞りやSSの記録を取る
ということになるのだが(現代のデジタルだったらEXIFが
あるので問題無い)それでも撮影距離とか背景の絵柄までは
その場にいないと思い出しようもないから、後で見てもどうにも
わかるものでは無い。
・・脱線が長くなった(汗)
で、そんなこんなで「ボケ質破綻」の件は、どの記事などを見ても、
あまり詳しく語られる事がなかったように思う、
まあ、厳密にチェックしようが無い要素もあるのでしかたがない、
ただ、「破綻が出ないように」と「ボケ封じ」でお参りをする
くらいしか解決策が無い(笑)のかもしれないのが辛いところだ。
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さて、おふさ観音参拝後はもうひとつ楽しみが・・
すぐ近くの和菓子屋さんで売っている「さなぶり餅」が
なかなかの逸品なので毎回買う事にしている。
今回、新製品の「ふひと団子」が出ていたので、それも
買ってみることにしよう。

しかし、藤原不比等(ふじわらふひと、鎌足の子)から
名づけた事は明白なのだが、冒頭の藤原京において、
藤原不比等は、平城京に遷都する政治的な原因にも絡んだ
人だと思うし、藤原氏の繁栄とともに、なにかとあって
大変だった人だと思うのだが、団子の名前になるのは
ちょっとイメージが違うのかもしれない。
「おっと、意外に美味しいね、もう1本・・」

「こら、そのへんでやめとかないと、中性脂肪増えるぞ!」
と怒られそうな雰囲気だ・・(汗)