大阪、心斎橋のライブハウス SOMA で行われた、アマチュアロックバンドの
対バン形式ライブイベント。 さて、ラストのステージは
Kumama Roomだ。
まずはバンドリーダーのTiga氏
ロックが「若者の音楽」と言われた時代は、もうかなり昔の話。
当時の若者達は今、40代、50代・・・といったミドルエイジの世代になり、
家庭や仕事に集中した(せざるを得なかった)時期を超えて、今、何十年ぶり
かにギターを持ち自らの青春のメロディを奏でる。
・・実際、そんな人達が非常に多いとも聞く。
そして、Kuamam Roomはハードロック・バンドであるのだが、普通のアマチュア
ロックバンドとは少し違う。まあ言ってみれば、エンターティンメント系の
パフォーマンス・バンドという感じになるかもしれない。
一般のアマチュア・バンドだと、ただ単に自分達の生きてきた青春の世代の
音楽を演(や)りたくて、同じ主旨の仲間を集める事になるのだろうが、
単にメジャー・アーティストのコピーバンドで終ってしまう事が殆どだ。
まあ、それでも演奏している方は楽しい、けど、それを観客として見る立場
になった場合、ひたすら有名ヒット曲のコピーの曲を聴かされているだけでは、
やはり退屈だ。 よほどの工夫が無ければオリジナルを聴いた方が良いに
きまっているし、うるさい事を言えば非営利でない場合の音楽著作権の問題もあり、
結局のところ身内での発表会のような範囲で終ってしまう。
Kumama Room のメンバーは30代~40代の世代で構成されている。
主要メンバーの世代的にズバリの音楽ジャンルは1970年代~1980年代の
ハードロック。
たとえば前期ではディープ・パープルとか、レッド・ツェッペリンとか
後期になればTOTOとかボン・ジョヴィとかそんな所であろう。
(後期のハードロックはPOP性が強くなってきて、ハードロックの本来の
コンセプトはヘビメタ(ヘヴィメタル)として進化していくことになる。)
ただ、Kumama Roomの場合は、そうしたメジャーアーティストのコピーバンドに
とどまる気はさらさら無いようだ。
その1つの理由は、主力メンバーの1人である、↑の写真のDanne氏の存在。
彼はロックバンドの他、アマチュア劇団(演劇)の主要メンバーを掛け持ちしている、
劇団はかなり本格的な活動をしており、Danne氏は、演出家として、その劇団には
無くてはならない存在。
それゆえ、このKumama Roomのステージングも彼の演劇での経験からなる
演出が随所に加えられていて、基本的には「お客さんを楽しませる」ステージを
心がけている様子だ。
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わかりやすく言えば、普通のアマチュアバンドだったら、ライブのステージ前
になれば「失敗しないように演奏する」事で頭がいっぱいになる事であろう、
それが第一優先で、次はまあ「楽しんで演奏する」あたりだろうか・・
それなのに彼等のステージは、第一優先が「お客さんに楽しんでもらう」
この差は想像する以上に大きい、それは単にバンドの「ポリシー」や「方向性」
という内部事情にとどまらず、根本的にステージに対する姿勢が違うという事を
意味するからだ・・
しかし、そういう事もありつつも、まずメンバーもステージで楽しんで
いかないと、お客さんへ、その楽しさは伝わらない。
「失敗しないで演奏しよう」なんて思いつつガチガチに緊張している様子でも
あるものなら、観客も見ているだけでハラハラしてしまう。
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つい先日、私も某音楽スクールのコンサートでギターを演奏した、
まあ、コンサートと言っても発表会みたいなもので、100名ほどの入場者の
大半は、イコール出演者という状況なので観客は身内というわけだが、
それでも同じようにみなギターあるいは他の楽器を演奏する者同士であるから
実力差がはっきりするので、皆恐ろしく緊張している。
私はトップバッター、ほとんどがグループ演奏の中、ソロギターという、やや
特殊なジャンルであるのでそうなったのだが、一番手の演奏はそれをする方より
むしろ観客の側の緊張が伝わってくる。
曲は弾きなれた「ホテル・カリフォルニア」今年に入ってからもライブバーなど
で数回の演奏経験がある。
ソロギターアレンジではかなりの難曲であるが間違えずに弾くとかそんな事より
まずは、この客席のガチガチの雰囲気を崩す事が一番の問題だ、ただ、とは言え
進行上、自分でMCする事は出来ず、司会の方の紹介を受けて演奏するだけの
立場では、それ以上の事は態度や演奏内容で表現していくしかない。
演奏開始・・・長い曲だがとりあえず完奏。途中の数音、音がきちんと出ず
ミストーンとなったがそんな事は気にしない、観客にはまずわからないし、
あまりに完璧に演奏してしまったら、二番手の人もますますやりにくいだろう。
私がこの曲で伝えたかった事は・・ 30年前の誰も知っているこの名曲。
当然今でも演奏する人は多いが、殆どはバンドかグループ演奏だ、コピーでは無い
ソロアレンジで、いくつかの楽譜から組み合わせて工夫したオリジナルの
要素を加えている。 他のスクール生は、恐らくそれぞれの演奏曲の原曲を
「間違えずに弾こう」とか「雰囲気を出そう」と思いながら演奏するのだろうが
なんとなくそうではなく、自分のオリジナリティを出して行きたいと思っての
選曲とアレンジであった。まあ前述したような「身内の発表会レベル」に過ぎない
のであるが(汗)それはそれなりに単なるコピー(人まね)の域で終らない
ようには考えてやっている。
そのソロギター奏法というのを初めて見て驚いていた人も多かったらしいが、
それもまた、アコギはコードストロークかアルペジオで弾き語り、という
固定観念に縛られている雰囲気に一石を投じたいという気持ちも多々あった。
ギターって、もっともっと奥が深いものだし「B♭が押さえられない」とか
そんなあたりのレベルでグダグタ迷ったり悩んでいたりしてもしょうがない、
何本ものギターやバンドメンバーが必要な曲でも、1本のギターでそれなりに
曲の世界観やイメージを表現する事ができるんだよ・・それを伝えたかった。
ステージでは、それがどんな小さいものであれ、どんな場であれ、やはり
何等かの要素を観客に伝えたいという気持ちがあって当然なのだろうと思う、
間違えないように演奏する、だけのものでも無いし、演奏する自分たちだけが
楽しむものでも無いと思っている。
私自身の(人前での)演奏活動はまだまだ経験不足で、技術的にも表現内容も
決して誉められたものでも自慢できるものでも無いのだが、それでも機会
あるごとに、そういう経験を積んで、何かを目指していきたいという考えはある。
その何かとは、決して演奏でお金を貰う、つまりプレーヤーや指導者になったり
という事ではなく、ステージで演奏する事で観客に何かを伝えるという事が、
自分にとっては一番重要な事なのだろうと思っている。
さて、脱線したが、ライブレポートの方に戻る・・
Kuamamの盛り上げ役、ボーカルのCandy嬢、今回のステージを最後に、
しばらくお休みという事だが、ラストにふさわしく彼女自身非常に楽しんで
歌っている様子が、見ていて好ましい。
お客さんを楽しませるのは、ある程度「演技」の要素もあると思うが、
それもあまりわざとらしいとすぐわかってしまう。
そうではなく、彼女の場合「もうこれでラストだから思い切りはじけるぞ」という
雰囲気が伝わってくる、まあ、だからこそ自然に楽しめるという事なのだろう・・
サイドギター Niku(肉)氏。 彼も本来は演劇系のメンバーだったのだが、
ギターが弾けるという事から、すっかりもうKuamamのメンバー兼務として定着している。
非常に楽しそうで余裕のある表情。 Kuamam Roomに参加した当初の頃はやはり
ギターを弾くだけで、せいいっぱいの様子であったのが、今回あたりはもう大丈夫だ、
まったく危なげない雰囲気だ。
ちなみにKumama の音楽はすべてオリジナル曲だ。
オリジナル曲=観客の知らない曲、であるから、様々な面で工夫を凝らして
いかないと、それこそ本当に退屈してしまうわけだが・・
で、たとえば、ステージ前に、まず観客全員に歌詞や曲やメンバーの紹介
が出ている小冊子をスタッフが配って歩く、曲の中で、ステージと客席の
かけあいになる部分なども書いてあり、色々な面で細かい演出が見られる。
Kumama Roomは、今回の6バンド対バン形式の主催バンドであり、
トリ(ラスト)のステージをつとめ、持ち時間も1時間とたっぷりある。
観客も1時間の間、ずっと最初から最後までノリっぱなし、というわけにも
いかないだろうから、そこは演出のDanne氏の演劇の経験による綿密な計算
が働いていて、曲順や、どのあたりに盛り上げのポイントを持ってくるかとか
そんな事もすべて考えられてステージが進められていく。
ステージ上の各メンバーの動きが活発になる、
だんだん想定している盛り上げポイントに近づいてきたのだろう・・
そして、盛り上げ役の Sakana(魚)氏登場。
やはり演劇出身で、ギターの肉氏とは「魚肉コンビ」だ。
Sakana氏の役割は、音楽的なバックコーラス担当だけではなく、
その使命は「派手な/面白いパフォーマンスでノリの雰囲気を作る」事にある。
ド派手な服装とド派手なギター、一見リードギターTiga氏のとのからみの
ツインギターに見えるが、彼のギターにシールド(注:アンプと接続する線)が
ついていない事は観客からも見てわかっている、つまり「弾く真似」なのだが
これがまた面白い。
Sakana氏がギターを弾けない事も、観客の誰もが最初から薄々わかっているのだが
あまりに真剣な表情、あたかも本当に弾いているような運指(指づかい)を見ていると、
なにか高度にバランスされた「芸」の一種として感じる事になる。
Sakana氏のギターの弾き真似が終れば、今度は、曲のテーマにあわせライオンの
被り物をしたり、色々な小道具を使ったりと、なかなか忙しい。
このあたり、コロコロ変わる衣装や小道具も、まさに演劇の感覚であり、
演出家Danne氏や、演劇団員Sakana氏の得意技だ。
このレベルになってくると、もう一般的なアマチュアバンドのステージングではなく、
かなり高度にエンターティンメント性を意識して作りこまれた、1つのステージ芸術の
ように思えてくる。
そんな中、冷静なキーボードプレイを続けるのは Cherryさん。
昨年のライブの後の打ち上げで、中古キーボードを買う相談を受けたのだが、
私はその時、メンテナンスの難しさを理由に若干の反対意見を述べた。
中古キーボードが全部が全部ダメというわけでは無いのだが、つまり彼女の
ようにステージで使うのであれば、突発的な故障やその対処など、修理や
メンテナンスの問題がつきまとうからである。
で、今日見たら、Roland の新鋭キーボード Juno-D を持ってきてたので、
「あれ?」というと、彼女はニコっと笑って「買っちゃいました! エヘ」
Juno-D は1980年代のRoland の名キーボード Juno-6 のリメイク版シンセ
であるが、Juno-6と同じ内容ではなく、中身は20数年の進化をとげた新しい
シンセサイザーそのものである。 同時発音数は当時の6音からいまや64音、
Juno-6では、自分で創った音色1つでしか弾けなかったのが、Juno-Dでは
ボタン一発で瞬時に数百種類の音色を選び出すことができる。
中には勿論1980年代風のアナログシンセの音色なども多数入っているのだが、
Juno-6がデジタル・オシレーター(DCO)と、アナログ回路(VCF,VCA)を
備えた、半デジタル(ハイブリッド)シンセだったのが現在のJuno-Dは
勿論完全なデジタルシンセとなってリメイクされている。
また、当時のJuno-6で特徴的な機能だったアルペジエーター(和音を押さえる
と自動的に分散和音演奏をする)も搭載。これは音色ごとに異なるパターンが
出るように進化したらしい。 おまけに重量が極めて軽量なので、女性でも
手軽に持ち運べてステージ・シンセとして使える。
「ふ~ん、なかなかいいチョイスだなあ」
私は、Cherryさんのこの選択は正解だったと思って見ていた。
このシンセ、私もちょっと欲しくなってきたのだが・・(笑)
特に、昨年末に特別仕様版の Limeted Edition が出たので、
こういう「限定」や「特別」モノに弱いので、なおさら欲しくなる(汗)
しかし、ステージでキーボードを弾く機会もまず無いだろうし、すでに家に何台も
シンセがあるので、置くところに困ってしまう。
カメラやレンズだったら、それが欲しくて、たまたまお金に余裕があれば
買っても問題ないのだが、楽器やオーディオ機器は、場所をとるから
欲しいままにいくつも買って家に置くというわけにはいかない。
それに実は、私の家にはRolandの開発関係者から譲り受けたJuno-6の試作機が
つい最近まであったのだ、これは世の中に1台しか無い非常に貴重な個体であり、
パネルの色のデザインなども黄色主体で、量産機とは異なっていた。
ただ、内部回路はハンダ付けをしてある完全な手づくりで、経年変化から
もう近年ではきちんと音を出すこともできず、ツマミなどの外装類も損傷
してしまっていた。 貴重な機械とは言え、もうこうなると残念ながら場所を
取るだけのゴミとしか言えず、やむなく処分という事になってしまったわけだ。
貴重なJuno-6を捨てたところに Juno-Dを購入するのもなんだかしゃくだ(笑)
残念だが完全に諦めるしか無いだろうなあ・・
さて、こちらはベースの mint氏。
「ネクタイが曲がっているよ」と友人にからかわれていたが、これは
こういうデザインのTシャツ(笑)
mint氏は、最近カメラに凝っている。
主要機材が KissデジN+50/1.4、100/2、200/2.8、そして*istDs+77/1.8
となっている。これは私のライブ撮影用機材に近いものがあるのだが、
その理由は、彼から色々機材の相談を受けて、なんだかんだ選んでいるうちに、
結局同じようなものに落ち着いたという事だ。
ライブ撮影に大変興味を持っていて、この Hush & Loudのライブの
前半のバンドの殆どは彼が志願して主力となって撮影をしている。
私はその間、彼に撮影ポイントや機材の各種設定などのアドバイスを
しながら、フォローを続けてきた。
ただそうは言っても、4時間5時間にもおよぶ長時間のライブ撮影は、
彼は今回が初めて。 で、最後には自分の出番でステージでのベース演奏。
正直かなり疲れただろう・・ 「ヘロヘロでしたよ」というメールが来たのは
ステージ終了後、かなりの時間がたってから。 おそらく爆睡か?(笑)
メンバー紹介の最後は、ドラムスWoody氏。
Kumama Roomへの参加は比較的新しいが、回を重ねる事に技術的な成長が見られ
今はもう安心して見てられる。
童顔であり、意外に(失礼・・)固定ファンが多く、声援も多かった。
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さて、Kumama Roomのステージもどんどん進み、同時に様々な演出が観客を
目で耳で楽しませてくれる。
「海賊」をテーマとした曲での演出。
海賊・・というのは、なかなかこの世代の郷愁を誘う要素があるのかも知れない。
最近でこそ海賊をテーマとした外国映画があったが、なかなかそれを除いては
あまり「海賊」というのもドラマやマンガ、映画などにあまり出てこない存在に
なってしまった。 おそらく1970年代くらい迄の時代の方がはるかに海賊は
子供達にとって身近なキャラクターだったのかもしれない。
子供の持つ純粋な心には「冒険」とか「未知の世界」とか「秘宝・秘境」等への
憧れの気持ちが、すっと入って来るのであろう。
でも、最近の子供はもっと現実的になってしまったという事なのかも・・
再びCandy嬢、彼女の形容詞としては「Cute(キュート)」という単語が
ぴったり当てはまるかもしれない。 この後、具体的に彼女がどんな活動を
するのかは聴いていないが、また何かの機会、音楽なり演劇なり、あるいは
別の場なり・・ 呼ばれたらまた写真を撮りに行こう(笑)
さて、ステージ上の演出はまた違う局面に・・
ステージ上に10本、客席に60本の懐中電灯を配り、ステージの照明を落とし
懐中電灯の光の筋がステージと客席を交錯する。
ある種の「鎮魂」をテーマとした曲の演出であるが、MC(注:曲と曲の
合間に入るしゃべり、あるいは説明など)では、Danne氏はその意味や背景を
観客に事前にt伝える事ができなかった。
その理由は、盛り上がってきた観客がステージに多くの声援をかけ、
それが過剰なくらいになって、MCでの紹介機会を逸してしまったからだ。
演出のDanne氏はそれを後で悔いていたが、まあやむをえない状況もある。
何故なら、そこまで盛り上がる演出をかけてきたわけだから、急に静かな
曲に変わると言っても、舞台のように完全な「場面転換」が出来るわけが無く
音楽のステージでは、それ以前の曲での感情、感覚がそのまま次の曲に引き継
がれてしまうからだ。 Danen氏の演出は舞台風の綿密な計算にもとづいた
高度なものがあるが、場面を一旦暗転させて、違うシーンを違う雰囲気で
リセットさせて創り出すことができる舞台演出とは異なり、音楽ライブのステージでは
急ブレーキや急転回は効かない。
だからむしろ、そこまで盛り上がったという事が成功なのであって、
鎮魂の静かな曲をおごそかな雰囲気で演出する事が難しくなってしまっても
止む得ないと思う。
音楽家(ミュージシャン)が音楽の演奏で自分を表現するのであれば、
演出家は演出でその自分の作品を表現する。
だから演出の効果が100%自分の計算どおりにいけば最も嬉しいという
事になるわけだが、ステージは生もの、水もの、そして観客とプレーヤー
の双方向のやりとりによって、その都度、まったく違うステージができてしまう、
その変化の奥深さが、ある意味、ステージの面白さなのであって、
それをコントロールするもよし、アンコントーラブルになって結果オーライでも
それもまたよし、まあ、そんなものではなかろうか?
・・でなければ、そこにプレーヤー(パフォーマー)がいて、観客(オーディエンス)
がいる意味がない。 どちらも人間なんだから、計算不能な事態がいきなり
起こってもしかたない、それを面白いと思えるのであれば、演出の面白みも
また違った次元に到達していくのかもしれない・・
Danne氏の懐中電灯は、ラストの曲で、興奮した観客がステージに駆け寄り、
手にした懐中電灯でプレーヤーに干渉するという事態に発展した(汗)
小道具がアダになったようにも思えるが、これもまたいくつか見方がある。
単にプレイを妨害しているようにも見え、あるいは、単純にノってる観客が
盛り上がっているようにも見える。
でも、おそらく観客の彼等が内心無意識に思っていることは、この懐中電灯は、
ステージのプレーヤーに対する賞賛ではなかろうか?
ここまで非常に面白いステージ(つまり演出)を魅せてくれた、
観客としては、声援をかけたりする以外は、何もプレーヤーに返すことはできない、
そのもどかしさが、懐中電灯の光を当てるという行為になっていったのかもしれない。
この状況での観客の反応も様々だ。
「ノッていて盛り上がっているなあ」と思う人もいるだろうし、
「なんだかグチャグチャになってしまった」と不快に思う人もいるだろう。
でも、すべてはその場でにいたプレーヤー(パフォーマー)と観客とが
偶然、あるいは必然で創り出した結果なのだと思う。
盛り上がっている様子が無関係だと思って引いて観れば、不快に思うことが
もし自分が一歩踏み出し、その中でいっしょに大騒ぎしていれば、後にして
思えば「ああ楽しかった」と思うかもしれない。
そんな事は結果的に言えば、ほんの僅かな違いでしかないわけだ。
私個人は凄く楽しいと思った。カメラを持ち、その輪の中に入っていった。
普通はステージや観客の邪魔になるからカメラを持ったままステージ前に
立ちはだかるというのはご法度だ、けど、このKumamaのステージに限らず
他のライブでも、興奮した観客がステージ前に集っている状況では、
それを冷静に遠くから望遠で撮っていても面白くもないし、雰囲気もわからない。
こうなったら自分もその中に突入するだけだ、ライブでも様々なイベントでも、
そうしないと見えてこないもの(状景や感覚)も多々ある。
多くのカメラマンの問題点は、あまりに第三者的に被写体を見る事だと思う、
報道もイベントもスポーツもスナップもモデル撮影もライブも、すべてが何だか、
レンズという一種の壁を、そこに自分自身で作り出してしまってそれを通して
別の世界から被写体を見ているように感じる。
それでは撮っていても面白くないだろうし、色々なものが見えてこないように思う。
興奮した観客の輪の中に入ってそこから見ると、
Kumama のリーダー Tiga 氏が、かぶりつきの観客にもみくちゃにされそうに
なりながらも、すごく楽しそうにギターを演奏していた、
「ああ、やっぱりTigaさんも楽しいんだ・・・」
私も楽しくなってシャッターを切った・・・
そうだよね、これがライブの醍醐味だよね。
色々考え方はあるかもしれないが、その場に明らかに自分も居たという
記憶(あるいは思い出)を残すためにも、その場の雰囲気や臨場感を
伝えるという意味でも、カメラマンも観客やプレーヤーと一体の感覚を
持つ必要があるのだと、その時も、後で写真を見ながらも痛感していた。
まあ、だからライブの撮影は面白いのかも知れない。
ライブ撮影が面白くてしかたないと言った、Kumama Roomのベースプレーヤーの
mint氏が(自分は演奏中で写真が撮れないため)写真を撮っている私の方をチラリと、
羨ましそうな視線で見ていた・・(笑)
「あはは・・ さすがに自分が演奏中では撮れないよね」
でも、将来もしかして、mint氏が演奏中にもカメラを持ち出して撮るという
極めて特殊なパフォーマンスをやるようになったら、その時はこちらが
羨ましく思うのかもしれない。 う~ん、それやられたら手も足も出ない、
その前に、こっちも自分で演奏中に写真を撮るというワザを研究しておこうか?(笑)