△△フェチという言葉がある。
まあ、たとえば、「女性の足首フェチ」とか、どちらかと言えば、
少し変わった嗜好の時に使われる言葉であるようにも思える。
写真の世界でも、中級者クラスで、電線ばかり撮っている人がいる。
『なんで電線なんかを?』
・・・まあ、そう言うなかれ、電線は実に奥が深い被写体ではないかと思う。
まず、電線を撮りたいという背景であるが、
1つは、初級者の被写体感覚からの脱却を目指しているからだと思う。
毎回言っているように、初級者の場合は、どうしても、綺麗なもの、かわいいもの、
格好いいもの、という種類の被写体にしか目を向けにくいからである。
別に初級者でも空を見上げれば電線は見えているのであるから、被写体が発見できない、
というわけでは無いのであるが、そこで、わざわざシャッターを押して写真に収めよう
という人は皆無であろう。
アンチ綺麗なもの派、という意識が強い中級者の場合は「廃物系」という方向に走りやすい
のは何度も述べている通り。 しかし「廃物系」は撮っていても見ていても、あまり面白く
無いし、作画表現の点でも、行き詰まりやすい。
ならば、綺麗なものでもなく、廃物系でも無いニュートラルな被写体としての電線というのが
一つの方向性としてありうる。
第二に、構図感覚の習得に役に立つ、という考え方もある。
近代画家の「モンドリアン」は、絵画から余分な要素をすべて省き、最終的には幾何学的
な縦横の線と色だけで構成される「コンポジション」という作品群を作っていたのは
ご存知の通り。
電線派もある意味この感覚に近く、空を分割する電線は、写真から装飾的な要素をすべて
取り払い、直線でわけられた構図のみの美しさを追求できる。
あるデザイン学校では、生徒にデジカメを持たせて「空と電線あるいは建物を撮って
きなさい」という課題がある、と聞いた事がある。 その比率配分、構図感覚、そのへんが
きっとデザイン感覚の基本習得に非常に役に立つということなのであろう。
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そして、この電線写真は、思った以上に奥が深く、たとえば空の色ひとつとってみても、
天気の良い日と曇りでは全然印象が変わってくるから、組としてそろえる場合は、
レタッチが自在なデジタル(のドメイン)ではまだしも、リバーサルによるスライド直接上映
などでは、空のトーンをきちんとそろえることが難しい。
さらに、電線のみならず電柱の存在をどうとらえるか? 電線は常に黒い線として描写
できたとしても、電柱は露出いかんによっては、目立たせることも、逆に意識させない
事も可能となる。
構図としての切り口もまた奥が深い。
まず縦位置と横位置でも大きく印象が変わるし、電線による画面の分割は、縦横のラインと
斜めのラインが複雑に入り混じる。 三分割構図やら黄金分割やらといった、初級の構図
感覚では、どうしたらよ良いのかお手上げになってしまう事もある。
だからこそ、本人が気に入る構図を作り出す事に夢中になって、ますます電線写真に
ハマる事にもなってしまうのであろう。
さらに、電線と電柱と空以外にも、実は脇役は多数存在する。
空に浮かぶ雲、太陽、月、あるいは建物の一部を入れるかどうか。
そして、空を飛ぶ鳥や飛行機も脇役になるのであろう。
装飾的要素をすべて排して、シンプルに直線で区切られた構図の美を極めようとする
電線派、それは、一般の人には、なかなか理解できない写真の世界なのかもしれないが、
そこにも一つの主義主張があり、個性の表現があるのだと思う。
「電線フェチ」などという、ある意味蔑称にも近い言い方をせず、一度電線を撮ってみると
もしかしたらその面白さがわかってくるかもしれない・・
・・ただ、私としては、電線よりも綺麗なおねいさんを撮っていた方が楽しいのだが・・(笑)