約半年ぶりの ヘビメタ(ヘヴィメタル)バンド「
haad&tail」のライブ撮影。
なんだかんだ言っても、撮影はすでに3回目、だんだんと長い付き合いに
なってきた。
今回のハコ(演奏会場の事)は、大阪・梅田の am-Hall
撮りなれたホールであり、撮影機材はもうこのホールにおいては、
α用200/2.8、ペンタ用FA77/1.8 とフジの高感度コンパクトの
合計3台と、定番の機材が決まっている。
ヘビメタの音楽的な魅力というのは、一種の切迫感があるかもしれない、
まあ、簡単に言えば「だんだんノッてくる」という事であろう。
例えば沖縄音楽やロシア音楽などの民族音楽では、音楽がエンディング
に近づいていくとどんどんテンポが速くなってくる、というものもある。
ヘビメタではそういう風に、目に見える(聞こえる)テンポには差異は
無いのだが、それでも1曲の最後に向けて、あるいはステージのフィナーレ
に向けて、だんだんと切迫した緊張感と「ノリ」が湧き出てくるように思う。
実際、今回のステージも最後はかなり盛り上がっていた。
さて、そのヘビメタバンド「haad&tail」であるが、4人編成。
メンバー紹介であるが、すでにブログ記事にも2回ほど登場しているので、
重複を避けるため簡単に。
リーダー Gt. Killer氏、bのTokio氏、DsのHolly氏、
Voは紅一点Sono嬢。
ちなみに、Gtとかbとかは、楽器の略称である。
ポピュラー音楽においては下記が一般的だ。
☆Gt ギター(GuiTar)
電気ギターと生ギターを分ける場合は、それぞれ EG,AGと書く場合も。
☆b ベース(Bass)
bsと書く場合もあるが、Jazzなどではバリトンサックス(Bs)と混同注意。
☆Ds ドラムス(Drums)
ちなみにパーカッションという呼び名は、打楽器全体の総称。
☆Vo ボーカル(VOcal)
声楽的には、アルトとかテノールとかの声域で分ける場合も。
音楽をやっている人には当たり前の事だが、これとて、知らなければ
わからないというわけで・・
でも、音楽をやっていて知らないとちょっと恥ずかしい。
以前、ギターで演奏会に出演するという女性、自分の名前のところに
「Ag」と書いてあるのを見て・・
「匠さん、ワタシの名前のところの、これ何? 金だっけ??」
「ん? 金? ああ・・元素記号か! でも、それ言うなら金は Auだよ、
Agだったら銀だ(笑) というか・・勿論アコースティクッギターだよ。」
「ああ・・ アコースティックね・・」
・・で、もしかすると彼女はアコースティックという意味すらもわからない
かも知れない(汗)
アコ(ク)ースティックとは、元々は「音響」あるいは「音響空間」という
意味であるのだが、転じて、アンプを使わない生の楽器(電気・電子楽器
では無い)という意味となり、通常のフォークギターやクラッシックギター
をアコースティックギターと呼んでいる。
・・ただ、その定義も最近では怪しくなってきていて、今や生ギターの
かなりの比率は、アンプを使っても音を出せるエレアコ(エレクトリック・
アコースティック・ギター)となってきている。
また、ジャズなどで使うギター、いわゆるジャズギターでは、
古くからソリッド・セミアコ・フルアコという区分がされていて、
勿論「アコ」というのはアコースティックの略称。
後の区分になるほどボディの厚みがあり、弦の振動がいったん
空間的に響き(元々これがアコースティックの本来の意味)
それをピックアップ(ギター等に搭載されたマイクの一種)で拾って
電気信号をアンプに送って音を出す仕組みとなっている。
さて、そういう楽器の話はさておき、head&tailだった・・
彼等のライブは3回目の撮影ということで、もうぼちぼち演奏の様子を
単に撮るだけ、というのも必要なくなってきた頃であろう。
そういう写真はすでに何百枚も撮っているわけだし、そんな写真は
適切な機材を適切なセッティングで使えば、誰にでも撮れる写真だから・・
(ちなみに何度も言うがフラッシュや三脚撮影は厳禁ですぞ・・!)
写真というのは、カメラという「道具」を扱う技術を磨くものではなく、
カメラを通して、被写体の伝えたい事を撮影者が受け取る事が大事だ。
それは被写体が風景であっても無生物であっても同じ事であり、その
被写体が発する何かを、撮影者がどう感じて、どういう映像にするか?
という事になる。 で、被写体が人間であって、しかも音楽家という
アーティストであるのならば、ますますそこには彼等彼女達が観衆に
伝えたい何かがあるはずだ。
演奏家のアーティスト、つまり「ミュージシャン」は単に「プレイヤー」
ではなく、定められた演奏を義務的にこなせば良いという訳ではない。
彼等がヘビメタという音楽を通して「何か」を見る者に伝えたいという
気持ちは必ず持っている筈であるし、それは受け取る人それぞれで違う
ものかも知れないのであるが、それでも自分なりに何かを彼等の音楽や、
パフォーマンスや、もっと全体的な「雰囲気」を掴んでいく必要がある。
ただ単に「シャッター速度に注意してブレないように撮ろう」とか
「照明の色が変わったり、逆光になったりするので注意しなくては」
といった、道具(カメラ)の扱い方だけのものでは無いわけだ。
私が思うhead&tailのイメージというと、まずは「クール」という
事がある、クールというのは、格好いい、と置き換えても大差は無い
かも知れないが、格好いいと言うのは見る者が感じる事であって
クールはそれよりも、なんと言うか、彼等が内面から表現したい
要素に近いものがあるかもしれない。
ヘビメタはハードロックから発展した音楽であるが、世間一般的な
ヘビメタのイメージというと、奇抜なファッションとか、奇声をあげて
歌うとか、そんな風に捉えられているかも知れない。
では何故ヘビメタではそういう奇抜な事をするのか?、と言えば、
これは、たとえば戦国時代からあった文化である傾奇者(かぶきもの)
(戦国武将:前田慶次/慶次郎/利益 で有名)を思い起こしてもらえれば、
まあそれ自体が、たとえば世間とか体制とかへの反発だとか、
目立つ事で自己アピールをしているとか、あるいはそうした雰囲気全体
が一種の表現(アート)であった、と考えられるかも知れない。
ちなみに、傾奇(者)はその後「歌舞伎」という文化を生み出し、
今やそれ自身が古典芸術となって格調高いものとなっている。
head&tailは、そういう意味からすると、まだ格好(ファッション)も
言動も「傾奇者」という程奇抜ではなく、大人しい方なのであるが(笑)
それでも、彼等が内面的に持つ、そうした自己アピールや表現の精神を
演奏中にも、ところどころ垣間見ることができる。
まあ、アーティスト、特に音楽家(ミュージシャン)であれば、
それくらいの自己アピールは誰しもが持っていて当然だ。
逆にそれが無いと、いくらテクニック的に上手くても、なんとなく
その音楽(演奏)は魅力に感じない場合がある。そんな場合は、
「華が無い」とか「地味」と思ってしまう事もあるのだが、
そういう形容詞よりもむしろやはり、強烈と言うほどの個性を
周囲(観客)に対してもぶつけられるようでないと、なかなか
ミュージシャンとしてやっていくのは難しいのかも知れない。
写真で言うと、アマチュアカメラマンの大半は、綺麗な写真を
撮ることが目標(目的)になってしまっていて、高級カメラに
高級レンズ、手ブレしないように三脚を立て、最高画素数で
ヒストグラム見ながらRAWで撮り、当たり障りの無いような
風景や花を、ただ綺麗に見せるようにしか撮りたがらない。
そこには個性、あるいはせめてもの何等かの作画意図すらも
入れるのを拒んでいるようにも思える。写真で何か表現する事が
まるで恥ずかしい事のように思っているのであろうか?
あるいは、別の例えでは、会社で自分には何も取り得が無いから、
せめて毎日無遅刻無欠勤で遅くまで残業もして真面目にコツコツと
ミスをしないよう、上司から怒れないように、周囲と仲良くやって
仕事をする事が良い事だ・・といったような考え方のように、
人と違う事をして目だってはいけない、とそういう極めて日本人的な、
・・ある意味それは美学であるが、ある意味大きな弱点となっている・・
ような考え方を元に写真というものを意識している人が極めて多い。
音楽でも同様だ、アマチュアの発表会のようなステージでは、
ただミスをしないように、と緊張して・・しまくって、音楽を楽しむ
どころかステージに立つことそのものが苦痛となっているような人を
見るケースも多い、それではきっと音楽をやっていても面白くも
なんともなく、それが楽しいと思えないようでは、音楽という趣味を
続けていくことすら難しいのであろう・・
音楽でも写真でも、趣味なんだから、楽しまないと意味が無いのでは
なかろうか・・?
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さて、head&tailであるが、そういう風に考えて見ると、あらためて
思うのは、やはり彼等は個性的な集団である、という事だ。
「え? ボクですか? 普通の営業マンですよ・・」とベースのTokio氏、
「え~? そうなんですか? とても普通の仕事をやっているようには
見えなくて・・(失礼・汗)」
と言う会話がステージの始まる前にあった。
だって、そりゃあ、ステージでの雰囲気が、むしろ私にとってみれば
彼等との主な接点なのであって、こちらのホールに着く直前に、
梅田の人通りの多い商店街で、ダブルチーズバーガーと缶ビールを
両手に持って食べながら歩いているTokio氏と出くわしたときも
「むう・・只者では無いな(笑)」という感覚になったものであった。
まあ、それはつまり営業マンのTokio氏から、ビールとハンバーガーで
ベーシストのTokio氏に変身するためのアイテムであったという訳なの
だろう。まあ、そうした2つの顔を持っているという事だ。
・・そう言えば、ずっと以前にTokio氏と初めて会った時、
彼が(初代)ガンダムのジオン軍のTシャツを着ていたので、
「あ・・それ・・ジオンの制服!」と言うと、
「いや~、匠さん、わかってくれて嬉しいですね、ほかの人は誰も
気が付かなくてって・・」という会話があった事を思い出したのだが、
まあ、そういうわけで(どんなわけだ?)Tokio氏に限らず、結局のところ、
皆それぞれ、2つとは言わず、いくつもの顔を持っているという事なの
だろうと思うし、それらが様々な形で周囲への表現(自己アピール)と
いう形になって繋がっていくのであろう・・
彼等 head&tailも皆が個性的で、音楽そのものもさることながら、
ステージではそのキャラが立っている。 つまり、表現したいという
熱気がバリバリと伝わってきて、時にそれが音楽の部分をも
上回っている。
それは、ある意味とてもよい事だ。だって、そうしたくてもできない人
なんていくらでもいるわけだし、そうした資質やキャラクターを持って
いる事自体が貴重な事だ。 ただ、注意するべきは、そのキャラ立ちが
時に、音楽に勝(まさ)ってしまう危険性もあるという事だと思う。
彼等の演奏は決して下手というわけではなく、むしろ楽器を演奏する
私から見ても上手い方だと思う。リーダーのKiller氏は、ステージ後
「いや~ ミスが多くて」とこぼしていたが、演奏のミスは気になる程
ではなかったし、と言うか、幸いにして人より良い耳を持っていて
音響関連の仕事を長年やってきた私でも気が付かなかったくらいである。
だけど、キャラが勝っている状況では、そのキャラに負けないくらいの
個性ある表現力豊かな演奏をしていかないとバランスが取りにくい。
まあ、それをアマチュアバンドに求めるのは酷な話かも知れないし、
実際、同クラスのアマチュアバンドにしても、そのあたりの高度な
悩みを抱えているというよりも、むしろ自分達の演奏をきっちり
する事だけで、いっぱいいっぱい、という雰囲気であるのだが、
それでも、今後彼等がさらに音楽活動にのめりこんでいく為には
そのあたりは避けて通れないポイントになるのであろう・・
しかし、思うに、写真で自己表現するなんて、ある意味まだるっこしい
事なのだろうとも思う、自己表現の欲求があるのなら、写真よりも
もっと直接的に、音楽でもいいし、あるいはもっと別の事で、話術でも
行動でもなんでもいいから、伝えたい事を伝えたい人に伝えれば
良いだけの話だ、だから写真をやっているアマチュアカメラマンの
多くは、元々表現下手な人が多いのも実際のところだ。
でもそれでも写真をやっているのは、何か撮りたいものがあるという
事なのではなかろうか? 私は撮りたいもの(モノというよりは、
テーマ)は沢山あるし、それを撮るのが楽しいからやっている訳であり
そのテーマの1つは、今回のようにライブ等では「そのパフォーマーが
表現したい事」というのがある。まあ、そんなに簡単な事でもないのだが
技術や知識や経験を積めばでどうにかなるものでもなく、どちかといえば
自分自身の感覚を研ぎ澄ます必要があるというテーマだ、だからこそ
面白いとも言えるし、カメラを始めた初期の頃のように「撮りたいもの
もなければ表現したい事も何も無い」といったような状況と比べれば、
写真という世界に没頭する割合も格段に高くなって、趣味そのものを
楽しむ気持ちが全然変わってくるというわけだ。
アマチュアあるいはセミプロのバンド(音楽活動)を続けるのも
ある意味難しい事だ、別の仕事を持っているわけだし、忙しかったり
すれば練習もなかなか出来ず、それは楽器演奏の場合はてきめんに
テクニックの衰えとなって現れてくる。カメラほどでは無いとは言え
楽器などの機材を買うお金もかかるだろうし、バンドでやる以上は
今度は、音楽性とか方向性、指向性といった面でのメンバー間の
(人間)関係の問題も出てくる可能性だってあるわけだ。
それでも、皆そうして、ある1つの時代、時間の中に、大げさに言えば
自分達の生きて来た足跡(そくせき)を残そうとしてステージに上がる、
カメラマンは、その彼等の生き様のある一瞬を残そうとして、写真を撮り
あるいは撮る行為で自分自身の足跡を残す為という事もあるだろう。
結果、単純な図式なのだが、なかなかそのあたりが奥が深い、
だからこそライブを撮るのは面白いと言えるのかも知れないが・・