大阪・難波より南海りんかんサンライン(南海高野線)の急行に
30分ほど乗ると河内長野(かわちながの)駅に到着する。
市の木は「クスノキ」、そう、ここ河内長野は大楠公、
つまり楠木正成(くすのきまさしげ)ゆかりの土地となっている。

朝、家を出る時はまだ晴れていて、天気予報は夜から雨だったのだが、
天候は急変し、昼前からあいにくの雨、河内長野駅で傘を調達してから
バスに飛び乗る、
「まいったなあ・・今日はMFレンズだよ。」
別に
雨の中の撮影はさほど苦にはならない、世の中には雨が降ると
絶対に写真を撮りに行かないアマチュアカメラマンが多数いるが、
天気が良くないと写真は撮れないわけでは無い。ただ、雨の日に
MFレンズをつけた一眼というのは、どうにも傘を差しながらでは
(両手を必要とする)カメラ操作がやりにくくなるだけだ。
ちなみに当然の事だが、何処へ行くにも三脚は絶対に持って行かない。
もうこのブログでは初期の頃から撮影に
三脚が必須では無い事を
ずっと訴えているから、今更説明の必要も無いのであるが・・

バスに乗って向かった先は、観心寺(かんしんじ)
観心寺は、古代史のスーパーマン、役小角(えんのおづぬ=役行者)が
開いた寺といわれている、役小角は飛鳥時代から奈良時代にかけて
実在した呪術師であるが、奈良と大阪の境にある葛城山(かつらぎさん、
ここ河内長野からも距離的には近い)や
葛城古道で修行を積んで
超人的な法力を身につけたとされ、様々な伝説が流布されている。
関西(特に南部の河内地区)のあたりでは、どこに行っても、古刹
や様々な古い施設は、たいてい役小角か、同時代の行基(ぎょうき=
行基菩薩)に関連するものばかりだ。
役小角から600年の後、この観心寺は楠木正成(楠木家)のゆかりの
寺(菩提寺)となる。 正成は若い頃にこのお寺に住み込んで修行を
したとも言われているが、実際には、楠木正成の幼少時の記録は
(歴史上有名な人物であるのに)殆ど残されていないとも聞く。
また、神戸の湊川で楠木正成が、足利尊氏(足利直義)に破れ
戦死した際、その首級は律儀にも敵方からこちらの観心寺に届けられ、
以後、正成の首塚として祀られている。

そういえば神戸の湊川神社でも、楠木正成を祀ってあったように思う、
初詣に行った時はその由来には気が付かなかったが、そういう経緯が
あったのか・・
実は、楠木正成に関しては、あまり詳しい事を知らなかった(汗)
河内国(現在の大阪府の一部を含む広い範囲)のヒーローのような
人物であり、悪政の(?)鎌倉幕府を(小人数で大軍に立ち向かい?)
倒した、戦術に優れた武将、という事くらいの印象でしかなかった。
いわゆる室町~安土桃山時代の戦国時代に比べ、このあたりの
鎌倉末期から南北朝にかけては、楠木正成自身の話以外には
あまり多数の本が出ているわけでもないし、以前放映された
楠木正成をフィーチャーした大河ドラマは見ていなかった。
また、歴史シミュレーションゲームも、どうしても登場人物が豊富な
戦国時代や三国志に人気が集ってしまう。
まあその時代のヒーローとなりうるキャラクターが、楠木正成の他は、
足利尊氏や新田義貞くらいしかいないから、物語やゲームには、
なかなかなりにくいのかも知れない。

で、雨の観心寺だが、紅葉の始まりかけの11月初旬だから、
参拝客や観光客の姿もチラホラと見える、しかし京都などの観光寺院に
比べ圧倒的に数は少なく、ちゃんとした紅葉の頃に来れば、決して
有名な観光寺院に比べて見劣りする事も無い訳であり、わざわざ混雑
する京都や奈良に行くまでも無く、このお寺でも十分満喫できるように
思えた。

そう言えば関西の定番的な週間情報雑誌等には、この時期になると
紅葉特集なるものが組まれ、わざわざ超混雑する有名観光寺院のみを
載せるものだから、情報誌を読んだ人達が、そうした場所に集り、
ますます混雑が助長されるという悪循環だ。
この時間帯がすいているとか、こっちのあたりから入るとすいている
とか、それくらいのノウハウは載っている様子だが、
たとえばここ1~2年は、私が花火の見物を殆どしなくなったのは、
そうした情報誌に、今まで他の人は知らなかった、すいている穴場
スポットや、混雑を避ける方法が掲載されてしまってからだ、
結局そうなると穴場も穴場ではなくなり意味が無くなってしまう。
取れる対策はただ一つ、そうした初心者向けスポットなどは
目もくれず、紅葉の時期にわざわざ大混雑する京都に行きたい等と
一種の苦行のような(苦笑)考えは一切持たず、ただひたすら、
その地域は避けて移動するのみ、行きたい場所は自分で考えて探して
行動するという事だ。決して人の意見や情報に左右される事はしない・・

大楠公、楠木正成に関しての情報を知る事を無意識に避けていたの
かも知れない事は、私にとっては、なんだか地元(の河内国)だけで
盛り上がっているローカルなヒーローのように思えていたからだ。
そんな事もあり、むしろ楠木正成に関してはあえて気にしなかった
のかも知れない。例えば、歴史の上では、何等かの戦いがあった場合、
どちらかが完全に悪玉で、一方が100%善玉という組み合わせは
ありえないとも思っていた。
そりゃあ、数十年前のTVアニメとかだったら、悪役は完全に地球征服や
独裁を狙う悪役であったのだが、実際の世の中はそんな単純な
ものでもないであろう。 25年以上も前の初代ガンダムのアニメですら、
地球連邦軍には連邦軍の正義があり、ジオン公国のジオン軍には
ジオンの正義があったわけであって、ガンダム1年戦争の裏話を
ジオン軍の視点で書いたサイドストーリーの「MS IGLOO」等を
今にして見ると、(あるいは読む。近年DVDや漫画が発売されている)
どうしてもジオン軍に肩入れしてしまい、最後には、ジーク・ジオン!
と叫びたくなる・・・(笑)
まあ、余談はともかく(汗) 楠木正成に関しても、どうも地元故の
贔屓の感覚があるのだろうか? とも思っていたわけだ・・
前回のこの寺社シリーズで、禅僧「
一休宗純」の足跡を辿ってみると、
色々意外ともいえる一休さんの実体が浮かび上がってきたという事
からも、今回もまずは、楠木正成ゆかりの地を廻ってみて、自分
自身で色々と見て、聞いて、確かめてみようと思った次第だ・・

ただ、「これが観心寺でございます、楠木正成の墓でございます」
という「証拠写真」は例によってまったく撮る気は無い、
もう説明するまでもなく当たり前の事だが、そうした写真は
観光ガイドにもお寺のパンフレットにもいくらでも載っているわけで、
その真似をして撮ってもしかたがないし、行ってきましたという
証拠写真や、悪い意味での記事用の「説明写真」を撮る気も無い。
え? それでは何処にいったのか、わからないじゃあないかって?
いやいや、何処に行ったのかが重要なのでは無いんだよ、
そこで自分が何を感じたのかが重要なのであって、単にそこに「行った」
事実だけを記事などで説明して、いったいどうしようと言うのかな?

楠木正成が実際に歴史の表舞台に立って活躍していた時期は、
僅かに6年程でしか無い、とも言われている。
それ以前に何をしていたか?、という事は、楠木正成が、その死後
700年近くたった現在においても、歴史の教科書には必ず名前が
載っているくらいの重要人物でありながらも、何故か、殆ど知られて
いない・・

楠木正成に対する歴史研究家などによる評価も時代とともに変わって
いるという事である、ただ、これは珍しい事ではなく、1つの時代を
築いてきた有名人においては、よくある話だ。
そして、正成の死後500年以上もたった明治時代には、
正一位(しょういちい)の位が贈られたと聞く、これは一般人としては
最高位の位となっていて、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康等のVIPと
同等の位だ(まあ、歴史上最も著名な彼等としても、生前には
正一位は授けられず、1つ下の従一位までであったと言う)
さて、観心寺に行っても、結局、正成の事についてはあまり情報を
得る事ができなかった(汗)
ただ、正成には久子という名前の奥様がいて(この時代で正室の
名前がしっかり残っているのは、少し不思議な感覚を受ける)
正成の死後、久子は岐阜に逃れたそうであるが、その住居のあたりに
ここ現在の河内長野市から富田林市にかけての彼女の生地等の
地名が移されたとも聞く、そしてその富田林市の甘南備(かんなび)には
彼女が開いた、楠妣庵観音寺(なんぴあんかんのんじ)があるという事だ。
ここ観心寺からは3km弱の距離なので、雨でしかもアップダウン
が厳しいのだが、ウォーキングがてら歩いて行ってみる事にしよう。
(ちなみに両寺を直接結ぶバスなどの交通機関は無い)

途中の道は単なる県道(府道)のような感じであり、およそ何も無い。
普通はまあ、何も無いところでも写真を撮る気になるような被写体は
適当には見つかるものだが、それすらも殆ど見当たらないような
山越えの道だ(汗)こちらの写真はもうかなり楠妣庵に近づいたあたり。
観心寺からの登りは10分~15分で終わり、あとはずっと下りが続く、
途中、反対方向から坂を上ってきた健脚そうなシニアの男性2名の
ウォーカーに出会う、でも、どうやらゼイゼイと息があがっている様子。
シニア「すんまへん、この道、観心寺まで続いてますか?」
匠 「ええ、私もそこから歩いてきたところです。どうだろうなあ?
あと20分くらいは歩かないと着かないかもしれません、
あ、ちなみにそこに(寺を経由する)バス停がありますが、
今ちょうど出た所で、1時間に1本位しか無いみたいですよ。」
シニア「ひえ~、それだと、(全部で)4キロくらいあるってことか?
まいったまいった・・」
そう言ってシニア達は去っていった。
・・ヲイヲイ、情報提供しているんだから、礼くらい言いなさいよ、
古い人は、「水と情報はタダで得られる」と思い込んでいる。
今の人は、情報を得るには手間やお金がかかる事を知っている、
だから「情報コンテンツ」をお金を払って入手する場合も多々ある。
こっちは、あらかじめこの道は調べてあり、地図もプリントして持って
きているし、距離も測ってきている、行く先々のバスの時刻表なども
すべて携帯にコピーして持ってきている。モバイルインターネット機器
を持ってくればよさそうなものだが、今の機器はまだアクセス速度が
遅いし、旅先でチマチマと検索して調べているのは辛気臭い(面倒だ)
だから、あらかじめ必要な情報のみを抽出して・・正確に言えばPCから
携帯にメールを送ってあるだけの話だ。
ただ、標高差は現代のネット地図ではなかなか調べる事ができず、
(所要時間等を)読みにくい。道程で3km弱ほどでも標高差がキツイと
1時間かそれ以上は平気でかかってしまうだろう・・サイクリングマップ
とか言うものがネットであって標高差が読めるらしいが、アクセスすると
本来知りたい情報以外に余計なものが沢山あって、面倒なので断念、
Googleの地図も地形の等高線が表示できるが標高差はわかりにくい。
モバイル機器があっても、こういうのを旅先で調べている暇はなさそうだ。

後で気が付いた事だが、楠妣庵側から観心寺に向かう道には
看板があって「観心寺まで2km」と書かれていた、まあ、そりゃあ、
直線距離ならそんなものかもしれないが、緩い登り勾配が延々と続き、
道も曲がりくねっているので、2km=20分などという平地の感覚では
全然無いわけだ。
(注:一般に関西人は歩くペースが早く、1km=10分は当たり前)
実は楠妣庵から帰る時、手元のバス時刻表は、まだ次のバスが来るまで
40分の時間を示していた、その事は調べてあったので知っていたので
あるが、まあ余った時間ブラブラとそのあたりを散歩するつもりでいた。
そこに今度はシニアの女性の2人組、楠妣庵から出てバス停で時間を
見て「まだ早いわねえ」とつぶやいている。
で、問題の「観心寺まで2km」の看板を見つけてしまった様子だ、
後ろから見ていると、吸い込まれるように魔界(笑)への通路を通って
いく・・
「ああ、行ってしまったよ・・ 苦戦するぞ(汗)
しかし、止めるわけにもいかないしなあ、しかたないか・・」
さて、楠妣庵についてあまり書いてしまうと後編のネタが無くなる(笑)
楠妣庵観音寺は隠れた紅葉の名所だとも聞く、
11月初旬では、まだちょっと紅葉には早いのもわかっているが、
ともかく、ちょっとはその辺も楽しみにしながら、楠木正成ゆかりの地
を続けて廻ってみる事にしよう。(後編につづく・・)
