少し前の事・・演出家の断寝俊太郎(だんね・しゅんたろう)」氏は
グリム童話の白雪姫の原作を読んで、数々の疑問を感じていた。
白雪姫の実母(後に継母に改訂)である王妃は、何故、僅か7歳の
白雪姫に殺意を抱くほど嫉妬していたのだろうか?
森の中にいる7人の小人は、何故つるはしを持って、いったい何をして
いたのだろうか?
毒リンゴを食べて死亡した白雪姫を蘇生させて、後に結婚する王子様は、
いったいどんな人物なのだろうか?
魔女となっってしまった王妃は誰に処刑されたのだろうか?
そもそも王妃はいても王様の存在はいったいどこに・・?
演出家の断寝(だんね)氏は考えた・・これらの数々の疑問を上手く
解決するストーリーの展開は無いものか? そして、それこそが、
白雪姫の物語に隠された真実なのだと。

断寝氏による舞台のシナリオが完成した様子だ・・
2008/11/8~9 大阪・日本橋の劇場において、
セミプロ劇団「舞台処女(まちかどおとめ)」といくつかの劇団の合同
による「白雪姫 in the MIRROR」開幕。

主役、白雪姫は、小川仁美。
近年、カナダへの演劇留学の経験を持つ本格的女優。
僅か7歳の白雪姫、王宮で、わがままとも言える程の自由奔放な
日々を送っている。感情の起伏が激しいという設定、その喜怒哀楽を
小川が見事なまでの表情の変化で熱演する。
私の方は、今回はゲネプロ(=ゲネラールプローベ:最終通しリハーサル)
を撮影。
機材は、Nikon D2H+DC105/2.0 ,Pentax K10D+FA☆85/1.4
それにFuji Finepix F10の3台だ。
劇団からの依頼撮影とは言え、舞台本番では観客も多いため、
一眼レフのシャッター音が気になるし、自由に動き回っての撮影も
できない。 なので、ゲネプロが最も楽に撮れるという事だ。
断寝「匠さん、今回の写真は、少し説明的な感じでお願いしますよ。」
ふうむ・・まあ、広角で舞台を広めに撮って役者の位置関係などを
シーン毎に撮っていけばいいのだろうが、しかし、そればかりだと、
肝心の役者の渾身の感情表現などの演技は捉える事ができなくなる。
結局、混ぜて撮るしかなさそうだな・・
舞台が進行していく、
白雪姫の王宮での振る舞いは、彼女に勉強を教えている家庭教師達や、
王室の侍従にとっても、なかなかのやっかい者のような感じだ。

舞台の撮影は暗いので、基本的には大口径(できればf2.0以下)の
レンズと、高感度(実用的なISO800以上)のボディが必要だ。
手ブレ補正機能は必須ではなく、手ブレを起こすような低速シャッター
では、役者の動きも止める事はできず、被写体ブレとなってしまう。
舞台やライブ撮影に共通して、パフォーマー(演者)の動きを止める
には、1/250秒前後のシャッター速度は少なくとも必要だ。
ただ、上手な役者になると、ある感情表現のシーンにおいては、
必ず、ほんの一瞬、1秒か、それ以下か・・の静止した瞬間がある。
いわゆる「決め」という所作だが、その一瞬が最大のシャッターチャンス
となるわけだ。
さて、舞台。 わがままな白雪姫を溺愛するのは、父である王様だ。

まさに目の中に入れても痛くないという風に、ともかく白雪姫が可愛くて
しかたがない。出来の悪い子ほど可愛いという通説もあるのだが、
それがあるので、序盤での白雪姫のイメージは若干わがままな
感じに設定しているのであろう。
ちなみに王様役は演出家の断寝氏自身での出演。
そうした王様の態度に疑念を持つのが王妃、この物語の準主役だ。

グリムの原作では、実の母・・ しかし、白雪姫を森に追放し、さらに
それを殺そうと毒リンゴを含め様々な策略を実行するなどの、あまりに
非情とも思える態度から、後の物語では継母と書き改めている様子だ。
有名なセリフ「鏡よ鏡よ、世界で一番美しい女性は?」というのは
勿論この王妃だ。
王妃は、王様が白雪姫を溺愛するばかり、自分への愛情が薄れていく
恐怖心を常に感じていたのであろう、この王妃の地位を失ったら
生きてはいけない。
その為には常に美しく、王様から愛される存在でありたいと・・
だが、白雪姫が7歳になると、魔法の鏡は「世界で一番美しい
女性は白雪姫」と答えるようになった。
それはイコール、王様の寵愛ももう受けられないという事と王妃は
思い込む、王妃の白雪姫に対する嫉妬は膨らみ、殺意へと変わっていく。

王妃は、王様に「白雪姫と私とどっちが大切なの?」と問う。
王様は、なんとも中途半端な答えで、その質問をはぐらかす。

まあ、いつの時代でも男性とはそういうもので、より多くの子孫を
残そうという本能が遺伝子に刷り込まれているわけだ、だから男性は
同時に複数の女性を愛する事を平気で行う。
しかしながら、王様の愛情の対象は実の娘であり、この感情はちょっと
尋常ではない、心理学でなんと言ったか・・エディプス・コンプレックス?
エレクトラ・コンプレックス? いや、それらとは違う逆パターンだ。
そして、王妃は、捨てられる恐怖と戦う。

ここにおいて、この舞台の最初に王妃登場シーンで背後から
流れてきたセリフの、
「私だけでないはず。求められて捨てられて。たまには私も奪ってみたい。
女であれば誰でも、歳をとらない秘術をほしがるわ。」
が、サブテーマとして、その意味を現してくる。
打ちひしがれた王妃、
王様の愛を取り戻すにはどうすれば良いのだろうか?
ここで、例の魔法の鏡が王妃に悪いアドバイスを行う、
「お化粧したらどうなの? 茶色を塗ってみなよ」
また別の鏡が言う「いや、緑がいいよ、斬新だよ」
王妃は鏡の言うがままに、様々な色の化粧を自らに施す。

思うに、魔法の鏡というのは、王妃自身の持つ隠された感覚、感情
を映し出すモニターのような道具だったのだろう・・
白雪姫に王様の寵愛を取られてしまうのが怖かったから、
だから魔法の鏡は「今は白雪姫が一番美しい」と言ったわけだ、
それは王妃の持つ不安の感情そのものだ。
そして歳を取りたくない、いつまでも綺麗でいて王様に愛され続けたいと
思ったとき、魔法の鏡は、だったら化粧をすれば、とアドバイスしたのだ。
しかし、沢山の魔法の鏡に好き勝手を言われて、王妃の化粧は
グチャグチャに・・

白雪姫には笑われ、王様にはあきれられてしまう。
だが、王妃は、これで歳を取らない永遠の美を得たと思い込んでしまう、
本人でも抑えきれない不安を、化粧により包み込んで隠してしまえたから、
なのかもしれない。
いずれにしても、この舞台での王妃はとても人間的だ、魔女という
雰囲気は微塵も無く、むしろ不安やコンプレックスを常に抱えた
現代人の感覚にとても近いものがある、そしてそのあたりが、
演出家の断寝氏の、この白雪姫の現代流の解釈と表現という事に
つながってくるのであろう。
原作のグリム童話は200年近くも前の事、そしてディズニーの
アニメ白雪姫は印象が強く、白雪姫のイメージを一般に定着した
ものだと思われるが、これですら、今から70年も前のアニメだ
(それにしては良く出来ているが・・汗)
まあ、童話の根源的な部分は現代にも通じる様々な意味を
持っている事が多いのだが、文化も生活環境も時代と共に
変化するわけだから、そうした「お話し」も、だんだん変化・進化して
いくという事なのであろう。
さて、舞台・・
王妃と王様の繋がりは、このシーンのあたりで致命的な亀裂を生じて
しまった様子だ。
ここだな・・ このあたりだ。 カシャ。

2枚の鏡の中に王妃と王様がそれぞれ入る瞬間を待っての撮影。
鏡の中に置きピン、予め決めた構図に合わせアングルも移動してある。
役者が舞台で何かを表現するのであれば、説明的な写真というのは
その何かを捉える写真というのが、むしろ説明的な写真なのだろう。
広角で舞台全体を捉えた写真ばかりが説明的では無いだろうし、
役者さんをポートレートのように綺麗に捉えた写真でも無いと思う。
あるシーンにおける役者間の感情的な変化やその表現をうまく捉える
写真が撮りたい・・ まあ、そうは思っていても、なかなか初めて見る
舞台において目の前で演じられる様子からそのストーリーの要となる
ポイントを理解して瞬時にそれを撮影するのは、かなり困難である。
ただ、それも撮りながらでもいかに舞台に没頭できるかで、ある程度は
見えてくる部分もある。ライブ演奏を撮るときも、その演奏される音楽
を聞いて、その音楽の世界に入り込まないと演者が、あるいは自分もが
気にいった写真は撮る事が難しい。
舞台でも同様だ、役者の感情の変化やその表現が伝わってきたとき、
その時に適切なカメラ設定や構図で写真を撮るという事だ。
当然ながら依頼撮影では撮った写真は渡さないとならない、
ならば、撮られた人が、自分の表現の内容をちゃんと理解して
撮って貰ったと感じてもらう事が一番大切な事だ。
けっして高価で高性能なカメラで綺麗な写真を撮ることが重要な
事では無い。
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さて、今回の白雪姫の舞台は大きく3つのパートに分かれる。
途中に休憩こそ無いが、シーンの展開から言うと以下のような感じだ、
第一部:白雪姫、王妃、王様の人間関係と、王妃が白雪姫を憎むまで。
第二部:森へ追放された白雪姫が7人の小人と出会い、生活を始める。
が、様々な画策で命を狙われる白雪姫、ついに毒リンゴで死亡?
第三部:王子登場、白雪姫を蘇生させる。
王宮へ戻る王子と白雪姫、そして結婚式、さらに舞台の結末は・・?
次回、第二部に続く・・